速読術なる術があります。
人一倍遅読の自分、さっそく試したことがあります。
結果はダメでした。
今でも1冊を読み切るたびに「ふーっ
とも「ほーっ
ともつかぬため息が出ます。
このため息には2つの意味があります。
1つ目は「やっと終わった」の安堵感ですが、2つ目は「こんなにスゴイ文化なのに値段が見合っていないじゃないか」なのです。 
ちなみに最近読んだ本を文庫にしぼってあげてみます。

『「人殺し」の心理学』(ちくま学芸文庫1500円)
『チェルノブイリの祈り』(岩波現代文庫1040円)
『神曲 煉獄編』(河出文庫950円)
『正法眼蔵随聞記』(ちくま学芸文庫1200円)

文庫本だから安くて当然と思いがちですが内容の密度の点からして世界的文化財といっていい。
だのに値段がラーメン2杯分と同じとは悲しくなるではありませんか。
文化は貧富老若男女を問わず皆のものと思えば納得できるのですが。
(2月19日)
仙台の老舗古書店といえば萬葉堂。久しぶりに行ってきました。
そのときの佐藤Aと佐藤Bの会話。

「きれいに分類されていて気持ちがいいねえ。もう本の時代は終わったなんていわれているけど健在じゃないか」
「ふむふむ」
「あっ、川端康成全集がある、前々からこれ欲しかったんだ」
「ふむふむ」
「法然、日蓮関係もぞろっとある。今親鸞をやっているけど、やっぱり法然が大事、それに賢治をやっているものとしては日蓮を避けて通れない」
「おいおい、そんなに買ってどうするんだ。だいたい書庫が満杯だなんていって、半分近くも処分したばかりじゃないか」
「それはそうだけど」
「そのうえ最近は目の力が衰えて活字が読みづらいって嘆いているじゃないか」
「それはそうだけど」
「そのうえもう余命だっていくらあるかわからない、読みこなせるわけないじゃないか」「それはそう。でも今日のところは許して、5冊だけにするから!」
(2月17日)
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▲地震をきっかけに、自信をとりもどした時計です。

子どものころ、家の時計といえば柱時計でした。
振り子が左右に動き、ゼンマイ仕掛で、ビンビンと時を告げます。
仙台の一人暮らしの叔父が亡くなったとき室内の整理をしましたが、柱時計を残しておくのも可愛そうで自宅に持ってきました。相当の年代物でゼンマイも切れています。
パソコンで修理店を検索、見つかったのでお願いしました。
修理代1万円!
けれどおかげでチクタクの音が聞こえるようになりました。
が、1年でパタッと沈黙。
また修理店に持って行こうとしたら、すでに閉店していました。
以来10年。うんともすんともいわない柱時計。もう廃棄しようか。
ところが去年の11月22日、福島県沖地震と津波警報発令。
丁度そのとき、自分勝手に動き出した!3・11のときはまったく無反応だったのに。 

時計さん、どうしたの?

と聞いてもチクタクチクタク、ビーンビーンというばかり。
以後、毎日元気です。
(2月16日)
以下につづく、松枝茂夫訳を引用しますので、どういう内容なのか想像してみてください。

「山の木の実があると、泣きわめいて欲しがるし、村の鬼やらいの行列には喜びはしゃいでついて行く。大勢のものと一緒に瓦で塔を積んで遊んだり、ひとりで庭の小池に立って影をうつしたりしている。またボロボロになった本を小脇にはさんで読んでいるところは、まったくはじめて塾にあがった時とそっくりだ。」

こういう〈子ども大人〉は日本にもいる。代表者はなんといっても良寛さんでしよう。 
しかしところで、陸游は「もはや七十に近いというのに」といっていますが、そもそも人は〈子ども〉を卒業してではなく、〈子ども〉を下に敷いたまま、つぎを積み重ねていくだけではないか。
もしちがいがあるとすれば〈子ども〉が強く刻印されているかどうかだけではないか。 
刻印度の強い人が児童分野へ向かう、そんな気がします。
(2月15日)
漢文・漢詩と聞いただけで縁遠い感じの先立つ時代です。
それもそのはず、私の高校時代までは週1回漢文の授業がありましたが、以後は廃れる一方です。
漢詩・漢文の教養が衰えたことと、文語力の衰えたことは密接に関連している。
けれどよくよく読めば今にも通じる作品はいっぱいあります。
私は折々『中国名詩選』(岩波文庫ワイド版)を開いては、その世界の豊かさを楽しみ、現代にも通じる新しさに目をみはることがあります。
「書適」もその1つ。
作者陸游(りくゆう)は日本でいえば鎌倉時代の人。

「老翁垂七十/其実似童児」
(老翁七十になんなんとするも/その実童児に似たり)

とうたい出しています。
現代語訳にすると、「この年寄はもはや七十に近いというのに、実際はまるで子どもみたいだ。」となります。
漢詩には厳密な押韻がありますから、書き下し文・通釈では味わいを半減させてしまいますがそこはご勘弁を。
(2月15日)
「第7章 インタビューの仕事」で国谷さんは書いています。

「インタビューでは準備も重要だが、実際のインタビューの場面になったら、いったんその準備で得たものをすべて捨てなくてはならない。」
「準備は徹底的にするが、あらかじめ想定したシナリオは捨てること。」

ここに語られているのはインタビューの場合のみならず、普遍的にいえることだと思います。
準備を重ねることによって、その人についてのイメージが形成される、しかし実体としてのその人はイメージではとらえつくせない多面性があるかもしれない。
それを見逃さないためには、準備をゼロにしてなまの本体に向き合うようにしなければならないーーそういうことをいっている。
事前の準備は勿論大事、けれどそれによっていつの間にか自分の「シナリオ」ができてしまい、相手をわくのなかにはめこもうとする。
こういう危うさはどんな分野にもあります。
(2月6日)
NHKテレビに「クローズアップ現代」(略称して「クロ現」)という報道番組がありました。
「ありました」と過去形にせざるをえないのは、23年間つづけ、3784本をもって終了となったからです。
私はこの番組をよく見ていました。
NHKにしてはよく踏ん張っている、それはキャスターの国谷裕子さんでもあり、番組の制作スタッフでもあると、声援もしてきました。
本年で終了と知ったとき、ここにも政権の力が入りこみ、切り崩しがはじまったかと直感したものです。
その国谷さんがこのたび『キャスターという仕事』(岩波新書)を出版しました。
さっそく買い求めて読んだのですが、番組終了の内幕についてはほんのわずかしか書いていない。
積もりに積もった思いはある、けれどまだ公言できる段階ではないという判断があったでしょう。
私もここではあらさがしをやめて、特に注目した1点について書いておきます。
(2月6日)
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▲「玩愚庵」の鈴木昭君の創作こけし。手前中央に並ぶ4つがそうです。

秋保温泉の奥に「工芸の里
があります。そこを訪ねたおりには「玩愚庵(がんぐあん)」に立ち寄ります。
仙台商業高校に勤務していたとき生徒だった、鈴木昭君が父親のあとを継いでやっているのです。
もう57歳で、内閣総理大臣賞も得る腕前ですから、昭君などとはいえない。
けれどやっぱり昭君。
店に入ると、「このごろはどんな創作に挑んでいる?」と聞きます。
一世代まえまでのこけし工人は伝統を守るのが主流でした。
昭君も伝統は守りながら、他方ではさまざまな創作こけしを考案しつづけています。それを見るのが楽しみです。
私はこけしを目のまえにしながら、よく短歌のことを考えます。
古来型が決まっている。型が窮屈だといって破調に向かったり、短歌そのものをやめてしまったりする人もいる。
しかし型を守りながら、自分や時代の新しさを表現しようとする歌人もいる。
そこがこけしと似ているのです。
(1月30日)
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▲冬の蔵王連峰。いくつもの山々が連なり、まるで木版画のよう。

とかく落ち着かない天候でしたが、今日は朝からみごとなまでの晴天。
蔵王連峰も、ことのほか冴えかえっています。
こういうときをのがさじと、タンク山に登ってきました。
タンク山とは通称で、町内の東方にある小高い丘をさします。レンガ色の浄水場があるところから、タンク山と呼ぶようになりました。
頂上に立つと、森を切り開いて造成された町並と、それを取り巻く森林、さらにはるかに蔵王連峰が眺望できます。
目下冬の真っ最中ですから、白銀とコバルト色の濃淡が、繊細かつ大胆な凹凸となっており、まるで木版画を目の前にしているよう。

「あれが安達太良山―


の調子で山名を紹介したいところですが、あまりにも多くてー。

南屏風岳、
蔵王山、
雁戸山、
神室岳、
大東岳、
船形山、
泉が岳。

まだまだつづきます。
この連峰の眺望をこそ名歌にしたいと移り住んではや21年。名歌はいまもって生れ出てくれません。 
(1月29日)

私の視力は小学生のころから、検査をするたびに2・0でした。視力票の一番下まではっきり見える。
2・0以下もあったらさらに見えたかも知れない。
というわけで若い頃は文庫本の小さな活字が好きだった。
大きな活字を読む人を、年寄りくさいとどこかで蔑視していた。
ところが40歳を過ぎるころから逆転。視力は急に衰えはじめ、眼鏡なしでは読めなくなった。
文庫本級のはもうだめ。
どうしても必要なのは拡大コピーするしまつ。
結社誌の作品もそろそろむり。なぜもっと活字を大きくしてくれないんだと、こっそり恨んでいる。大きくすれば費用がかかるから踏みきれない、あるいは編集の係が近眼だから気づかない、どちらかでは。
毎月の誌面はあいもかわらず、小さい活字の歌がずらーっと、長い長い城壁のように並んでいる。
アメリカとメキシコの国境に壁が建てられたら、こういうぐあいになるんだろうね。
(1月28日)
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