なぜキョトンとしたって?
やりたいことは切りもなくある、けれど世界最高齢で名峰をきわめたいといった類の目標があるわけではない。
それどころか、高齢化する親世代の介護を何度も体験してきている。
だからわけもなく歳だけ食って、次世代に迷惑をかけたくないというのが正直な気持ち。
それにしても76で成り行きにまかせるのは早すぎるかどうか、ここが微妙。
そんなとき、妹尾まなほ『おちゃめに100歳!寂聴さん』(光文社)に、医師の語った1語を見付けました。

「周囲から説得されイヤイヤ手術をすると決めたときと、本人が手術を希望して、意欲的に臨むときとでは、結果が違う。持ちこたえられるものも、持ちこたえられない場合がある」

これはけだし名言。医療だけでなくたいていの分野に当てはまる。自分で意欲しなければ効果に結びつかない。
さて自分はどうする?
時間をかけてしばし考えてみます。
(1月22日)

【往還集144】16 微妙な境界・続

以来、注射と薬によるホルモン療法に入りました。
1年たって再びMRI検査を受けたら、がんの影は消えていました。
つまり効果があったのです。
しかしそれで完全卒業というわけではない、がんは冬眠しているだけだから、この際放射線とか手術で消し去る手があるというのです。
ここに至るまでの医師との対話は、われながら興味深いものでした。

「1昔まえは75歳あたりは治療するかしないかの微妙な境目でした。治療をしないで自然にまかせていても、がん化しないこともあります。

(事実私の父親は高齢で見つかりましたが、放置しておいて96歳で老衰死)。
「ただ佐藤さんは足腰もしっかりしていますから、このまま放っておくというのも┅┅。治療するにしてもしないにしてもリスクは伴いますから、自分のライフスタイルに合わせて考えてみてはどうでしょうか。


この「ライフスタイル」1語に、キョトンとしたのです。
(1月22日)

【往還集144】15 微妙な境界

75歳が微妙な境界線だと気づいたのは、最近のことです。
これまで高校3年のときの虫垂炎手術以外、入院体験を持たないできました。こまかいトラブルはいくらでもあり、とても頑健とはいえませんが、いつの間にか60を越え、70も半ばを越えていました。
一般検診を受けても、結果はほとんど異常なし。
この年齢でどこもひっかからないなんておもしろくないと、オプションでPSAつまり前立腺がんの検査も受けました。
4歳下の弟がこれに引っかかったという情報があったからです。
すると私も見事に〈当選〉してしまいました。
結果をまえにしたときの私の気持は「とうとう死の芽をはらんでしまったか」という驚きの反面、安堵もありました。
人は誰もがいつかは死ぬ、しかし何によって死ぬのかわからないという漠然とした不安を持っていましたが、やっと形が与えられたのです。
そこからくる安堵あるいは納得。
(1月22日)

【往還集144】14 「KYO峡」終刊号

北川透氏は1935年に愛知県に生まれた詩人・評論家です。
1962年に詩と批評誌「あんかるわ」を刊行、旺盛な表現活動を展開してきました。下関へ移転するのをきっかけに、それには終止符を打ちました。
私は途中からではありましたが購読者となりましたから、終刊が残念でなりませんでした。
しかし2013年には「ひとり雑誌 KYO峡」を発刊。毎号濃密な内容で健在ぶりを印象付けてきました。
が、第14・15号をもって終刊となり、つい先日届いたばかりです。
北川氏もいつしか84歳。不調をかかえても不思議ではありません。
この年齢にもかかわらず「吉本隆明の詩と思想」その他の評論を書きつづけてきたことには頭が下がります。
「ひとり雑誌」を発刊することがいかに大変なことであるか、「路上」自身も体験していることです。
長い間の持続の姿勢にはこちらも支えられてきました。ご苦労様でした。
(1月20日)

【往還集144】13 七六

「河北歌壇」の選を担当してから30年たちました。
選者は毎年「新春詠」を出すことになっています。
今年の私の作品は「セーター」5首。再録してみます。

「幼日(をさなび)の記憶の母はいつもいつも障子明りに寄りて手編みす」
「名掛丁に購(あがな)ひし毛糸ひとかかへ草原(さうげん)の人にかへつたやうな」
「パソコンに疲れし指がうれしがる薄草色の毛糸を繰れば」
「一〇〇着のセーター編まむこと思ひ立つ 目下、七六 先はまだまだ」
「初春(はつはる)の光(かげ)あれば光(かげ)も編み込みて半日がほど部屋にをりたり」

机に向うことの多かった日々、気分転換に編み物をはじめたのは35年ほどまえ。
1着ごとにデザインその他の記録を袋に保存してきました。
近年は目も指も弱り、「七六」着目で休止状態。
最近になってまた少しずつ編みはじめました。
あれ「七六」って自分の年齢と同じではないかと気づきました。
(1月15日)
汐海治美(しおかいはるみ)詩集『犬について私が語れること十の断片』(風詠社)は、10年余を共に暮らしてきた桃ちゃんについての作品です。
作者は難病にかかり、抱っこもできなくなる。
すると桃ちゃんは嫌われたと思ったらしい、自分への態度も変ってしまう。
これは切ない、犬にとっても自分にとっても。
「私も犬も十分に生きたよ夏木立」にはこういうフレイズもあります。

「なぜ彼女は犬に生まれ/なぜ私は人間に生まれたのか/は/永遠に謎のまま」

子ども時代犬を飼ったことのある自分にもこの感覚がよくわかります。
マリーと日向ぼっこしながら「どうしてマリーは人間に生まれなかったの?自分とどこですれちがったの?」と思いながら首や背をなでなでしました。
マリーはうっとりと目を細めているだけでしたが、

「犬に生まれただけでじゅうぶん、すくなくとも人間だけはごめん」

といいたいような表情でした。
(1月14日)

【往還集144】11 元号のイメージ

あと数カ月で新元号が発表されます(「路上」144号刊行のころは公表されているはず)。 
これに関連してあちこちで「平成特集」が組まれていますが、そもそも時代や文化の動向と元号には相関関係がない。
ですから依頼されるほうはとまどいの連続です。
このことは『短歌』の「歌壇時評
を担当したときも書きました(2018年6月号)。 
江戸時代以後の元号は明治・大正・昭和ですが、どれをとっても1つのイメージではくくれない。
だのに「明治は遠くなりにけり」と過去としてふり返る位置に立つと、自分の主義主張または関心事に合わせて部分的につまみ食いしはじめる。
最近も「明治の日を作ろう」の提案が出てきた。国家形成に焦点を当て、近代日本の原点と考えたがっている。
さらに「昭和は素朴で懐かしさのある時代」という発言まで出はじめた。戦争時代を、意図的にはずそうとしているのです。
(2019年1月12日)

【往還集144】10 日米安保

60年安保闘争が頂点に達したのは1960年、高校3年生のときでした。
放課後には社会科の先生を講師にお願いして自主講座を開きました。
当時の岩教組(がんきょうそ)は最強でしたから、先生たちも進んで講義してくれました。安保は不平等条約である、戦争にも巻きこまれかねないと力説してくれました。
以来の安保。
米軍が好き勝手に日本本土を使い、事件が起きても犯人を本国へ送り返す、多額の武器も売りつける、しかも安保は憲法よりも上位にある。
このような異常事態がなぜ今日までつづいているのかという憤懣が、棘となって刺さり続けてきました。
矢部浩司『知ってはいけない』1、2巻(講談社現代新書)は、岸内閣時代にCIAから巨額の資金援助があったこと、密約があったことを客観的事実に基づいて解き明かしています。
そういうことだったのか!
この師走の私をもっとも夢中にさせた本です。
(12月12日)

【往還集144】9 免許更新

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▲宮城県免許センターのガランとした内部。ここに土、日曜日はどっと押し寄せる。

講習の終わった私は日をおかず免許更新に行ってきました。
運転免許センターは車で40分ほどの所にあります。
これまでも3~4年おきにやっているのですが、入ったとたんのだだっ広さと無数の人の蠢きにはいつでも独得の気分に襲われます。 
ついさっきまでの係累が一瞬にして剥奪され、ただの無力なひとりとして放り出された気分。
受付の窓口を見付け、長い列の1人となる。それがすむと視力検査やら写真撮影やら講習やらへと誘導される。
どこに行っても長蛇の列。誘導の係員はいますがほとんどが無愛想で、家畜でも追い立てるよう。
私は「禁じられた遊び」のラストシーンをよく連想します。
両親を失い、農家に引き取られていたポーレットが、べつの施設に連れて行かれることになる。
ごったがえす駅で待っているちょっとしたすきに、ミシエルを探して群衆のなかへ紛れこんでしまうという、あのシーンを。
(12月10日)

【往還集144】8 高齢者講習・続

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▲13枚の絵を記憶するテスト。

講義が終わると認知症検査です。
まず今日の年月日を記入。
13個の略画を見て何の絵か声を出して答える。
時計の文字盤を書き、先生の指定した時間を針で記入。
それが終わるとさきに見た絵が何だったのかすべて記入する。
ここに来て私は13の内6つだけしか思い出せないことにあわてる。
しかしつぎの頁を開くと「体の一部」「果物」などのヒントがある。それによってやっと全部埋めることができた(当日の問題とすっかり同じではありませんが略画を例示します。皆さんも声に出して読んだのち10分後に答えてみてください)。
視覚機能検査は動態視力、夜間視力、視野の3種類。
最後は外に出て運転実習。いつの間にか付着した癖を指摘してくれます。
このようにびっしりとつまった講習で、終了と同時にへたーっと疲れを覚えました。
これだけの講習に耐えられなくなったときが、免許の返上時というわけなのです。
(12月9日)
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