往還集132 140字偶感篇(1)の最近のブログ記事

「祈るための椅子」

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2015年2月28日
長崎の歌人馬場昭徳に「祈るための椅子が並べて置かれあり祈りの形与ふるために」がある。この一首、日を重ねても、ふしぎに心にのこっている。教会に並ぶ木の椅子、それは祈りにくるひとのものだ。同時に祈りに形を与える役目もしている、たしかに。短歌定型も、つまりはこういうことだなと直感した。

「目」

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2015年2月25日
楸邨『山脈』に「狐を見てゐていつか狐に見られをり」の一句あり。「見られをり」に、ふむふむ。けれどキツネはこちらを見ているようで焦点が定まっているわけではない。人形も同じ。大きく見開かれた目は人間を凝視しているようで後方へと向かっている。人形が本当に見ているのはいったい何なのだろう。

「縦走の日」

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2015年2月24日
1週間も家に籠って仕事していると、無性に人恋しさがわいてくる。この孤独感、いつかどこかで味わったなあと思いめぐらしているうちに、そうだあれだと気づいた。連峰を数日かけて縦走したことがある。テント生活だから、人界とは完全に切り離されている。あの独得の孤独感と、これは似通っている。

「長生き」

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2015年2月23日
「短歌研究」3月号「現代代表女性歌人作品集」に、西澤みつぎの歌「この息子号泣させて死なむには少し長生きし過ぎたやうで」をみつけた。80代後半の人らしい。この直言ぶりがいい。「「老人力」なる造語にて老いたちを励ましてくれてさつさと逝けり」これなんかも、思わず笑ってしまうではないか。

「町内巡回」

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2015年2月23日
町内巡回の当番。小路を隈なく歩いてはゴミを拾う。自分はゴミ拾いがすきなのでこの当番けっこう楽しい。黄の専用ジャケットを着るから変には思われない。おもしろいことに犬のフンを袋に入れてそれをポイする人がいる。この半分の良心。いっそのこと、生のまま捨ててもらったほうが肥料になるのにね。

「はじめて言つたものは」

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2015年2月20日
近藤芳美はいう、「はじめて言つたものは、たとママえ其のロジックに矛盾があらうと、とにかく自分の苦しみを持ち、それだけでも尊敬すべきである。いつ迄もそれにぶらさがりまつはつて居るものは、僕には二流品としか思はれない。」(「歌壇の生態と定型」)この一言、現在の歌界にもそのまま通用するではないか。

「天気図」

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2015年2月18日
東京は雨。午後に「はやて」に乗り、一気に北へ。ところが黒磯のあたりは猛吹雪。そのなかを突っ切ると郡山は小雪。さらに仙台に着き仙山線に乗り換え、やっとあやし愛子に降り立たったら、どかっと雪は居すわっていた。この間、時間にすれば2時間半。天気図のなかを、がむしゃらに走ってきた気分だった。

「美しい文章」

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2015年2月17日
評論でも、美しい文章には魅せられる。「現代短歌」3月号澤村斉美「歌壇時評 死者の実感」からの引用。「かなしみに暮れるのでもなく、鎮魂でもなく、そこに存在する死者を生に容れ、喪失に言葉を与え、生きていくという方向へ向かっている歌がある。」歌であり、詩であり、箴言でもある、そういう一文だ。

「記事」

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2015年2月17日
そうだ、あの記事は切りぬいておくんだったと思い出し、新聞をひっくり返しはじめる。きのう、いや二日前だったかなど記憶はあいまい。たしか、写真入りであったはず。こうして探すときに限って、どうしても見つからない。この運に見放されっちまったという不燃焼感を、これまで何度抱いてきたことか。

「近景、遠景」

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2015年2月14日
近景は、雪。風がなくて、ますぐに降る。その雪を透かして遠景には午後の日差しを浴びる森が。自分の周辺は雪に閉ざされているというのに彼方は光の世界、いやもしかしたら記憶以前の、つまりこの世に生まれる以前の未生の世界かも。こういう場面を歌にできたら、少しはましな歌人になれるのだけれど。
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