【往還集139】29 ネム

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▲ネムの花が満開。夕間暮れ時には鬼気迫る華麗さ。

ネムの花、それは白の綿毛に、ピンクの綿毛の載った、天使のようなやさしい花――と今まではイメージしていました。
じっさい、ひとつひとつを見ると、天からふわふわと降ってきた稚児(ややこ)のようです。
ところがこの木は、意外と繁殖力が強い。
近くに公園が設置されたとき、数々の樹木が移植されました。
そのなかの1本がネムの木。年々大きくなり、あれあれというまに大木です。
花が終り、実をつけると、風に吹かれてあちこちに飛び、そこでまた芽を出していく。 
苗木になったところを家のまえの傾斜地に移植したら、20年かけてこれまた大木になりはじめました。
丁度今が開花期で、いっぱいの花がまるで祭のような彩となっています。
それは、ソメイヨシノよりもはるかに華麗。
最もどきっとするのは、夕間暮れ時。
まわりが暗くなるにしたがって、華麗の域すら越え、鬼気迫るという感じになるのです。     
(7月13日)
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▲高校2年のときの国語ノート。『ファウスト』について、10数ページも書いていた。

「3『ファウスト』」
に、高校時代の国語教科書に一部分載っていて森鷗外訳だったと書きました。
ところが昨日書棚を整理していて、高校時代のノートを発見、2年生のときに習った痕跡を目の当りにしました。
それによると、森鷗外訳でなく高橋健二訳でした。
いやはや記憶なんていいかげんなものですね。
ただ先生が熱を入れて教えてくれたのは事実で、「天上の序曲」(森鷗外訳では「天上の序言」)だけで12頁もノートしていました。 
しかも「人間というものは努力している間は迷うものだ」などには赤線も引いてある。 
高2の連中をまえに、どうして先生はこんなにも情熱を傾けて教えてくれたのだろうかと、今になって驚くばかり。
もしかしたら先生、『ファウスト』ファンだったのかも、20歳から想を練り、82歳にして完成したというこの大作に。
しかもゲーテはさらに加筆しようとしたのだから、これまた驚きです。
(7月7日)

【往還集139】27 推敲・続

推敲を止めないのは、自分の作品に執着し、責任を覚えるからにほかなりません。
文学の面からは美談ですらあります。
ところが読者の立場からすると、それではすまされない。
たとえば、まど・みちおさん。
彼は全詩集を出すたびに、いくつもの作品に手を加える。そのためこちらは高い金を出してまた買わなければならない。
もっとも推敲に関しては、宮沢賢治がさらにその上を行く。
賢治がもし長生きしたなら「銀河鉄道の夜」を際限もなく改変していったにちがいありません。
幸か不幸か生前の刊行物は2冊だけで、売れ行きもすこぶる悪かった。
だからいま研究するものは、改変過程そのものに深い関心を向けているのですが、もし売れる作家だったなら読者泣かせ、出版社泣かせだったこと、まちがいない。
非推敲派、推敲派の岐路は、作品が作者から独立したとするか、なお作者に属するものとするかにあるでしょう。
(7月6日)

【往還集139】26 推敲

『玉城徹全歌集』(いりの舎)がやっと刊行されたので、第1歌集から読んでいるところですが、「樛木後記」に来て私は立ち止まったのです。

「制作からあまり長い時間を隔てた推敲というものの意味を信じないのである」
「発表されたものは、すでに作者の手を完全にはなれたものとわたしは日ごろから考えて来た」

この2つの文は、関連します。
発表されれば、もはや作者の手を離れる、したがって長い時間後の推敲の意味はないーー。私もどちらかというと、玉城徹と同じ立場で、外に出た作品は原則として手を加えません。たとえまずい所に気づいても「これがそのときの自分なのだ、今更格好をつけてどうなる」と諦めるのです。
ところが、これとは正反対の立場もあって、推敲に推敲を重ねて、なお諦めきれず、版を改めるたびに補筆、加筆して止まない書き手もいます。
若い日の作品集に、事こまかに手を加える人さえいます。
(7月6日)

【往還集139】25 秘密基地

家のすぐ近くにある公園には、学齢まえの幼児たち、放課後の子どもたちが集まります。
その遊びぐあいは、たちまち5、6冊の絵本になるような楽しいものです。
ある日「サトウさん、ボク秘密基地作ったよ」
と男の子が教えてくれる。
教えたのでは秘密にならないのだけれどせっかくの〈告白〉だからついていけば、鉄柵を乗り越えた一角に何本もの枝が重ねられている。
「オシッコだってするところがあるんだよ」
というから見ればなるほど穴も掘ってある。 
秘密基地は楽しい。
私も小1か2のころ、近所の友達と作りました。
前沢の裏山に御物見公園があり、下は谷間になっている。
その崖に2人で穴を掘り、ビー玉を収めました。岩板で塞いで「ここは、2人だけの秘密だぞ」と堅く誓い合いました。 
数日後、確かめに行ったら跡形もない。
友人が他の人に教えたとあとでわかり、誓いの頼りなさにがっくりきたのでした。
(7月5日)

【往還集139】24 アフガン

旅行が苦手というのにアフガンには降り立ってみたかった。
それというのも、ペシャワールの会の活動に心を寄せて来たから。
歳を考えたらもう無理、せめてグーグルマップでーー。
土色の山岳地帯が広がる。ここを、世界の強国が、いかに虐げてきたことか。飢餓、貧困にあえぐ地に来て医療活動、灌漑活動をはじめたのがペシャワールの会。
その活動を伝える会報を読みながら、とかく落ちこんだり弱気になったりする自分を叱咤するのです。
132号の中村哲氏のことばから。

「アフガニスタンで起きた出来事から今の世界を眺めるとき、世界は末期的状態にさしかかっているようにさえ見えます。無差別の暴力は過去の自分たちの姿です。敵は外にあるのではありません。(略)このような状況だからこそ、人と人、人と自然の和解を訴え、私たちの事業も営々と続けられます。ここは祈りを込め、道を探る以外にありません。
(7月4日)
藤井貞文は1945年4月、南方の医学専門学校に指導官として着任。敗戦後は現地で捕虜生活を送ります。
その時期の歌に

「英兵の若きが来りて なぐりたり。わが兵 静かに泣きゐたりけり」
「苦役七カ月 反省などのあるべきか。叩かれて 唯だ本能に生く」
「あはれなる捕虜よ、と言ひし蘭兵も 戦に勝てと 罵りにけり」
「悔しければ 勝ちて見よ、と罵れる英兵の顔 今も忘れず」

などがあります。
これらは、戦争とはどういうものかを端的に表しています。
負ければ敗者以外ではない、悔しかったら勝ってみよーーこれが戦争。
戦後70年たったのだから、勝者も敗者もない、沖縄の米軍は出て行ってほしい、北方4島も返してほしいとこちらは願っている。 
しかしアメリカやロシアの政治家も一般民衆も、敗けたくせになにをほざいている、悔しかったら勝ってみろと内心思っているにちがいない。
それが戦争というもの。
(6月21日)

【往還集139】22 「草原の輝き」

映画は映画館で観たいーと思いながら、遠くて簡単に足を運ぶわけにもいかない。
それならレンタル店を使えばよい。
だが店も近くにない。
手っ取り早く、テレビで映画番組を探しては観る昨今です。
今日は「草原の輝き」。
この作品は学生になった1961年に、仙台の映画館で観ました。同年に公開ですから、新作だったのです。監督はエリア・カザン。青春期の苦悩を乗り越えて、それぞれが生活者となっていく、いわば青春映画+成長物語です。
街頭に置かれた映画の立て看には、ワーズワーズの詩も出ており、それを長く暗唱してきました。

草原の輝き
花の栄光
再び還らずとも嘆かず
その奥に秘めたる力を見出すべし

ところが今回の字幕は

草原の輝きは戻らず
花は命を失ったが
嘆くことはない
残されたものに
力を見いだすのだ

でした。
両者を比べたら文語訳のほうがよい。今もって瑞々しい感じがします。
(6月20日)

【往還集139】21 豪華列車

事故以外、とかく話題に乏しい鉄道。
それがこのところ、豪華列車で盛り上がっています。
かつて国鉄には一等車から三等車までありました。三等車しか知らない子どもの私は、特等車を覗きこみ、アメリカ兵とその家族、そして金持ちそうな日本人が乗っているのを見て、自分にはまったく縁がないと思ったものでした。
そのイメージが消えないせいでしょう、新幹線にグランクラスができたときは、イヤーな気分になりました。
ところが今度は、何十万円も料金のかかる豪華列車。
豪華客船のように陸から見えないところを航行するならまだよい。こちらと同じ鉄路を使っているのが気に食わない。
テレビには、子どもまで動員して歓迎する様が放映されている。
その人垣のなかを歩いて行く乗客。
いったいどんな気持ち?
恥ずかしくない?

以上は一族に富豪が一人もおらず、大金と縁のないまま今日に至ったワタクシのひがみです。
(6月14日)

【往還集139】20 奇妙な同棲生活

私が身辺にしている機器は、ガラケーとパソコン2台。
パソコンは原稿入力用とメール用に使い分けています。
以前は1台ですませていたのですが、ウイルスに感染し全て消去という苦い経験があるので、2台にしました。
電車に乗ったときは、ぼんやりと景色を眺めていたいので、スマホは不要。
またパソコンで「往還集」というブログを発信していますが、視聴の人数をただちに知ろうなどと思っていないので、表示機能は削っています。
つまり人並みに現代機器は装備し、利用しているのですが、たえず外部と連絡をとり合っていたいとは全く思わないのです。
そうはいいながら、原稿の入力や、諸事の検索に利用し、アマゾンも頻繁に使っている。 
それなのに他方では最も原始的な書写を、和紙と筆ペンを使って毎朝つづけている。
どう考えても大いなる矛盾なのに、矛盾たちは奇妙に仲のいい同棲生活を営んでいるのです。
(6月13日)
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