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▲雑草の繁茂する荒浜。白い建物は、荒浜小学校。

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▲荒浜。存在を証明するかのように置かれた石。

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▲仙台港の風景。

青葉山トンネルを抜けて、市街地へ。
市街地を抜けて、七郷へ。
やがて南北へと連なる東部道路。
ここをくぐるとき、いつでも胸苦しくなる。風景は一気に変貌、無数の車や船がころがり、解体された家屋の破片が泥にまみれて散乱する。
あれから3年半の歳月。除塩された稲田は黄金色になり、新しい宅地の工事も進む。
しかし人の住めなくなった荒浜地区は、雑草が繁茂するばかりで、廃墟そのもの。
さらに30分走り、仙台港へ。
この地区には大型工場や商業施設がひしめく。どれもが甚大な被害を受け、ガス爆発さえ起きた。
それらの大方が復旧し、震災の痕跡はない。港にも大型船2隻が停泊し、重機が往き来する。
どちらにも同じ時間が降ったはずなのに、町が丸ごと消え失せたところ、復旧して何事もなかったように始動しているところ。このあまりの落差に、体がふらついてくる。
無重力感覚って、こういうのかも。
(9月5日)



近くの丘にあるスポーツパーク。人工芝を敷き詰めたサッカー場が広がる。
そこに行って、中高生の試合を見るのは楽しみだ。
今日も某高校のチームが練習している。あまりにも人数が多いので目算したら、100人近い。
これは、これは。
レギュラーに11人選ばれたら、あとは補欠、または二軍ということだ。
私は甲子園に出場経験のある高校に勤めていた。野球部顧問とも話し合うことも多かった。以下、その内容。

「顧問として一番の苦労は補欠対策。3年間、同じように猛練習しても出場できない。そういう子たちが投げやりにならないようにするには、どうするか。わが子を試合に出してほしいという熱心な親の圧力もあるから、そちらのなだめ方も大変。レギュラーからはずれたことを恨んで、マスコミにスキャンダルを売り込むのもそういう親。甲子園以前の前哨戦をどうやり抜くか、これが顧問の大事な務めなんだよ。」
(9月3日)
夏になると「ビルマの竪琴」を観たくなる。最初に観たのは中学、13歳のとき。1956年版の白黒映画で、監督は市川崑、主演は安井昌二。
つぎは1985年版で、監督は同じ、主演は中井貴一だ。
以来、50回は観てきて、その度に感涙にむせぶ。竹山道雄の原作ももちろん読んでいる。原作と映画がちがうことも、内容上の矛盾があることも知っている。戦場で合唱したら敵兵に見つかるではないか、ビルマ僧は楽器演奏禁止というではないか、自分は帰国しないとなぜ部隊に告げないのか、などなど。
だのに引きつけられてきたのは、やはり水島の在り方にある。戦友と共に故国へ帰りたい気持ちは山々なのに、あえて自分を押し殺し、屍となった同胞の弔いに身を捧げようとする、若き意志性と無私性。それに感応するのだ。
こういうタイプの人は、今でもどこかにひそかに、もしかしたら身近に、きっといる。
(8月27日)
句界の長老金子兜太が、「俳句」に「九〇代の放言」を連載している。その9月号に、

「ガラス戸に朝鮮人よ命(いのち)生きよ」

を見つけたとき、ガーンと頭を殴られる思いがした。
まだわけもわからない小学生というのに、「朝鮮人」と聞くだけでさげすみの感情を持った。町内に廃品回収業をやっている朝鮮人がいた。同級の女の子が、うちの犬が殺されて皮をはがされたと涙ながらに語ったことがある。いよいよ、忌々しい。
けれど、証拠を見たわけではない。
だのになぜ「朝鮮人」と聞くだけで、特別な思いを持ったのか。
大きくなるにつれて、無意識とはいえ差別感情を抱いたことが許しがたくなった。たとえ大人たちから、伝わったとしてもだ。
そういう少年時の汚点が、金子兜太の一句によって、いきなり思い起こされた。
もっとも、よくよく読んだら、

「ガラス戸に朝蟬人よ命生きよ」

だ。「朝蟬」で切り、「人よ」とつづくのだった。
(8月26日)
靖国神社の敷地内に、戦時資料を展示する遊就館がある。そこに入ってまず出会うのが、戦闘機、零戦だ。正式名「零式艦上戦闘機」、略称「レイセン」または「ゼロセン」。展示されているのは「零戦五二型」で、爆撃や特攻の任務を担った。
これを入り口に展示する意図は、勇猛な戦機をまず見てもらうことにあるだろう。
だが「こんなちゃちな小型機で、若者たちを死へ追いやったのか」が、私の第一印象だ。 
このように受けとめ方は、まっぷたつに分かれる。
しかしともあれ、現物を、それそのものとして置くのは、大事なこと。館内には他にも魚雷やら弾丸やら、いっぱいの展示品があってなかなかの見応え。

「これは俳句と同じだ」

と閃く。
俳句の表現は、作り手の思想を削ぎ落とし、ことばをことばとして置く。どう解釈するかは、読み手にゆだねられる。
そこで私は直感する、「俳句は、遊就館展示の零戦と同じである」と。
(8月18日)
どうも、伊藤左千夫は人気がない。『野菊の墓』は知られるが、短歌になると牛飼いの歌以外、すぐに出てこない。感覚が旧いのに頑固に居座るので、茂吉と赤彦とも対立した。 
それはそうなのだが、全体像ぐらいはざっと見ておかなければと、『左千夫全集』第一巻を開いている。歌集は1冊ものこさないので、発表分を年代順に収録した巻。
やはりおもしろくない。
ところが「勾玉日記」にきたら、肩の力を抜いた詠風がなかなかいい。とりわけ幼子をめごめごする親ばかぶりが。

「しほれたるげん華(げ)手に持つ幼児を膝にかきのせ頬すゝりすも」

「花見にしゆかばと契る色あやのゴムの小鞠を買ふと契りぬ」

「神の手を未た離れぬ幼児はうべも尊とく世に染まずけり」

「神の恵み深く尊とく授かりし子故に親はいのちのぶらく」

「明治四十年」の章にある。明治らしい表現の旧さは否めないが、幼子の可愛がりようは今も昔も変りない。
(8月18日)

【往還集130】34 毒

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青臭さのことを思いめぐらしていたとき、蒔田さくら子の新歌集『標(しめ)のゆりの樹』(砂子屋書房)に

「毀誉褒貶の埒外にもう出でたりと覚悟の自在か歌に毒あり」

を見つけた。
青臭さと毒にはちがいがある。けれど似ているところもある。もう十分に齢だから、これまでとらわれてきたしがらみは放棄して、本音を語ろうではないかーー。この歌につづいて

「煩悩を詠ひて終に煩悩を脱けしか遺せることば飾らず」

があるから、きっと具体的なモデルが存在する。だれなんだろうと、あれこれ詮索したくなるのは、歌をやる人間の悪いくせだ。
毀誉褒貶など糞くらえと毒をまき散らす若者、もう埒外へ出たんだから遠慮することはないと毒を吐く老年、どちらも同じように青臭い。
両者にちがいがあるとしたら、若い日の「糞くらえ」は、以後に禍根をのこす場合があること。そのリスクの分、若い青臭さにはきらめきもある。
(8月12日)
「青臭い」とは、青草のようなにおいがすること、つまり未熟なこと。これに付け加えて、後先を考慮しない一途さともいえる。
仁平勝(にひらまさる)の『露地裏の散歩者――俳人攝津幸彦』(邑書林)を読んでいたら、宮崎大地のことが出てきた。
「俳句研究」編集者高柳重信は「第一回五十句競作」を企画。それを成功させるためあらかじめ若手から候補者を選んで、予選にかけようとする。候補は大屋達治、宮崎大地、郡山淳一。
しかし宮崎は、選句は暴力だという理由で拒否したという。
こういう青臭い青年が一昔前には確かにいた。なんだか懐かしさがこみあげてくる。
「選句は暴力」これは正論である。賞の選考だっていうなれば暴力だ。賞を手に入れたい人間がわんさといるから、暴力云々がとかく忘れられるが、他人の才能を裁断する行為であることにまちがいない。
選句拒否のみならず青臭さ一般に、この頃なかなか出会えなくなった。
(8月10日)
岩瀬成子(いわせじょうこ)の作品は、初期からほとんど読んできた。大人の目線の介在しない、子ども、または思春期の心の在りようが、いつでも現在的に描かれる。
『くもりときどき晴レル』(理論社)は6つの短篇からなる。
なかでも「背中」が自分のお気に入りだ。主人公は、ぼく。父と兄の3人家族。母は5歳のとき交通事故で亡くなった。母の妹のみどり叔母さんが時々食べ物を持ってきてくれる。その叔母さんと父が結婚する方向へゆこうとするときの、ぼくの心の動きを、大振りにでなく、等身大に描かれていく。

「ぼくは父をちらっと見た。父はちょっと赤くなっていた。ぼくはどきっとした。こんな感じの父を見るのは初めてだったから。」

大きなドラマがはじまろうとしているのに、なにもかもがふだんどおり。ふだんどおりなのに、大きなドラマでもある。
読んでいるうちに、こちらが涙ぐましくなってくる。
なぜなんだろう。
(8月6日)

短歌にも俳句にも結社がある。
結社があれば主宰がいる。
主宰がいれば会員が集まる。
会員が集まればランクが生じる。
ランクが生じれば全体がピラミッド型の構造となる。
というのが従来の結社観だが、際立つ主義・主張の模糊としてしまった現在、構造そのものが変動せざるをえない。
そういうなかで最も先鋭的な結社は「結社+非結社」を包含するものだけだ。
これを最も先鋭的に、しかも自然に試行しているのが「塔」の永田和宏。彼はインタビュー「「塔」六〇周年」(「現代短歌新聞」2014年8月号)で、自分につづく若手との関係について語る。

「彼らがこちらを向くように仕向けているようでは若手は育たない」

「必要になって向こうから来る時には、相談に乗るが、それ以外は私のもとにいることさえ意識させないこと」

私はこういう在り方に注目する。結社主宰にとっては離れ業であり、誰にもできることではない。
(8月5日)
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