2018年7月アーカイブ

【往還集143】14 全員執行

情報について別の角度からも考えてみます。昨日のニュースで2つの重大な動向を知りました。
1つはオウム真理教幹部6人の死刑執行。7人はすでに執行されていますから、これで死刑確定者13人すべてとなります。
2つは文科省国際統括官の逮捕。文科省の不祥事はたびたび報道されてきました。現政権の責任も免れない。
今朝の新聞を開いたら、2つの出来事は第1面を占めています。事件の大きさからしたらオウムが上位だから、記事の量も多い。文科省の件は4分の1ほど。それはしかたがない。
けれど文科省を薄めるためにオウム執行を同日に持ってきたとしたなら、見方はがらっと変るのではないでしょうか。

「そんなことはありえない、執行日程はすでに決まっていたはず」

といいたいところですが、この手の操作をやりかねないのが現政権。
であるなら、易々と操作に乗らないように目を凝らしていくしかない。
(7月27日)

【往還集143】13 市場原理

なぜかくも簡単に忘れ去り、忘れさられるのか。
禍々しい事件が起きると新聞・テレビ・ネットいずれもほぼ同時に報道を開始する。
特にネット世界は、成育歴・家族関係その他を細部にわたって書きたて、さながら公開私刑の様相を呈する。
テレビのニュース番組も数人の発言者を用意し、司会自ら炎上して煽りまくる。
そういうとき私たちのまず留意すべきは、しゃべりまくる人にかぎって加害者とは距離のある〈外部人〉だということ。だから憂い顔をしながらも弁舌をぶちまくり、いくばくかのギャラを手にしても恥じたりしない。
ところが事件は次々と起き、視聴者の関心も移りはじめる。
それをすばやくキャッチし新たなネタに飛び移るのもマスコミの体質。
つまりニュースの話題性は事件の深度によって決まるのでなく市場原理によって左右される。
私たちが日常的に接している情報社会の実態は、そういうことです。
(7月25日)

【往還集143】12 忘れ去られ方

数年前、秋葉原で突発的に生じた殺害事件がありました。事件と同じ時刻に秋葉原を通過した自分は、その後の経緯に、特段の関心を持ってきました。
やがてSTAP細胞をめぐる大騒動があり、マスコミは連日この件でもちきり。
2011年3月11日には直下に突発した東日本大震災。
つい2年前には、これまた世を震え上がらせた津久井やまゆり園事件。
さらに今年になって、「新幹線殺人事件」。胸を痛める事件は切りもなく起き、そのつどこれは末永く記憶されなければと思います。
だのにある日、23年前のオウム事件さえ記憶の奥の奥にしかないことがわかって、われながら愕然とするのです。
最近刊の「「津久井やまゆり園事件」と新幹線殺人事件」で、佐藤幹夫氏も書いています(「飢餓陣営」47号)、「津久井事件は被害の甚大さや事件の異様な性格に比し、社会からの忘れさられ方が尋常でないと感じてきた。」と。
(7月25日)
ゲーテ『イタリア紀行』全3巻(相良守峰訳岩波文庫ワイド版)を少しずつ読んできて、やっと終わりました。
ローマ滞在がゲーテにいかに大きな影響を与えたかについて再認識しましたが、今取りあげようとするのはそのことでなく下巻の終り近くにひょいと書かれた文章です。

「植物は、たんなる生成と生長とによって無機物を摂取し、動物は、生成と生長と飲食とによって植物を摂取する。人間は、生成と生長と飲食とによって、動植物を自己の内的存在につくり変えてしまうのみでなく、同時に、自己の機構の下位にある一さいのものを、自己の存在の最も鮮やかに研ぎ澄まされ、反映するところの表面をとおして、自らの生存の範囲の中に把握し、(以下略)」

これだけの引用では不十分ですが、植物・動物・人間と段階をつけていることはわかります。
すべての生を同列に置く東洋的生命観との落差にしばし立ち止まったのです。
(7月24日)

【往還集143】10 百花譜

草花で連想されるのは、木下杢太郎の『百花譜』です。昭和18、19、20年といえばいよいよ戦況厳しい時代。灯火管制の下で植物を描く。その数は870枚にのぼり、腕前もほとんどプロ級。
ところで歌人前田康子さんのエッセイ「花の歌 歳時記」を読んでいて福永武彦に『玩具亭百花譜』があると知りました。
これは見たことがない。
取り寄せたら、3巻本。体調を崩して信濃追分の山荘に静養し、草花を描いていったという。
福永武彦といえば池澤夏樹の父親であり著名な作家。
3冊も刊行するとは相当の腕前だろうと開いていったら、こちらはずばりヘタ。
よくいえば素人の味わい。
じっさい、開くにつれて味が湧いてくるから不思議です。
草花に向かい合っているときは、病のつらさも忘れたといいます。
私も最近になって周辺の草花へ心が寄っていきます。
そのうち、「ずばりヘタ」でもいいから、描いていきたい。
(7月23日)
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▲庭に咲いている夏の花。ヒルガオやヒャクニチソウ。

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▲オニユリやアレチノギク。

去年の秋、木の剪定をしたのがきっかけで右肩を傷め、しばらく整形に通いましたが、カラッと治ってくれない。
庭の除草からも手をぬいているうちに、草たちはこれ幸いと伸び放題。
ところが花が咲きはじめたら、どれもこれもが美しく、〈雑草〉などといっては失礼千万。 
このまま、自然の草花園にしようではありませんか。
私が最後に勤めた高校には、月1回の全校をあげての除草時間がありました。放課後の40分程、教師も生徒も一斉に周辺の草取りをする、それはなかなかいいものでした。
ところが1人の男子生徒がそばに寄ってきて

「先生、草だって命があるのになんでとらなきゃならないのですか、かわいそうです」

と問い詰める。
冗談のようでいて、冗談でない。普段から真面目な生徒です。

「それをいいはじめたら肉だって食えなくなるし人間は亡びるほかない」

と、しどろもどろに応えるほかありませんでした。
(7月23日)

【往還集143】8 「マラソン」

空に 紅をはいたような
ある晴れた美しい朝
地の扉を蹴って
マラソンの選手たちが
いっせいにスタートした

世界はあかるく
都市から田園へとつづき
不作をわすれて 田園は
まぶしげに 選手の一団をみおくる
そこぬけにあかるいそらの
どこかに神がひそんでいるような
この均衡は心憎いばかりだ

選手たちの
腕と腕のあわいから
世界がすこしづつながれてゆく

――選手たちは 田園から
ふたたび都市へとはいった
そのとき 沿道の
観衆から
ふかい どよめきがおこった
ざくろを掌にした死児がひとり
かげろうのように
選手のむれと走っているのだ

選手たちの
脚と脚のあわいから
昼は急速に傾いて
たそがれいりにそまりだし
にわかに遠くなった
ゴールのむこう
秋の日は
まるで大きな愁いげな 花を
咲かせたもののようだ
(7月12日)

【往還集143】7 初対面

尾花仙朔は1927年東京生まれ。幼少年期を宮城県七ヶ浜町で育ち、その後仙台に住む。職業は高校の事務職。
私がはじめてお会いした場所も、仙台第二高校の事務室でした。
その日、宮城県高等学校国語研究会があり、松島高校で教鞭をとっていた大和克子も参加していました。
研究会が終ったとき、「通雅さんにぜひ紹介しておきたい人がいる
といって、事務室に連れこんだのです。
大和は塚本邦雄と若い日から交流があり、尾花もまた塚本とは親しい仲でした。
初対面の三浦敬二郎(本名)は、事務長として大型の机に座り、仕事をしている最中でした。
このなんの変哲もない事務員が、練りに練り上げられた、品格ある詩を書く人だなんて!
半ばあっけにとられながらの初対面でした。第1詩集は『縮図』(書肆季節社1964年刊)。そのなかで特に私の好きなのは「マラソン」という1篇。全篇を書写しつつ訣れとします。  
(7月12日)
仙台に尾花仙朔という詩人がいる、と思うだけで私には励ましになってきました。
詩の世界で尾花氏がどういう評価を受けてきたのかはわからない。大衆受けする人でも、マスコミ受けする人でもなかった。むしろ人前でもてはやされることをきらい、孤立した場で詩句を磨き上げ、品格を失わず、それでいて人間世界の歪に対する抵抗精神を貫いてきた。
早くに奥さんもご長男も亡くされ、本人も病気をかかえるようになったため、いよいよお会いする機会もまれになりました。
去年の8月7日晩翠顕彰会役員会があり、そのときにお会いし、少時ながら「路上」へのことばをいただきました。
彼は長い間の「路上」の読者でもありました。
逝去を知ったのは、今朝の訃報記事においてです。
5月22日肺炎のため91歳で死去。
私生活を語ることも好まない彼でしたから、少数の近親に見守らて、ひっそりと逝ったのでしょう。
(7月12日)
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