2019年12月アーカイブ

【往還集146】26 「脈」

またまた悲報について書かなければなりません。
京都の三月書房といえば知る人ぞ知る、長年腰を据えてきた書店です。
そこから発信されるメールに「12月9日、比嘉加津夫氏逝去」とありました。
比嘉氏は1944年沖縄の久志村(現名護市)生まれ。個人編集誌「脈」を発行してきました。
最初のころは30頁ほどの小誌でしたが、途中から共同編集の形になり、160頁前後の厚さになりました。
近号は2019年11月発行の103号です。
その「編集後記」に「比嘉が編集責任から降りた場合のことなど考えたりしている」とある。
なんだか変な書き方だなあと思ったのですが、すでに病を抱えていたのかも知れません。
こうして1960年代・70年代に起ち上げられた個人編集誌はつぎつぎに幕を降ろしていく。
そのたびに映画「旅芸人の記録」の最後の場面のように拍手をもって健闘を讃え、訣れとしてきました。
(12月11日)

【往還集146】27 「いだてん」

NHK大河ドラマ「いだてん」全47回が昨夜で終了しました。
私は毎週視聴しつつ、「あまちゃん」とはまた別の宮藤官九郎の才気に魅了されてきたのです。
これまでのドラマにはなかったスケールの大きさとスピード感。視聴率もまちがいなくトップだろうと思いこんでいました。
ところが結果は歴代大河ドラマで過去最低の8・2%!
そういわれてみれば展開が速すぎて多くの人がついていけなかったかもしれない、途中で役者が事件で降板したのも、ビート武が出過ぎたのもまずかったかもしれない。
この結果には、官九郎の起用でムードを炎上させようという下心を持ったオリンピック委員会も、どっつまずいたでしょう。
しかしオリンピック騒動終了の後に改めて「作品」として見れば、比類なき快作だということがわかってくるにちがいありません。市川崑の記録映画、「東京オリンピック」がそうだったように。
(12月16日)

【往還集146】25 中村哲氏・続

イーハトーブ賞のときはもっと大変でした。「宮沢賢治の名において顕彰されるにふさわしい実践的な活動を行った個人または団体」が賞の趣旨です。
推薦されてくるのは国内外に広がる。
ある年、「中村哲」の名が上ってきました。〈アフガンで医師、井戸を掘る〉ぐらいの情報しかない私たちは既刊の本や映像を集め、時間をかけて検討しました。
そして2004年に賞を受けていただくことになりました。
そもそも候補に上るのは、賞の域など超える方たちがほとんど。
おそるおそる「賞を受けていただけませんか」と打診するのです。
さいわい大抵の方が「賢治の名のある賞なら」と、受けてくれます。
授賞式当日中村氏は緊急事態が生じて帰国できませんでしたが、以来私自身もペシャワール会に入会しました。
そして次第にこの事業はノーベル平和賞以上だと確信するようになりました。
そういう矢先の、突然の悲報でした。
(12月5日)

【往還集146】24 中村哲氏

「耳を疑う」ということば、そのままでした。
昨夕のこと、ラジオがいきなり「中村医師が車で移動途中襲撃されたもよう」と伝えたのです。「もよう」だからまだ半信半疑。
さらに耳を傾けるうちに、死亡したことは確実となりました。
そして今朝の新聞トップ記事も「中村医師 銃撃され死亡」。
私は花巻に本部を置く宮沢賢治学会の会員で、しばらく賞選考の部門を担当していました。
賞には、賢治研究を中心とする宮沢賢治賞と、賢治精神の実践を中心とするイーハトーブ賞があります。まず会員に候補者を推薦してもらい、それをもとに数人の委員が選考に当ります。
私自身、2000年に『宮沢賢治 東北砕石工場 技師論』で宮沢賢治賞を受賞したので、いやともいえず選考委員に。
それはそれは大変な作業でした。賢治関係の研究書は毎年20冊は出る。その全てをまともに読んだうえで、選考会議を重ねていきます。
(12月5日)
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