往還集134の最近のブログ記事

2015年9月19日
国会周辺は強行採決をまえに、防護壁用の車で固められた。抗議する人々が歩道まであふれないように。
私はテレビで固唾を呑んで見ていたが、とっさに浮んだのは岸上大作

「装甲車踏みつけて越す足裏の清しき論理に息つめている」

だった。
60年安保当時の装甲車は丈も低かっただろう。
今度はそう簡単には踏み越えられないが、やる気ならできる。
しかし最後の場面にきても過激さに出ることはなかった。
それが今回の特徴でもある。
45年まえ、岸内閣は全国的な反対運動を無視して安保を可決させた。
もはや議会民主主義は機能しない、体制を打破しなければ展望は開けないと先鋭化させていったのが「清しき論理」だ。
今回特に若い世代は、抗議運動など無視してはばからない政治を、まざまざと見た。
問題はそこからだ、無力感にさいなまれて後退するか、選挙で立て直そうとするか、論理を先鋭化させようとするか。
2015年9月11日
今日は瑣末なことですが、気になる2点をとりあげます。
まず第1点。
明治大学法科大学院教授が、教え子に問題をもらしたと報道されました。
出題に関与する立場の人間が、教える立場にもあるなんて、一般人にはそもそも不可解。 
そしてまた、もらした相手が「女子受験生」と性別を特定する報道も不可解。
なぜ、ただ「受験生」「教え子」ではだめ?「女子」と明示することによって、男女のただならぬ関係まで匂わせてしまいませんか。 
第2点。
時々美術展へ行きます。
絵画の脇には解説も掲示されている。解説文は研究員や学芸員の腕の見せ所。描いた背景を知るのは鑑賞の役に立つこともある。
だがあまりにも中身に入りすぎて、作品の見方を誘導する傾向になりがち。
こちらは、ひとつの絵画と静かにじっくり対面し、対話したい。
そこに割り込んでくるなんて、よけいなおせわ。
解説は、ほんの最小限でけっこうです。
2015年9月19日
未明、安保法案はついに強行突破となった。憲法学者の大半がこの法案は違憲であると明言しているのに、数をたのんで強行する安倍内閣という独裁性。
戦後日本はここで大きな曲がり角へさしかかった。
私は茱萸坂へは行けなかったが、仙台の反対集会には足を運んできた。
西公園に集ういっぱいの人々、そのなかのひとりとして声をあげ、街頭を練り歩く。
若い人も老いた人も、幼児をおんぶした人も、その他さまざまな人が、雨中にもめげずに詰めかける。
60年安保の熱気が、55年ぶりに甦ったーーと思う。
けれど、学生の日に度重なる集会に参加し、過激なデモもくり返してきた身には、なにか、浦島太郎になって陸に帰ってきたような感じもする。
集会を司会する声には迫力がない。
デモもただ声を張り上げて歩くだけで、けっしてジグザグに出たりはしない。
どこにも暴力性の存在しない、平和な抗議集会なのだ。
2015年9月10日
常総市で堤防が決壊。電柱にすがりついたまま救助を待つ人がテレビに映る。電柱も、支えになっている樹木も危ない。
それ以上にこの人の体力がなくなったら、たちまち濁流に呑まれる。
救助のヘリは数が足りないのか、なかなかやってこない。
その間、取材のヘリが撮影しつづける。
人が生死の境にいる切迫したリアルな場面、多くの人は心を痛めながらも目が離せない。内心では、撮影なんかしていないで救助したらどうなんだと報道ヘリに腹を立てながら、そうもできないことを知っている。
知っているけれど何んともかんともやりきれない。
いったいぜんたい、こういう事態をどう納得したらいいのか。
私にはいまだにわからない。
同じような記録は大震災のときも、戦争のときも数限りなく見てきた。
なかには世界的反響を呼び、ピューリッツアー賞を得るのもあるが、ああいうときの受賞っていったい何なのだろうか。
2015年9月5日
3・11の夜以来、私は歌を作った。今までになくあふれ出た。
担当している新聞歌壇にも、震災詠はつぎつぎに寄せられた。
そういう動向をもって「ことばには力がある」といわれはじめたとき、ひどい違和感を覚えた。
どんな大災害に遭っても人間にはことばがある、ことばを通して結び合い再起していけると激励したい気持ちはわかる。
けれどこちらは徹底した破壊をまえに、ことばの無力を思い知らされていた。
だのに作品が生れたのは、定型と現実を直叙する手法がこの分野に蓄積されていたからだ。
熊谷達也氏も

「徹底的な破壊と混沌と、そして大量死を前にした時、言葉は無力だ。」(「私の一冊」「仙台文学館ニュース」29号)

と明言している。

「その時点で、小説家としての私は、おそらく一度、死んでいる。」

ともいう。
歌人も同じようにあの時に死んだ。
ただ定型の存在によって、死に体は辛うじて支えられただけだ。
2015年9月2日
「塔」の歌人川本千栄を歌集、評論ともに注目してきた。
うまいから、というのとはちょっとちがう。歌をいくら作っても、どこかに剥落感がのこる。

「重ねても重ねてもこの色ではない詠っても詠ってもこの言葉ではない」

という通りなのだ。
そこが私にとっては逆に興味深い。
『樹雨降る』は最新歌集。そのなかにこういう一首が。

「妻という女をしま匿い男らは一人で生きているがに働く」

川本は教師。男性の同僚と共にいる。
この男たち、結婚し妻を持っているはずなのに、まるで一人のように働いているではないかーー。
私自身、妻も子もいるのに独身者だと長い間思われていた。
この逆に、女性教員には職場に家庭を持ちこむ人がけっこういる。すぐ近くの席の人などイスに坐るやいなや姑の悪口をまくしたる。それが終ると今度は、優秀な息子の自慢話。
来る日も来る日も。
彼女には家庭と職場の段差はまるでなく、地続きだった。
2015年9月2日
宮柊二の『多く夜の歌』は1961年刊。はじめて読んだのは学生の日だった。
その時代、学生の経済状態は歌集を買えるようなレベルにはない。
選集ながら『群鶏』『山西省』に感銘を受けていた自分、新歌集が出たというので読みたいと思っていた。
そのことをなにかの折に話したところ「短歌人」の大和克子が貸してくれた。
さっそく読んでみた自分、『山西省』とはまるでちがう平板さにがっかりした。
こちらが若かったせいもある。
今回再読してみてやはり平板の印象は同じ。けれど家族と仕事を抱える生活者の日々、内に堆積する憤怒は、若い日の宮肇(柊二の本名)の心の在りようと通底する。

「悲しみを耐へたへてきてある某よ夜せしわが号泣は妻が見しのみ」

この悲しみがなにを起因とするかはわからない。
内にこらえられるだけこらえて、ついに噴出してしまう激しさは、『群鶏』のものであり『山西省』のものでもあった。
2015年8月30日
短歌大会で、扇畑利枝さんと一緒になることが何度かあった。
そのとき「お父さん」のことが話題になった。
お父さんとは扇畑忠雄氏のこと。
「お父さん、ほかの人には穏やかにみえるけど、家では怒り出すと凄いんだよ」というのだ。
この〈私〉へ帰ったときの憤怒ぶりは、歌にも出ている。

「人に世に憤るは老いの常といへはびこる金権の悪は許さず」
「愚かなる国の政治など信ぜざれ怒り収めて眠らむとする」
「民衆の一人として民衆に恃みたる心のゆらぎ老いて忘れず」

故扇畑忠雄は東北のアララギ系重鎮とされ、政治的に保守的な弟子もけっこういた。
が、戦中体験をけっして忘れることなく、最後の最後まで政治悪を許すことはなかった。 
その憤怒と

「老いてなほ美しきもの吾は見む若かりし日に見えざりしもの」

のローマンのまなざしは同居した。
こういう歌人の在りようが、今はなつかしく、またつくづく貴重だと思われる。
2015年8月28日
夏休み明けには小・中学生の自殺が増える、いじめ自殺事件もなかなか鎮静化しようとしない、注意して観察せよと教育委員会はいう。 
若い日に何度も死の想念に見舞われてきた自分は、ひどく胸を傷める。
同時に大人の無力を思わずにいられない。人が自らの生命を断つとき、ほとんどサンなしに実行するのが常だ。教師がどんなに観察しても、残念ながら限界がある。
わが子が自殺すると保護者はとかく学校の責を問うが、「親ですら気づかないことをどうして他人である教師がわかる!?」と逆に問われたら、しどろもどろになるほかない。
外部の目にサインはほとんど見えない。
ただし人によっては隠されたそれを感受できる。できても有効な打つ手はない。それとなく寄り添っているだけだ。
私は長く校内カウンセラーをしたが、年度の終るたびに、心配していた子たちも死なないでくれたなあとほっとするのが常だった。
2015年8月27日
自動車の高齢者講習会を受けてきた。
これまでも免許更新のたびに免許センターへ行き、多人数での講習会は経験している。今度もそんなものだろうとたかをくくって会場の自動車学校へ行ったら、受講者はわずか3人。
交通安全の講義にはじまり、道交法改正の説明、運転適性検査、教習コースの実際の運転と、かなり濃密なものだった。
ほぼ3時間もかかり、終わったときにはさすがに疲れた。
はじめ受講料5600円は高すぎると思っていたが、実際にやってみて納得。自分の総合診断は「全般的にやや優れています」だったから今回は一安心だが、頭ではまだまだ老いていないと思っても客観的には徐々に変化が生じている。
そのことに素直に耳を傾け、老いとはどんなものなのかじっくり観察してみようという気持ちになってきている。
生・老・病・死の最大のドラマ、これを包含する〈自分という舞台〉を見逃す手はない。
前の10件 1  2  3  4  5

このアーカイブについて

このページには、過去に書かれたブログ記事のうち往還集134カテゴリに属しているものが含まれています。

前のカテゴリは往還集133 140字偶感篇です。

次のカテゴリは往還集135です。

最近のコンテンツはインデックスページで見られます。過去に書かれたものはアーカイブのページで見られます。

ウェブページ