同世代で政治に目覚めたものには、吉本隆明ファンがいっぱいいます。
私もその一人で、著作をどんどん買っては心酔しました。
それにブレーキのかかったのは、反核異論以来です。
さらに晩年の原発事故に対する発言にもついていけなくなりました。
科学の弊は科学が乗り越えるという思考の方向性がわからないわけではない。
が、もし吉本自身が被災圏の住人だったとしたなら、どう発言しただろうか。
吉本ならず科学力を信頼する人たちは、自身が生活の根を奪われても、同じ論理を展開しただろうか。
このことをずっと考えています。
論者のなかには3・11程度の災害は何度もあり、そのたびに克服して人類はここまで来たと考えている人もいる。
そういうマクロの視線とミクロの視線は、交叉する可能性があるのか、離反するだけなのか。
そのことを考えつづけていますが、我ながらいまだ納得できる解を手にしていない。
(3月7日)
花巻を拠点とする宮沢賢治学会で、賢治短歌の連続講座をやったことがあります。
私はコーディネーター役でしたから、これまでの評価史を説明しました。
高木市之助のいち早い評価についても紹介しました。
質疑の時間になったとき、原子朗氏が立ち上がり「高木市之助はもっと評価すべき人だ」と援護の弁を発してくれました。
さて、それにしてもまずは積みっぱなしの『国文学五十年』を、まず読まねば。
何だか固そうな題。
ところが先入観に反して、とても岩波新書とは思えないほどの柔らかい本でした。
というのも79歳の地点からの回想を、口述筆記する形にしているからです。
このなかでビビッと反応した1点をあげておきます。

「国文学という学問がこんなに創作的な才能から離れてもいいのか」

「教壇で注釈していれば先生も勤まるし、入試の参考書も結構「著述」していける。しかし「注釈」は実は創作の敵です。」
(3月7日)
宮沢賢治は青年時代に、桁はずれというほかない、不可思議な歌を量産しました。
「賢治の短歌」ではなく、「賢治短歌」としかいいようがない。
その正体に接近しようとしてまとめたのが『賢治短歌へ』(洋々社)です。
私はまず賢治歌集が出て以来の論考をかたっぱしから調べましたが、ほとんどに納得できませんでした。
そういう折、エッとおどろく一文に出会いました。高木市之助「賢治と啄木における短歌の問題」で、1947(昭和22)年の段階で発表されています。
それまで高木市之助なる人物を知りませんでした。岩波新書版『国文学五十年』は持っていましたが、すみっこに置きっぱなし。
こんなに早い時期に、これだけ賢治短歌の深奥に迫っていたとは。
古書で検索したら、『高木市之助全集』全10巻がある。すでに過去の研究者なのか、申し訳ないほどのやすい値段。
それでも手元に置きたくて、買い求めたのです。
(3月7日)
〈権力の入り込む余地のないささやかな空間〉を、現職に日の自分は何度も体験してきました。
初任校若柳高校のときは野外授業と称し、何回も迫川を歩き生徒たちとしゃべった。
古川女子高のときは新聞部の顧問をしていて鳴子の合宿所へ。
最後の広瀬高校のときは昼休みに2階渡り廊下のひだまりに集まって、食事兼おしゃべり。
つまり授業から離れ、評価をするしないの関係もない、人間と人間の空間。
それはどの学校に行ってもありました。時代とともに学校への視線は厳しくなり、さまざまな注文を文部省からも親からもつきつけられるようになる。
その視線はとかく「教師対生徒」「管理対被管理
に固まってしまうけれど実際はそれらの構造を無化する空間がいくらでもあるのです。
それこそ権力の及ばない空間は〈ひだまり〉としてあった。
だからこそ定年までなんとか教職をつづけられたのだと、いまになったわかります。    
(3月2日)
熊本に渡辺京二というスゴイ歴史思想家がいる。
そのことを知ったのは『逝きし世の面影』を読んだときでした。
その後著作集4巻を揃え、『黒船前夜』その他も読んできました。
そしてこのたび『渡辺京二』(言視舎)という大冊の評伝が出たのです。
著者は三浦小太郎という未知の人。それもそのはずこれがはじめての書下ろし作品ということです。
それをこの欄で紹介するのはとても無理。あえて一か所とりあげるなら、山田風太郎『明治十手架』にふれたつぎの一文です。

「この小説では、抵抗者が、政府に絶望的な叛乱を企てたり、またアウトローとして社会からはみ出すのではなく、決して権力の入り込む余地のない、ささやかな空間を作り出していく成熟差を備えていることを評価するのだ。」

評価しているのは渡辺京二ですが、彼は歴史的大変動にも決して左右されない「無告の大衆」の存在することを見据えてきたのでした。
(3月2日)
歌誌「りとむ」3月号に、三枝昻之氏が「悼・細井剛さん」を書いているのでエッ!と声を上げてしまったのです。
「悼」とあるからには亡くなったということ。
入退院をくり返していたことは知っていましたが、去年10月に没したとは。
細井さんは1934年札幌生まれの短歌評論家で、通称細井剛(ごう)。北海道に根を降ろし、「現代短歌・北の会」の支柱となってきました。
「路上」にも31号の「岡井隆論」を皮切りに何度も執筆してもらっています。
札幌に旅行したとき、対談の企画にも付き合ってくれました。
前衛短歌を高く評価し、その視点から評論を書きつづけたのですが、発表誌の終刊とともに、一旦姿が見えなくなる。
数年して「りとむ」に入会し作歌をはじめたので、「路上」にも発表してほしいと依頼したところ、まだまだ未熟だからと辞退。
そのうちお願いしますと伝えていたことも、もう叶わなくなりました。
(2月27日)
『光の音』をくり返しくり返し開き、ついに一気に80枚の「中村ハルコを追って 写真集『光と音』の世界」を書きました。「路上」113号に発表したのは2009年4月ですから、8年まえのことです。
もしもっと存えて3・11に遭遇したなら、目覚ましい写真活動をしただろうと惜しむのです。
というのも論の終結近くにとりあげたのは2枚の写真。
1枚目は自分を中心に、妊婦4人が海を背景に立つ場面。
2枚目は出産した幼児をだっこする同じメンバーが同じ位置に立つ場面。
この海はハルコが子どもの頃泳いだ荒浜です。
震災後私は何度もこの海に立ちましたが、そのたびに2枚の写真が浮かんできます。
海、それは太古そのもの、そして新しい生命を育む母胎も海そのもの。
あの日突然噴出した自然の忿怒は何だったのか、中村ハルコならどのようにとらえただろうかと、あまりにも早い退場を、口惜しく思うのです。
(2月26日)

宮城県図書館へ。
仙台の郊外紫山の地に図書館とは思えない、宇宙基地のような建築物が出現したときは驚きました。
周辺は雑木林に囲まれ過去・現代・未来が統合されたよう。
その図書館を会場に「写真家中村ハルコの軌跡」の講演会がありました。
講師は館長の千葉宇京氏です。
千葉氏は、43歳の若さで亡くなった写真家の輪郭を多くの映像を使いながら説明し、最近また写真界で見直されはじめていると語りました。
この分野に疎い自分ですが、全力疾走で撮りまくり、優れた作品をのこした写真家を埋もれさせるわけにはいかない、いつか再評価されるときが来てほしいと願っていただけに嬉しさがこみ上げてきました。
中村ハルコが3人の子をのこして逝ったのは2005年。3年6カ月後に写真集『光の音』は刊行されます。
私は生の本人は知らず、写真集が初対面でしたが、作品の密度にはたちまち魅せられました。
(2月26日)
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▲仙商のあった場所をしのばせる石碑。

「ルノワール展」を見終って昼食をとりに地下鉄駅「国際センター
2階のレストランへ。
ドーナツとコーヒー。
大窓からたっぷりと入る早春の日差し。
川内(かわうち)については「往還集136
にも書きましたが、学生の日のスタート地であり3度目の勤務地でもある此処は、どっと追憶を呼び覚ます場所なのです。これからも懲りずに何度でも書くでしょう。
それにしても仙台商業に着任したのはいつのことかと、紙のはしにメモして計算したら41年まえ!この歳月の長さは今更ながら衝撃的。
校舎は転地してすでにない。辛うじて跡地の石塔が建つばかり。
ときどき思いがけない場所で、働き盛りの元生徒に会う。
私はクラスを持ったとき日刊のクラス通信を出した。放課後のホームルームで渡すとさっそくゴミ箱ポイの生徒もいた。
そういうことを覚悟のうえで、しぶとくやり続けたあの情熱はなんだったのでしょう。  
(2月24日)
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▲ルノアール作「少女」から「秋の野のまぶしきときは」が生まれた。

宮城県美術館で開催されている「ルノワール展」へ。
ルノワールは日本人に大人気。平日というのに館内は、多くの人の静かな熱気。
何といってもあまやかな少女像と滑るような素肌の裸婦像に魅力がある。
ルノワールはなぜこのような制作に熱中したのか。
あまいローマン性を求めたからだけではなく、その人の最も美しい〈とき〉をとらえておこうとした、そのような解説を読んで納得しました。
私の18歳の日の歌(のちに『薄明の谷』収録)に

「秋の野のまぶしき時はルノアールの「少女」の金髪の流れを思う」

があります。初期代表歌として今でもとりあげてくれる人がいます。
学生になった日にスケッチブックを買いました。表紙は長い金髪の少女像。それが気に入って身辺に置くうちに、「秋の野のーー」が生まれてきたのです。
ほんものにも対面できるかと期待しましたが、残念ながら展示からは、もれていました。
(2月24日)
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