往還集134の最近のブログ記事

2015年10月15日
「私は総理」と公言して恥じない人が、今度は「一億総活躍社会」を語り出した。
「八紘一宇」を口にする閣僚もひどいが、これまたひどい。
そのうち「一億総玉砕」「一億総懺悔」まで高唱しはじめるのでは。
なんということばへの鈍感さよと腹を立てながら、もしかしたらーー考える。
これは高齢者を立腹させて刺激に転化し元気づけようという策ではないか、いや逆にストレスを倍加させ早めに消えてもらおうという策かもなどと。
私は72歳、車にもモミジマークをつけるようになった。
この年齢になったらできるだけ表舞台からは消えていこうと、あれこれの役やら仕事やらを退くようになった。
80を越えたら完全な隠棲に入ろうと道筋も考えていた。
ところが最近の政治家のひどさに俄然炎上して、隠棲・隠遁どころじゃないぞと再考しはじめた。
問題はこの刺激がエネルギーになるか、それともストレスになるか、だ。
2015年10月14日
仙台にも大型書店はいくつかある。家から遠いのでついついアマゾンに注文してしまうが、本心ではやっぱり実物を見たい。装幀、活字の並び、紙の手触りなど確かめてから買いたい。
そこで月に数回は書店に足を運ぶが、そのたびにひとつの感覚に襲われる。
書棚には多くの分野の本が並ぶ。医学、法学、文学、宗教、音楽、美術その他諸々。
私の関心領域は比較的広いほうだが、それでも全体からしたらごく一部にすぎない。
ほんのひとかけらを口にしただけで、生涯を終ってしまうのだ。
書棚をめぐりながら、えもいわれぬ寂寥感に襲われる。
学生の日、いつもの通学バスを遅らせて乗ったことがある。
すると乗客は全く見慣れない世間の人たち。自分はこの世界のごく一部に触れて生きているだけなのだ、これからもきっとそうだろうーーと思い、身を切るような孤独感に襲われた。
書店に立つときの感覚も、あれと同じだ。
2015年10月13日
雁部貞夫『『韮菁集』をたどる』を読んでいて、秋山牧車の名をはじめて知った。本名は秋山邦夫、陸軍報道部の責任者。土屋文明、加藤楸邨一行を大陸に送り出したのも秋山という。
その1か月後秋山自身がフィリッピンへ送り出され、俳人秋山牧車として戦争詠を作る。『山岳州』にまとめられているいうので、とりよせて読んでみた。
戦地はすでに敗色濃く、苦しい戦いを強いられている。

「蛍いきいき砲声に追いつかれたり」
「炎日を仰ぎて紛れなく死にき」
「稲妻や縦列消えてまた見ゆる」
「草の芽の幕舎に萌えてひもじさよ」

4句目は収容所に入ってからの作。
このような迫真性ある戦争句を作る俳人を、いまごろになって知ったとは。
戦争詠とはかぎらない作品にも、はっとするのがつぎつぎとある。

「吸うと見え吐くと見えたり蛍闇」
「美しや稲妻虹を切りくだる」
「激湍や宙へとぶとき蛇の棒」
「雲の峯音たてて貨車つながりぬ」
2015年10月8日
今年もノーベル賞の季節。
理系二人の受賞はうれしいことだが、平和賞のほうは九条の会も核兵器廃絶の会も落選で残念!
けれど平和賞にはさまざまな問題がある。1979年のマザー・テレサ、93年のネルソン・マンデラなどは多くの人が納得できる。14年のマララさんになると、この年少で大丈夫?と首を傾げたくなる。
日本では74年に佐藤栄作が受賞しているが、この場合は最初から納得できなかった。非核三原則を提唱したという理由だったが、近年になって核持ち込みの密約が暴露された。 
そもそも政治にはいつでも表裏があるから、現役の総理や大統領を登場させるのは危ういのである。
もし私に推薦の権利があるなら、ペシャワール会を是非推したい。
これこそが日本人の誇れる、力によらない国際貢献だ。
いまだ候補になったことはない。
だが、世に騒がれない、地道な活動こそがほんものだとはいえる。 
2015年10月7日
昭和最後を飾る傑作コピー、それは「愛は決してーー」。
昭和天皇の崩御は1989年1月7日。
直後の1月10付「筑波学生新聞」に「ラブホテル深夜張り付きルポ」が掲載された。 
この記事を切り抜いて保存してきたが、変色し、保存限界なのでここに再録しておきたい。

「つくばの年末年始は静かだ。筑波大生の多くは帰省する。しかし、在筑している者はこの冬休み、特に大みそか、正月という国民的行事の日に、一人でいなければならない。もちろん、東京に遊びに行くという手もある。しかし、それはただの″逃げ″でしかない。記者は自分の寂しさに立ちむかうため、NHKで谷村新司が『群青』を歌っているころ、筑波大に最も近いラブホテル『T』を深夜三時間にわたって張り込んでみた。もちろん寂しさの敵は愛だ。そして、愛は決して自粛しなかった。」

これを書いた「筑波学生新聞」の人、今はどこでどうしているだろう。
2015年10月5日
藤島秀憲は「心の花」の歌人。歌文ともに読ませる力がある。「心の花」10月号の発表歌に

「木の下に梯子をおさえいる人の心がわりはおそろしからん」

を見つけたとき、わが心は怪しく感応した。「心がわりはおそろしからん」この一瞬にして起きる逆転劇、日常のあちこちに偏在しているではないか。
たちまち下の句を拝借した歌ができたが、そのなかから3首だけ紹介したい。

「カミソリで喉剃りくるる理容師の心がわりはおそろしからん」
「包丁をもて調理する家妻の心がわりはおそろしからん」
「今日に出す給食作るおばさんの心がわりはおそろしからん」

1首目、映画「カラーパープル」に出てくる、妻が凶暴な夫にカミソリをあてる場面ながら。2首目、すぐ手近にある家庭の凶器は包丁。3首目、学校給食は狂いが生じたときが怖い。大量毒殺につながる。
いずれも人の世の信頼によって、事なきをえていると改めて思う。
2015年10月4日
田宮朋子は新潟県長岡在住の歌人。風土に根ざした歌に佳作が多い。
新歌集『一滴の海』から。

「降りやまぬ雪を仰げば重力の失せてぐんぐん昇る心地す」
「新雪のおほふ野原に雪靨(ゆきゑくぼ)ありてそこのみほのかに翳る」

雪国に住む人ならではの細やかな描写だ。同時に田宮の住むところは、原発事故が起きた場合影響なしとしない地帯に位置する。だから福島のことも他人事ではない。

「とりがなくあづまみちのく緑濃しどこをどうして除染するのか」
「放射線物質発光薬あらば日本の野山いかに光らむ」

除染の不可能なことは、地元の人間がよくわかっている。
目の前に連なる山をどのようにして除染できる?!
もし発光薬があったなら汚染を特定できる。ただし、みちのくの山々は一斉に光り輝き、このうえない光景になるにきまっている。
いや、海だってホタルイカの大群で埋め尽くされる。山も海も、これまでになく美しいには美しい。
2015年9月28日
句歌詩帖「草藏」の発行人は、佐々木六戈(ろっか)。「開扉の辞」に

「ねがわくは/句と歌と詩の言葉が/草ほどの光栄を纏うて/われらが書の藏に/入らんことを」

とある。
3分野の総合誌を企図し、本人も毎号句と歌と詩を掲載する。
私はどちらかというと句がいいと思っている。
が、なによりもおどろくのはその博学ぶりだ。古今東西の文物を跋渉する。西洋関係にきわめて弱い自分は、グノーシス、ウィトゲンシュタイン、フランシス・ボンジュなどのカタカナ名が出てくるだけで、もう降参。
と、弱気を吐きながらもエッセイを読んでいると、折々なるほどと深く納得することもある。
第83号の「草のとざし扃」は、

「名があって、物が生まれる。物があって、名が生まれるのではない。」

とはじまる。
人間は物を名づけることによって世界を獲得した気でいるが、じつは名づけられないままの膨大な世界に取り巻かれているのだと私も思う。
2015年9月27日
米軍がサイパン島へ上陸。日本軍と激しく交戦する。
行き場を失った住民たちは崖上から海へ身を投じる。
この場面、米軍側から撮影され、何度となく記録映像として見てきた。
一人の婦人が崖に立ち、一瞬躊躇したのち、身を躍らせて足先から飛び降りる。婦人単独の投身行為だと長く思ってきた。
ところが実際は、抱きかかえてきた赤子をさきに投げ込んでいた。
BS1スペシャル「戦争とプロパガンダ アメリカの映像戦略」で、そのことをはじめて知った。
アメリカも厭戦気分の出るのを恐れて、赤子の映像は長い間秘していた。
草をかきわけて、切り立った崖上までくる。婦人はまず、物を抛るようなしぐさをする。赤子!と気づくのは、撮影者も一瞬のちだ。つづいて赤子の母親が身を投じる。
カメラは、海面をくらげのように浮遊する、白く小さい赤子をとらえる。
そのすぐ近くには、俯いたまま波にもまれる母親の姿が。
2015年9月26日
旧約の『エレミヤ書』は、読むほどに憂鬱になる。
ヤハウェに順わないものたちが、際限もなく殲滅(せんめつ)されていくのだから。
なかでも「20」の「呪われよ、私の生れた日」にきて鬱は頂点に達した。

「呪われよ、私の生れた日。/母が私を生んだその日は、祝福されることがないように。」

とはじまり自分を胎内で殺してくれなかったことを悲憤する。
「私の母を私の墓とせず」とはそのことだ。母胎は生命のはじまりとばかり思っていた自分、あまりのつらい句に、心底まで凍りついた。
この人はよほどのつらい人生を送ってきたのだ。
けれどどうしても、どうしてもだめなら、死の選択は誰でももっている最後の権利であり救済ですらある。
したがって、母胎を呪う発想にはいかない。
それなのになぜ?
私は気付いた、生は神から授与されたもの、自分で勝手に始末してはならないという精神風土を前提としているのではないかと。
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