2019年5月アーカイブ

それは恩田陸作『蜜蜂と遠雷』。
この作品は国際ピアノコンクールを描いているのですが、まず何といってもこの分野への博識さには恐れ入ります。音楽音痴の自分など、ほぼ読み惚れるほかない。
「第一次予選」の章には、中国勢が登場する。

「中国勢は大陸的というのかスコンと抜けた大きさがある」
「うらやましいのは中国のコンテスタから受ける揺るぎない自己肯定感である」

こういう中国人像を、恩田さんもはっきりと描いている。
民族の歴史・文化・風土から生成された気質はやはりある。時代とともに変化する面は避けがたいにしても、また個々人に視点を移せば「揺るぎない自己肯定感」とは必ずしもいえないにしても、民族的気質はやはり根の部分に生きつづけているでしょう。
そういえば、日中戦争時に兵士として送られながら、中国人への畏敬の念を持ちつづけた人は、少なからずいた。
宮柊二もそのひとりでした。
(5月25日)
「イギリス人」といっても「ロシア人」といっても、個々を見れば、まちがいなく多様。 
だのにこのように記号化すればイメージが浮かびやすいことは確か。
けれどそれは差別につながることもあるから、要注意。
そんなことを考えていたときに加藤周一の「中国再訪」(『加藤周一自選集6』を読んでいて、目が釘付けになりました。

「中国を旅していて心地よいことの一つは、外国人に対して卑屈な中国人に出会うことが、ほとんど全くない」

「外国人に媚びる態度を決して示さないのは、おどろくべきことであり、見事というほかはない

と断言しているのです。
かの叡智の人加藤周一がいうのだから、たまたまの訪中を素材にした、単なる印象とは思えない。
この中国人像、いまの米国や日本政府のばらまこうとしているのとは、まるでちがうではありませんか。
さらにさらに、加藤周一説を補強する小説が出てきたではありませんか。
(5月25日)

【往還集145】11 ロシア民謡

かつて日本ではロシア民謡が大ブームになり、若者たちも相当に親ロ的だったことを、いまのロシアの人も大統領も知らないのではないでしょうか。
学生になって仙台に住むようになったとき、コンパがはじまればロシア民謡、歌声喫茶もロシア民謡という具合で、私もかなり歌いまくりました。CD「懐かしの歌声喫茶」全8巻も手元に置いているほどです。
ただし、かねてからいまにいたるまで、「??」が消えない歌詞があるのです。
「仕事の歌」の2番。

イギリス人は利口だから
水や火などを使う
ロシア人は歌をうたい
自らなぐさめる

というのです。
イギリスでは産業革命のおかげで豊かになった、ロシアにはそんな発達もなかったから歌で元気づけ合ったということなのでしょう。 
けれど「イギリス人」「ロシア人」とか、一括りにしてイメージを作っていいのだろうかというのが私にのこりつづけてきた疑問です。
(5月25日)

【往還集145】10 「平成万葉集」

平成から令和へ移るというので、新聞もテレビもまた出版物も「これでもかこれでもか」といわんばかりに特集を組んだ。
何だか、ひどく迷惑な感じでした。
NHKBSの「平成万葉集」もそういうなかの1つ。
これまた同じかと覚悟して見はじめましたが、なかなかの力作でした。
第1回「ふるさと」(4月17日放映)、
第2回「女と男」(4月24日)、
第3回「この国に生きる」(5月1日)。
いずれの場合もまともに現代短歌だけで勝負している。
選歌についてはさまざま不満があるにしても、ディレクターの力技がよく伝わってくる。朗読の生田斗真・吉岡里帆の自然な感じもよかった。
ただ1点違和感が消えなかったのは、朗読者が冊子でなく、タブレットを使いつづけたこと。
今や身辺によくある機器だからまあいいかとも思いますが、特に短歌や古典の朗読には、長方形の冷たい機器はどうも不似合いという気がします。
(5月12日)

【往還集145】9 全歌集

歌人が亡くなると、これまでの歌集をまとめ、全歌集として刊行されることがあります。 
なかには存命中なのに「全歌集」と銘打つ人もいます。「今の今で〈全〉なのだから〈全〉でいい」などという理屈を聞いたことがありますが、どこか変。
やはり全歌集は当人の死後、全業績をまとめるという目的を持たせるのが自然です。
私はこれまで何冊もの全歌集を読んできて、今日も『稲葉京子全歌集』(短歌研究社)を読み終わったところ。
毎度のことながら1冊を閉じようとするとき、えもいわれぬ寂寥感に襲われます。
以後、この人の歌を読むことは永遠にない!
生前とりわけ親しかった歌人の場合この思いは、いっそう強くなります。
『永井陽子全歌集』
『小中英之全歌集』
『定本竹山広全歌集』
もそうでした。
「自分はもう少しこの世にいるから、それまではとりあえずさようならしておきます」と語りかけて、扉を閉じるのです。
(5月11日)

【往還集145】8 踏みとどまる

これまで出会ってきたディレクターには、深い見識からしてまた精力的な仕事ぶりからして、こちらを感服させてくれる人がいました。
それゆえに上部からの理不尽な軋轢にはがまんならなかったのでしょう、見切りをつけて去った人もいます。
たとえばS氏・Oさん。
その報を知った時「この人にはのこっていてほしかった」
という悔しさでいっぱいになります。
学校の教員の場合も同じで、組織のあまりの不条理に腹を立て、退職してしまう人を見てきました。
そういう自分も教員になりたてだったころ、生徒にではなく上層部にだけぺこぺこする体質にほとほと嫌気がさし、もう去ろうと真剣に考えたことがあります。
辛うじて自分を押し留めたのは、

「この場がいかに不条理だとしても生徒は簡単にやめるわけにはいかない、自分のようなものが踏みとどまっているだけでも何かの意味があるかもしれない」

という思いでした。
(5月4日)
坂井律子さんは、がんとの闘病だけでなく本職のテレビ制作についても書いています。
私たち視聴者はテレビを画面として見ることが日常で、制作過程に立ち入って考えることはほとんどありません。
坂井さんによると、1人だけで取材するのはある段階までで、途中から音声マン・カメラマン・照明マンなどとの共同作業になるといいます。
私自身、何度か制作段階のお手伝いをしたり、実際に出演したりしてきました。
そういうとき60分程度の番組にもかかわらず、いかに多くの人が関わっているかを実見し改めて驚かされます。
テレビ制作はまさに共同作業。
それがほどよい緊張関係にもなる。「カメラマンとディレクターとの関係は、とても絶妙」というわけ。
ところが苦労を重ねて番組を作り上げても、上部からクレームがつき改変を迫られることもある。
その悔しさを、何人かのディレクターから直接聞いてきました。
(5月4日)
坂井は1960年生まれ、NHKに入局しディレクター、プロデューサーとして福祉・医療・教育などの番組に携わってきたと略歴にあります。
その坂井がすい臓がんにかかる。
今や2人に1人はがんになる時代(という私も目下前立腺がんで治療中)ですから、それ自体は珍しい事ではない。
この本もいうなれば患者としての〈闘病の記録〉ですが、タタカウとかノリコエルとかいう力瘤は入っていない、逆にそれらを脱落させている。
読むほうを引きつけるのも、それゆえでしょう。

「当たり前のことだけれど、人は死ぬまで生き続ける。死を受け入れてから死ぬのではなくて、ただ死ぬまで生きればいいんだ」。

テレビ番組の制作を仕事にしているが取材せず、「すべてある一人の患者が、患者として見聞きし、考え、学んだこと」の姿勢を貫いたともあります。
〈ふつう〉の場を保ったことが〈闘病記〉の新しさだと私には思われました。
(5月4日)
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