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2016年5月9日

『キリンの子』から引用する。

「夜だけはみんな死んでた夜だけはひとり起きてた(夜だけが味方)」

「長靴をどろんこにして帰る道いくつもの空の波紋をまたぐ」

「土煙(けむ)り不在の父に会いにいく夏影冷えて黒い遮断機」

「みずいろの色鉛筆で○つけるこんなに長く今日も生きたよ」

「紙飛行機手から風へと放つときひこうきは空の窓通過する」

『風の蟬』から引用する。

「争ひに負けし鴉が飛び立ちて中洲に重き風圧残れり」

「駅裏は喧噪極むる蟬しぐれ鳴かざる蟬が大樹を抱く」

「雑踏に鈴の音ありて托鉢の少年僧の笠の白雪」

「燃えのこる燠火のごとく吾が裡に短歌に魅せらるるこころ尽きせじ」

私も時々、短歌の批評会に出ることがある。そういうとき、難しい論議とはべつに、「堅苦しいことはわからないが、ただ短歌を生きがいとしている」と発言する〈大衆〉歌人を目撃することがある。
これこそが原点だと、私は初心にかえる。
2016年5月9日
歌誌や歌集をよく読む。
そこで出会う歌人たちの多くは、歌を自己表現の手段として選び、文学の1分野だと考えている。
私もまた、こういう気風をいつのまにか前提にしている。
だが気風などとは全くべつに、作ること自体を存在の支えとする人もいる。
たとえば鳥居『きりんの子』、またたとえば山口伊満(いま)『冬の蟬』。
私は同じ時期に2冊を読んで、内心、衝撃を受けた。
前者は「天涯孤独のセーラー服歌人」として、〈戦略的〉な売り出されかたをしたが、作風は同年代の歌人との比較でいえば、旧時代的。その分、技術的なうまさがある。
後者もやはり若い日に数々の辛酸をなめてきた経歴があり、96歳になってはじめて第1歌集を出した。これまた技術的には驚くほどしっかりしている。しかも歌の世界が大きい。
このふたり、短歌で表現することを、生きる糧にしてきた。いうなれば、歌うことが存在証明ともなっている。
2016年5月5日
紙と鋏があれば、手が動く。
まず紙を半分に折って鋏で切り込んでいく。細かいところまで終り、さーっと広げる。
すると、さまざまな鬼さんが出てくる。
これが得意で、子どもたちにおみやげにあげる。
現役の時は受験シーズンが近づくと、Vサインをした鬼を台紙にはり、合格祈願のお守りとして50枚も作った。
その切り絵、風除室にもいっぱい貼ってある。
現在地に引っ越してきたとき、人家は少なく、まともに蔵王颪がやってきた。これはたまらんと、玄関をガラス張りの風除室で囲った。
周辺は森に囲まれているから、小鳥たちもやってくる。
ところがガラスに映るのが、ほんものの空だと勘違いして、体当たりする。脳震盪を起こすことしばしば。
これはかわいそうと、切り絵を貼って防ぐことにした。
以来衝突する小鳥たちはいなくなった。
道行く人がなんと芸術的なとほめてくださるが、目的は小鳥さんのため。
2016年5月5日
あまんきみこさんには、タクシー運転手松井さんを主人公にしたシリーズがあります。ほんわりと、心のあたたまる話の数々。
そこであまんさん自身も、ほんわかした作家と思われがちですが(いや少しはほんわかしていますが)それだけではない。
「すずかけ通り三丁目」に来ると、私はいつも切なくなります。
その日のお客さんは「四十ぐらいの、色のたいへん白い、ふっくらした女の人」。指定された所に着き、松井さんは車で待っている。すると家のほうから楽しそうな笑い声が。
帰りに女の人は、松井さんに話すのです、大空襲で3歳の双子を死なせてしまったことを、それが22年まえの今日だと。

「むすこたちは何年たっても三歳なんです。母親のわたしだけが、年をとっていきます。」

料金を払おうとして出したのは「茶色ですじばったおばあさんの手」。
あまんさんには、生と死の世界を行き来する作品がけっこうあります。
2016年5月4日
最近放送関係、新聞関係の人と会い、話をしたり逆に聞いたりする機会が何回かあった。

「ひどいですよ、現場は萎縮していますよ」

は放送関係。

「この頃の「朝日」はだらしない、もっとしっかりしてくれなければ」

は、保守系新聞の人。
保守なのに「朝日」の批判なんかしていていいの?けれど彼も、鋭い記事を書くと削除されてしまう悔しさを抱いている。
自分の気持ちにそぐわない職場なら辞めるのが一番、それはわかっている。実際にすでに何人かは去っている。
しかし私の希望をいえば、簡単に辞めてほしくない。内部でぎりぎりの、合法的抵抗をすることは大事だからだ。それが欠けてしまうと、一挙に空洞化してしまう。
学校もまた国家統制の見え隠れする職場、若いときは何度も見切りをつけようとしたが、定年までなんとか持ちこたえた。
屈服の姿で抵抗する、しかもそこに笑いもまじえる、この手法を手に入れていった。
2016年5月2日
前章のつづきを少し。
私は視力衰弱を診てもらおうと眼科へ行き、新しく眼鏡を作ってもらうことにした。
その技師の人と話していているうちに、彼も閖上近くで被災し、職場も喪い、しばらく他県に住んでいたとわかった。

「また復興なんてできないですよ、無理ですよ」

と彼は実感をこめて重く語った。
それでも仙台へ帰ってきて、生活を営みはじめている。
こういう人々が何と多いことか。
ところで神山さんの本でとりあげておきたい章がもうひとつある。
「尊敬と愛と自由と幸福」。

「人生は悲しく、つらいことばかりではない。政治を憂え、国家の現状に絶望的になり、経済も社会もまったく先がないように思われることもあるのだが、日々の生活のなかで、何でもないことに喜びや幸せを見いだしているのも、私たちの人生ではないだろうか。」

神山さんもこういうことを、何の衒いもなく口にできるようになった。ほっとする。
2016年5月2日
静養生活をして1か月半。
この間に読んだ本から、印象深かったのをとりあげておきたい。
神山睦美『日々、フェイスブック』。
神山さんは3年まえからフェイスブックに投稿しはじめる。そのなかから選んで編集したという。固い著作の多いなかで、これは珍しく柔らかい。おまけに活字も大きいから、視力衰退中の自分にも読みやすく、引きずりこまれるように読んだ。
「復興という強迫観念」がある。震災後、

「日本全体が、いや世界全体が復興しなければという強迫観念に襲われていることに問題があるのではないか。」

この言、私も同じ思いだ。
マスコミはとかく復興のほうへむけて番組を作りたがる。
だが旧に復し、さらに盛り上がることはまずありえない。喪失感を引きずり、時には心身を病みながらも、「がんばる」ことなく、自然の時間へ身をゆだねていく、それが結果的に、ある積み上げとなっていくのではなかろうか。
2016年4月30日
昨夜のEテレ「団塊スタイル」は、「森山良子・葛藤を秘めた歌手」。
私は森山の歌が好きで、長く聴いてきた。その彼女も68歳。
さすがに声艶(こえつや)には衰えがある、それでも高音と声量は健在だ。
とはいえ、今日まで順調にきたわけではない。50歳のときいきなり声帯異常に陥り、いくつもの予定をキャンセルした。時間をかけてやっと復活した。
更年期にさしかかり、ホルモンのバランスが崩れたことなどが原因ではなかったかとふり返り、自ら「第2変声期」と名づけている。 
目下声帯を病んでいる自分にとっても、他人事ではない。
こちらの場合、中学時代の変声期を第1とすれば、11年まえが第2、そして今回が第3ということになる。
それぞれに心身のバランスの崩れる時期に当る。
1か月半たって少しずつ作動しはじめた自分、そろりそろりと仕事への復帰を手探り中。 
第4の変声期はもうありませんように。
2016年4月26日
書店の数が激減した。本はできるだけ実物を手にしたうえで買いたいから、街へ出たついでに書店に立ち寄る。
けれど売れ筋がずらーっと並んでいて、こちらが欲しいのはめったにない。
いきおいアマゾンへ発注することになるが、到着日があまりに速くて、かえって不気味だ。 
ちなみに最近注文したのは、

●デーヴ・グロスマン『「人殺し」の心理学』、●スベトラーナ・アレクシエーヴイチ『チエルノブイリの祈り』『戦争は女の顔をしていない』、
●柏崎驍二『北窓集』、
●ドナルド・キーン『石川啄木』

などなど。
それらのほとんどが翌日、遅くても翌々日に届いた。
驚くではないか。注文した以上、すこしでも間隔をおかずに手にしたい。
けれど、これでは「待つ」時間が削り取られる。
それに、受注してから配送・配達するまでのシステムのどこかで、肝心の人間を壊しているのではないか。そのことがどうしても気がかりになるのだ。
2016年4月25日
自分は73歳。交通の便利でないところに住んでいるから、車は必需品。
とはいえ、そろそろ行動半径は狭まり、感覚だって鈍化するから、あと1回免許更新したら卒業しようと思っている。
これまで使っていたのは四駆の軽。坂が多く、雪も半端でないから四駆でないと太刀打ちできない。
ところが東京の孫がふたりになった。時々こちらに泊まりに来る。いまやベビーカー設置が義務づけられている。軽ではかなりきついため、この3月に普通車に買い替えた。
「スバルXV」。
スポーツタイプの新車に、モミジマークを付けるのは、車に申し訳ないがこの際やむなし。
実際使ってみると、人間の感覚の及ばないところを色々カバーしてくれる。
こと細かに注意までしてくれる。
その性能の行き着く先は自動走行で、目下のあちこちで実験されている。
だが過度の便利さは、人間から運転の快楽を奪ってしまうことまちがいない。
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