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私の記憶は2歳半にはじまる。
年齢を特定できる動かしがたい〈証拠〉があるのです。
父親の弟に四郎叔父がいました。
海軍に召集されたのち、軍人募集の命を受けて釜石まで出張。
その帰途、花巻近くの駅似内(にたない)で空襲警報が出る。
軍人たる自分は民間人の全員退避を見届けなければならない、
退避終了、
降りよう
としたとたん、直撃を受けて即死。
終戦3日まえのこと。
これら経緯は後になって聞いたこと。
そんなこととも知らず、母親と手をつないでカラタチの垣根沿いを歩き、寺に入りました。
海軍姿の叔父の写真。
読経にあきあきしたころ、いきなりジャーンと大音響。
驚きのあまり泣き出す自分。
本堂の外へ連れ出す母親。
今でも葬儀の最中に、ジャーンが鳴るとドキッとします。
終戦後、見知らぬ女性が訪ねてきました。

「四郎は亡ぐなりすた」

と告げると、ハンカチを目に当てて、帰っていったそうです。
(1月4日)
私は歌会始の選者要請を受けたことはないし、陪聴者に推薦されたこともないという、ごくフリーな立場です。
テレビでの放映は何度か見ています。その第一印象は、会場の皆さん終始威儀を正している、皇族の方々はほとんど不動、黒目だけが動いているというものです。
緊張するとすぐに尿意を覚える自分には、こういう任はとても耐えがたい。
それはともあれ今井恵子さんははじめてゆえの観察を、つぎつぎに披露している。
式場への呼び出しは年長者から年少者の順。

「声を契機に、土俵の下から土俵の上へ、つまり、日常から非日常の儀式へと参集者の意識がかわる。」

「人は肩書、つまり社会的地位や役割としてそこにいるのだと思わせられる。」

「わたしは、ふっと自分の顔を何処かにあずけ、輪郭になったような気がした。」

これらの自己観察・人間観察がじつに冴えている。
「この項続」とありますから、次号も楽しみです。
(1月3日)

短歌をやっていてなんともかんともさっぱりしないのは、宮中歌会始の問題が出たときです。
天皇制国家を補填していると真向から難じる作家がいる一方では、全国規模短歌コンクールの最大規模であるにすぎないと、過剰な意味づけを払いのける歌人もいます。
しかしたいていの歌人は、入選者を過度に持ち上げるマスコミに苦い思いをしながらも、実態がわからない。
これ以上は「立入禁止」の気になって遠ざけている。
そのくせ陰では、あの人は選者の要請を断った、主宰が断ったから弟子も受けるわけにはいかないなどと〈ここだけの話〉に興じる。 
私は、是非を論ずるまえに実態をまず公開してほしいと願ってきました。
それをかなえられそうなエッセイがやっと出てきたのです。
今井恵子「短歌渉猟1 宮中歌会始」(「短歌研究」2017年1月号)です。
今井さんははじめての陪聴体験をごく客観的に記しています。
(1月3日)
今日は、2017年1月2日。
私の誕生日です。
2日であることはとかく注目からはずれる。大晦日は紅白を聞き、除夜の鐘が鳴る頃にやっと床について翌日は寝坊。元旦は元朝参り。 
これが子ども時代からの習いでした。
その翌日に誕生日の者がいるなどは忘れ去られている。
「今日、オレの誕生日だよ」とでもいわないかぎり気付いてくれなかったものです。
なにはさておき74歳を迎えました。
この年齢はとうに働き盛りからは弾け飛ばされていますが、世間で話題になるほどの超高齢でもない。
しかし人知れず、新しい境地を抱くときでもあります。
若い日にはこれからの時間が無限大と感じられた。
けれど今は生の時間に限定があることが実感される。
これはすべての生き物の自然法則。
これからはこれまで〈敵〉だった病とも〈共生〉し、死へも徐々に手をのべていこう。
この心境、私にとって新しい出発点です。
(2017年1月2日)
穂村弘氏の「日本語通訳機」(『短歌』2017年1月号)に

「日本にサマータイムがあったこと「サザエさん」の三巻に知る」

が。
「サマータイム」とは久しぶりのことば。というよりはすっかりお蔵入りになっていたのですが、この一首で私の記憶は俄然甦りました。
小1のとき、まともにサマータイムの実施に出会いました。
夏場は夜明けが早い、それを有効活用しない手はないとアメリカさんは考えた。
そこで何月何日何時から時計を1時間ずらすことという命令を出し、日本中が従った。 
その朝、父親は踏み台にのぼって柱時計を1時間戻した。
つまり6時を5時にした。
学校もそれに合わせて登校。昔の子どもは早起きだから、全員がきちんとそろった。
ところが担任の先生がこない。
1時間たったころ、先生が目をこすりながら自転車で駆けつけた。
この政策、各方面に不評だったらしく長くつづきませんでした。
(12月31日)
ブログに「短歌のピーナツ」があります。参加者は、堂園昌彦・永井祐・土岐知浩の3氏で、歌書を読みこんでは論評する。
最近はどの分野でも難しい本は敬遠される。そういうなかで、あえて歌書にアタックする意気ごみに、まず敬意を表したい。
対象になっているのは、吉井勇『東京・京都・大阪』、篠弘『近代短歌論』、岡井隆『現代短歌入門』などなど。
この作業はかなりの労力を要する。苦労してもすぐさまの見返りはほとんどない。
いわば手弁当作業です。
私はこういう作業こそが大切だと思っています。後々の自分の財産になることまちがいなし。
自分らも手弁当作業はよくやりました。特に記憶鮮明なのは「コロキウムIN京都」。
永田氏の呼びかけに応じて春先の京都に参集。費用は全て自分持ち。
2日間、一時の間も惜しんでの研究・討議。いわば手弁当による猛勉強会。
あのときのメンバー私以外は皆さん大物です。
(12月31日)
私と同じ年代なら覚えているでしょう、鹿野(しかの)君事件のあったことを。
いじめ自殺事件です。
当時の教育界を揺るがし、ずいぶん対策も練りあげられました。
だのにそのときの積み上げがなかったかのごとく、悲しい事件はつづいている。
そのたびに担任は、学校はなにをしているかというバッシングが生じ、マスコミも同調する。
さらにあたかも教師が無能であるかのごときイメージをつくりあげてしまう。
私は現職時代長くスクールカウンセラーを勤め、専門のカウンセラーや病院とも連携しながら危うい生徒に付き添ってきました。
しかし〈手柄話〉としていちいち公言しないのがこの界の鉄則です。
だから外部には伝わらず、事が起きたときだけ過剰反応が突発する。
私の経験から推量するに、たいていの教師はよく踏ん張っている。
ただ良い面については、当たり前のこととして社会的話題にもならないのです。
(12月30日)
柏崎驍二『四十雀日記』に

「事故死せし子の家を三十年ぶりに訪ひわが教職のことへむとす」

があります。
柏崎が高校教師を定年退職したのは、2002年のとき。
職を退くにあたって、かつて事故死した教え子の家を訪れる。墓前にもお参りしたでしょう。
それだけ、若くして亡くなった子のことが、ずっと心にかかっていたということです。
私の元同僚にも、退職の知らせをなによりもまず亡き教え子に告げに行った人がいます。その子は自死でした。
わが身をかえりみると、定年退職するにあたっていちばんほっとしたのは、担当したクラスで亡くなった子は一人もいなかったということです。
他の同僚には、事故死・自死の生徒に出会うひとが何人かいて、その悲嘆ぶりをかたわらにしてきました。
教師にとって、教え子の死に出会うほど悲しいことはない。
それは今も昔も、戦争時代だってかわることがありません。
(12月30日)
心のぬくもる話を読みました。詩誌「左庭」35号の岬多可子「彼女の日々」。
岬さんには小児科をやっている友人がいる。幼いころから病弱だったことで、早くから医師をめざし、希望がかなった。
ところが脳梗塞を発症し、そのまま勤務先の病院に入院。
言語の中枢がやられる。
いったん復職するが再度発症し、ことばがほとんど出なくなる。
が、医師の立場から、ことばを再獲得する過程をじっくり冷静に観察。
ふたたび職場にもどれるまでになり、乳児健診もする。そのときのことを友人はいう、

「言葉が出にくくなった分、赤ちゃんと意思疎通できるようになった」

そういうことがあるんだねえと胸が熱くなりました。
人は自分の弱さを起点にして他の人を理解すぐことができる。
強い人には見えないところも感じとることができる。
弱さはけっしてむだなことではない。
これは自分自身への弁護あるいはエールでもあります。
(12月29日)

スベトラーナ・アレクシエービッチ『チェルノブイリの祈り 未来の物語』(岩波現代文庫)を開きはじめた私は、胸を鷲掴みにされた気持ちでいます。
冒頭に出てくるのは消防士として原発に駆けつけやがて亡くなった、その妻の聞き書き。 
一瞬にして暗転するすさまじさは福島の場合も本質的に変っていない。
福島でもあと10年後、20年後には書かれなければならない。
敵対・愛憎を超えて人間の深層が見えてくるには、それだけの歳月が必要。
スベトラーナ・アレクシエービッチさんは「見落とされた歴史についてー自分自身へのインタビュー」に書いています。
これはチェルノブイリについての本ではない、

「なにかを理解するためには、人は自分自身の枠から出なくてはなりません。感覚の新しい歴史がはじまったのです。」

と。
通常のドキュメントに終らないその域を超えたもの。私も、そのことを考えはじめています。
(12月25日)
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