2018年5月アーカイブ

【往還集143】2 100首会・続

場所は和室の大部屋。腹ばいになりながら頭をひねりました。
10まではうまくいく。
20で苦しくなり、50を越えるころは疲れ果てる。
けれど100に達しなければ眠れない。
夜も深まる。
最後のほうはいいかげんに作って、やっと提出。
こうして松島の朝を迎えたのですが、「オレまだできないんだ」と寝不足顔の人がいました。
どうしても完成せず、徹夜したというのです。
その名、小中英之(こなかひでゆき)。
彼は数だけ合わせればいいんだという気持ちになれなかった。ことばひとつもおろそかにできなかった。
そのためただひとり徹夜。
小中は後に出色の名歌をずいぶんのこしました。

「蛍田てふ駅に降りたち一分の間(かん)にみたざる虹にあひたり」

は代表作。
その後自分は結社を離れましたが、彼との交流は亡くなるまでつづきました。
「正徹物語」の100首詠をきっかけに、小中英之の若き日のシーンが、鮮やかによみがえってきました。
(5月25日)

【往還集143】1 100首会

中世の歌論集に「正徹物語」があります。その「七六」の出だしは

「初心の程は無尽に稽古すべき也。」

初心者の稽古のやり方を説いているのです。要約するとつぎのよう。
1夜に100首、1日に1000首詠む、逆に5、6日かけて5首2首詠む、このように駆け足でやるのも、手綱をひかえるようにやるのも上達の方法、最初からいい歌を作ろうとしたってそれはダメーー。
この1節に私は思い出しました。
まだ20代で結社「短歌人」に入会していたとき、松島で泊まりこみの東北歌会がありました。
その夜いきなり、主宰格の髙瀨一誌から「いまから100首会をやる、出来上がるまでは寝るな」という課題が与えられたのです。
歌会もはじめてなら100首会もはじめて。ビックリ仰天しながらも、用紙の表に1~50、裏に51~100まで番号をふりました。参加者40余人は、必死に作りはじめました。   
(2018年5月25日)
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▲廃墟のあとに咲く金色のエニシダ。

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▲荒浜小学校屋上から。

朝から快晴。
青葉山トンネルを抜け、市街地を通り、七郷へ。
コンビニで飲み物を買い、あとは海へまっしぐら。
墓碑に額づいたのち、防潮堤に立ち一面の海に向かう。
こういうことを何度くり返してきたことでしょうか。
震災遺構となった荒浜小学校にも立ち寄る。大人のグループが30人、それに大型バス2台でやってきた中学生の団体が。プレートを見れば室蘭の中学。
そうなのだ、ここは大災害をふり返る過去の場所となったのだ、当時の痕跡はあちこちにあるものの、ことばを発することのない遺構なのだ。
屋上から眺望できる周辺も、土台石はなお散乱しているものの住人の気配はない。
校舎を巡ったあと外に出、旧住宅地を歩き回りました。
そのとき目に飛びこんできたのは、金色のエニシダの群生です。去年も少しはありましたがこれほどでなかった、7年の間、種を蒔き散らし合い、仲間を増やし合ってきたのです。 
(5月22日)

【往還集142】19 不具合なこと

私たちは自分の選択なしに、男または女に生まれる。
しかし、日常生活のはじめからおわりまで性差を意識するわけでなく、むしろ無意識の時間が8割ぐらいはある。
だのに社会生活の場面では、否応なく振り分けられ、その障壁にぶち当たることもあります。
ある日私は仙台駅のトイレ近くにいた。
ママと一緒にいた4歳ぐらいの男の子がおしっこがつまったという。
ママは女子用のトイレにつれていこうとする。
「オンナ便所はいやだ」と激しく抵抗。
見かねた私は男の子を男子トイレに連れて行って、おしっこをさせました。
ママは入り口で待機。
そのとき思ったのは、幼女連れのパパが「おしっこ!」といわれた時のこと。家族用トイレがあればいいのですがそれは少ない。
誰かに頼んだとしても、パパが入り口に待機することましてや中へ入ることには否定感があるのでは。
こういう不具合なことが時々もれ出るのです。
(5月21日)

【往還集142】18 女人禁制

それは4月4日に舞鶴で起きた。
大相撲春巡業で挨拶に立った市長が突然倒れる。
駈け上がった女性数人が、心臓マッサージをはじめる。
すると「女性の方は土俵から降りてください」と館内放送。
女性たちは一瞬ひるむがマッサージをつづけ、市長も助かった。
テレビでくり返し放映され、私とっても大変印象的な場面になりました。
なんといってもとっさのことに救助に当たった姿が神々しかった。
基本的なことをいえば、さまざまな場面で伝統を守ることに私は否定的ではない。短歌形式などは古来の伝統そのもの。伝統の旧さに縛られながら、いかに新しくなれるかに賭けているともいえます。
けれどときには破調があってもいいし、土俵も人命がかかるときは例外があっていい。 
それに、あのとき土俵に上がった女性の方たちは、〈女性〉としてではなく、〈人間〉として、つまり性差を超えた存在としてだったと思います。
(5月21日)

【往還集142】17 古典と現代・続

古典といえど、現代に通じる問題はいっぱいあると見直したのはずっと後のことです。 
ところで私は卒論の題を決めるとき、現代の人間と深く関わるものとして太宰治『人間失格』を選びました。
やがて高校に就職しますが、日常があまりにも忙しくて勉強できない。
再度大学へ戻ろうと、東北大学国文科の大学院を受験。
その時の面談で「太宰治は文学研究の対象ではない」と文芸学の権威たちにいわれ、「いや文学は現実に生きる人間と密接している」と反論しました。
弁護してくれたのは菊田茂男という若手の先生だけ。
結果は当然のごとく不合格。
当時の文芸学にとっての対象は古典、現代文学も鴎外・漱石あたりまででした。
そのときをきっかけにもうアカデミズムに頼るのはやめよう、独立独歩でやっていこうと決めました。
以後多忙さに押しつぶされそうになりながらもはじめたのは「路上」刊行と、新美南吉論です。   
(5月20日)

【往還集142】16 古典と現代

河田育子歌集『園丁』(紅書房)の「『園丁』附語」に「私は、長い間自分の歌の方向がまったくわかりませんでした。」とあります。
なぜなら平安朝の和歌に強い魅力を感じていたから。
その後短歌を詠むことをはじめるが、ものすごい違和感があった、「自分の親しんでいる和歌と、近代以降の短歌の世界との差異から発している」、そのためずっと途方にくれた感じがつづいた。
この一文を読んで、自分とは逆方向だったのだと感慨を覚えました。
私が短歌を本気でやろうとしたのは、学生になった1961年でしたが、そのとき近代短歌にも古典にも歴史的産物以外の関心がなかった。
短歌といえど文学であり、文学であるかぎり現代と直結すべきだと考えました。その現代とは安保後の状況でしたから、いかにして思想詩としての短歌を作るかという問題に直面し、七転八倒したのです。
こういう自分には古典が遠い存在でした。
(5月20日)
『パンセ』本文を読みおわり、最末尾の田辺保「解題」に入りました。
すると、この本がマルクスやサルトルと並んで店頭のうず高く積まれ、大衆化していることに疑問を呈しています。

「『パンセ』はまさに、あなたがえらび、あなたのとり上げる一冊の本として読まれるべき書物であった。」

一人の友人が友人に語りかけるような関係の中においてだけひそやかに開かれるはずの本、ともいっています。
幸か不幸か、現代においては『パンセ』のみならず古典に属する本、難しい本は、〈大衆化〉されることがなくなりました。
それでもほんの時々、あるきっかけによって、静かに埋もれているなかから新し世界を発見することがある。
とかく大衆化したものに群れ集まり、波が引けば一斉に忘却してしまう時代ですが、喧噪とは離れたところに、ひそかに在りつづける本がある。
本だけでなく、そういう人間もいると思うのです。
(5月19日)

【往還集142】14 会費のこと・続

第1に、会費の負担がきついと感じられるようになってきた。
「塔」の会費半年分は、1万円(月集・作品1)、9000円(作品2、若葉集)、学生3000円となっている。
この額は標準的であり、茶道・華道などに比べればむしろ安い。
だのに半年で1万円、1年で2万円に負担感が生じている。

第2に、振り込みの方法が意外と不便になってきている。
郵便局が少なくなり、車を持たない年代になればさらに不便。
コンビニからも送金できる時代とはいえ、それすらない辺地だってある。
家にいながらでも電子送金する手はあるが、これこそ高齢者には縁遠い。

そして第3、これらのハードルを越えても納入しようという気概が年々薄くなってきている。
結社に属していれば上達は早まり仲間もできる、それはわかっている、けれど自分はそこまでやらなくていい、縛られたくもないという気分が、どんどん広がっているのです。
(5月17日)

【往還集142】13 会費のこと

短歌結社誌「塔」といえば、その質量において歌界では1、2位を争う。
その5月号「編集後記」に目を瞠ったのです。書いたのは編集長松村正直氏。

「何度も書いていることだが、会費納入状況が非常に悪くて頭を悩ませている。千百名の会員のうち、締切までに支払わない人が毎回百名以上にのぼる。督促葉書が来てから振り込むのではなく、必ず締切までに納めるようにして下さい。」

これはもちろん、結社内部への発言。
とはいっても外部のものにも注目され、へえ、「塔」もまたこんなことになっていたのかと結社経営の厳しさに立ち止まるのです。千百名のうち未支払が100名以上とは多い。 
けれどこの実態は「塔」にかぎったことでなく、他結社、他分野でも同じことです。実態はさらにひどいはず。
現にこうして会員数が減少し、閉鎖に追いこまれた結社誌は近年続出しています。背景にはどんなことがあるのでしょうか。
(5月17日)
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