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馬場昭徳は1948年長崎市生まれの歌人で、竹山広を近くにみてきた。最近『マイストーン』につづく第4歌集を出した。
「鉛筆を置く」の章に

「自死したる娘のことを語りたりそののち長く鬱病むことも」

がある。竹山が亡くなって2度目のクリスマスに、その奥さん(妙子さんといいやはり歌人)を見舞ったときの歌。
私はかつて80枚ほどの竹山広論を書いたことがある。亡くなった娘への墓参歌が頻出するので、「お嬢さんは病死されたのですか」と問い合わせた。するとしばらくしてから丁寧に返信があり、「娘は自殺だった、以来自分は薬を手放せずにいる、この件は伏せておいてほしい」という内容だ。
悪いことを聞いてしまったと悔いる。もちろん竹山論では、触れなかった。
その竹山広も故人、もう公表してもよくなったのだろう。

「夫ありて苦しかりし日夫なくてさらに苦しき日を耐へにけむ」

この歌も胸を打つ。
(4月22日)
この冬は記録的な大雪。もう春は来ないのではーと心配していたら、森の色がしだいにうごめき出し、黄緑の靄が一斉にかかるようになった。
春はやっぱり来てくれる。
こうなると耕作の再開だ。農具を車に積んで、畑へ。土は雪と雨を吸い込んで、すっかり固くなっている。それを掘り起こすことからはじめる。
と、部落の男たちが20人も通ってゆく。何事かと問えば、イノシシを追い払うのだという。男たちは、棒を持ち、マイクで奇音を発し、さらに爆竹を鳴らして移動していく。イノシシは冬の間カヤを集めて眠り、温かくなると起き上がる。そして腹ごしらえにかかる。そこで今が追い払う時期というわけだ。 
3年まえ、うちのジャガイモ畝も、収穫間近にしてみごとに食い尽くされた。山の食糧が乏しいものだから、里に下りてきて、鼻先で掘り起こす。
その様を想像するとどこか滑稽だが、面白がっている場合ではない。
(4月20日)
仙台文学館で宮沢賢治講座をやってきて、8回目を迎える。
今回取り上げるのは「風の又三郎」。賢治の代表作でもあるから、資料は山のようにある。かたわらに積んで次々と読むうちに、何だか賢治研究家の気分になってきた。本当は研究家でなく、一介の愛好家にすぎないのだけれど。
小学生のころから賢治の名は知っていた。なにしろ、郷土の作家といえば第1に啄木、第2に賢治だったのだから(今ではこの順位が逆転した)。
けれど作品として知るのは「風の又三郎」が最初だ。しかも本でなく、小6のときの映画教室(島耕二監督)による。
そのときの印象は今もって鮮明だ。一口でいえば、異様なまでに怖ろしかった。とくに野原に迷い込んで、いきなり魔性のものの出てくる場面が。
以来、くり返しくり返し、50回は読んできたというのに、畏怖感に慣れることはない。その畏怖の正体へ迫るのが、講座のテーマだ。  
(4月18日)
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▲3年の歳月のうちに、校舎の色も褪せてきている。
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▲新しく建立された慰霊碑。この地区の犠牲者全員の氏名が刻まれている。
  その数、約340人。
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▲小学校の裏側に、篤志による観音像が設置された。そこに「雨ニモマケズ」の石碑もある。

三陸自動車道を「河北」で降りて、北上川沿いの長い道を走る。
春の水は、穏やかで豊かだ。護岸工事が各所で進み、瓦礫の散乱していた田畑もすっかりきれいになった。
やがて大川小学校。
この周辺も、校舎をのこして整地されようとしている。杉山の近くには新しい慰霊碑が建立され、ブロンズ像も加わっている。
さらに学校の裏手には、篤志寄贈の観音像があり、「雨ニモマケズ」の石碑も設置されている。
ここにも、3年の歳月のもたらした変化がある。
慰霊碑には、この地区の物故者全員の氏名が刻まれている。児童74名、教職員10名も含めて、約430名。地形からすると北上川河口に近いが、海は全く見えない。それが津波被害を大きくした。
報道関係はこれまで、とかく小学児童の悲劇に焦点を当ててきたが、全体の犠牲者はすさまじい数だったのだ。
3年の歳月は、そういう相対の目も開かせてくれる。
(4月15日)



「高みよりある日一気に蹴落とさるかかる虚実のあ生るる春先」

これは自作の歌。
今日、小保方晴子さんは会見場に、憔悴しながらも現れた。自分はテレビのまえに釘付けになった。
こちらは科学音痴ながら、ある日突然若く美しい科学者が世界的な発見をしたという報に驚き、いよいよ女性の時代がはじまったと胸を躍らせた。
当然のごとくマスコミも飛びつき、科学以外の〈物語〉を増殖させていく。
が、時がたつにつれて問題点が浮上。〈物語〉造りに手を染めたはずのマスコミは、掌を返したように小保方、理研批判をはじめる。あげくのはてに世界の科学者は嘲笑しているとまで書き立てる。
もし〈発見者〉が冴えない中年男だったなら、これほどの騒ぎにはならなかった。実質よりも〈物語〉を先行させる戦略がこういう事態を招いたといえる。
一時とはいえそれに共振した自分も、〈共犯者〉の一人であることは免れない。
(4月9日)

【往還集129】35 賞

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各分野の賞が次々と発表になる。それに一喜一憂するさまに若い日の自分は、ほとんど白けていた。
だが年齢を重ね、選考する立場に置かれることも増えてきた。そうなって、選考作業がいかに大変がわかった。
以来自分が受賞者に指名されるときは、無下に断れなくなってしまった。
これ、もしかしたらわが身のダラクかもと、まだ引っかかる。
私は数年間宮沢賢治賞・イーハトーブ賞の選考委員をつとめた。ある年、賞にふさわしいと自信を持てる人が候補にあがり、内定した。委員長である自分は当人への連絡係になったが「そういう華やかなことは自分に合いません」と鄭重かつきっぱりと断られた。こちらはがっくり。
しだいにこういう人こそがイーハトーブ賞に値するのだと思うようになった。
授賞式の壇上には宮沢賢治の大写真が掲げられる。「そういえば賢治さんは何の賞ももらっていない!」と今になって気づいた。
(4月8日)
昨日は朗読サロン虹の街主催の「宮沢賢治への旅」へ。
花巻から宮沢和樹さんが来る。和樹さんは賢治の弟清六の孫に当り、花巻駅近くに「林風舎」を経営している。
その彼が祖父から聞いた話を披露する。光太郎は花巻に疎開しており、宮沢家に防空壕を作ることを勧めたという。こんな田舎町は大丈夫と思いつつも助言にしたがって作る、そして賢治の原稿類も保管。すると花巻大空襲。原稿は辛うじて難を免れた。
和樹さんはいう、賢治の原稿はこうして生き延びたが、すっかり消えたものはいっぱいあっただろうと。
この一語に私は、はっとした。もしかしたら賢治級の文物はほかにもあったかもしれない、日の目を見ることなく消失したのも多いにちがいない、それならばそれらは無駄なのか。
いやもしかしたら、無言の積み上げがあるからこそ、一級品が残るのではないか、単独の一級品はありえないのではないかと。
(4月7日)
この人なら、どのように考え、どのように表現しただろうか。
東日本大震災ののち、「この人」についてよく考えた。
そのひとりは井上ひさし氏。
もうひとりは高木仁三郎氏。
どちらも3・11を知らぬままに死去した。特に高木氏は原子力の専門家。実際に福島の事故を目の当りにしたならーー。
彼は早くから原発の危険性を訴えてきた。その語り口は決して激烈ではない。むしろ穏やかだ。けれど核心へと迫る切っ先は鋭かった。『原子力神話からの解放』(講談社文庫)には

「このシステムに破綻が生じたときには、内部に蓄えられた膨大で有害な放射能が大量に環境に放出される可能性を、どうしても否定できません。」

と書いている。この本の初版は2000年、すなわち事故の11年まえ。想定した事態が、図らずも現実の事となってしまった。天国からでもいい、思いのたけを伝えてほしいと、かなわぬ願いを抱いてきた。
(4月6日)
住宅(すみたく)顕信(けんしん)という俳人がいた。白血病で、25歳の生涯を終える。その彼の

「ずぶぬれて犬ころ」

が忘れられない。これ、「ずぶぬれの」では句にならない。「ずぶぬれて」だから句になる。 
さて、私は『山崎方代全歌集』を読んでいる。まずは第1歌集『方代』。これまでもくり返し読んでいて、どこになにがあるかは熟知しているつもり。だのに見過ごしている1首があった。

「ずぶずぶにぬれたる犬が袋小路をあてなく通り又通りゆく」。

ここに登場する犬には、放浪する方代自身が重ね合わせられているだろう。行く当てもなく、ひたすらにみじめな自分。
これをまえに「ずぶぬれて犬ころ」が閃いたのは当然といえば当然。なんと似ていること!
けれど、どちらかといえば句のほうがみじめ度が高い。
その理由は時間の有無に関係する。方代には「通り又通りゆく」時間がある。
それに対し、住宅は一気に無時間へと切り込んでいる。
(3月28日)
今朝の『眼蔵』書写は「菩提薩捶四摂法」の「(〇五)」。

「しかあれば怨親(をんしん)ひとしく利すべし、じた自佗おなじく利するなり。」

石井恭二訳では「このようであるから怨みのある人にも親しい人にも変わらずその利益を計らなければならない、その行いは自他にとって同じ利益となるのである。」となる。
これ、どこかで聞いたことあるのでは?
そう、「マタイ福音書」。塚本虎二訳『新約聖書』では、こうなっている、

「敵を愛せよ。自分を迫害する者のために祈れ。」

仏典や聖書を読んでいると、思いがけないところで共通点に出会い、びっくりする。もっとも「マタイ」では「あなた達が天の父上の子であることを示すため」と付け加える。道元では、こうした心ばえを持てば「心身は草木や風や水にも自づと活らいて、変わることはない」とする。
そこで問題は、神と自然は対立し、いがみ合うほどに違うのだろうかということなのだ。
(3月27日)
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