2018年1月アーカイブ

【往還集140】40 野の花

前沢(現奥州市)は南から北へと細長い町並。そのの背後は低い山つづきで、登りきると一面に台地が広がっていました。戦後になって引き揚げ者が続出し、幾棟もの長屋が台地の一角に造成されました。転入してくる同級生もいます。多くが極度の貧困、弁当を持参することもできません。おひる時間には教科書で顔を隠しているか、校庭で遊んでいるかでした。ある日体育から教室に戻ってきた一人が「あれ、弁当がからだ」と叫びました。以来、たびたび弁当事件は起きましたが、とうとう犯人が見つかります。同じクラスのSさん。前々からさまざまな物がなくなるので、噂は立っていましたが、弁当は現行犯。当時私たちは登校時間の早さを競いあっていました。その日は自分が一番、と思ったらすでにSさんが。Sさんは野の花を廊下の竹筒に活けてまわっていました。いつも季節の花の飾られているわけがわかりました。
(1月3日)

【往還集140】39 1粒の砂以下

新年所感として、人類の価値などと大それたことを口にしたばかりですが、他面では以下のようなことも考えています。世界には核廃絶を訴え運動しつづけている人たちがいる。アフガンの地に根を下し、地道に活動しているペシャワールの会もある。もっと焦点を絞って身辺を見ても、雨の日も風の日も新聞配達してくれている人がいる。早朝の町内を一巡りしながらゴミ拾いしている人もいる。その他、目に見えないところで善のことを〈善〉としてでなくふつうのこととしてやっている人は、いっぱいいる。それなのに「人類の価値ありやなしやなどと、具体を一気に脱落させ、抽象に走る議論に出てもいいのだろうか。正直なところ、これが私の矛盾です。全宇宙で地球は1粒の砂以下でしかない、だのに人間があくせくと生きるのにどういう意味はあるのかにとらわれたのは高校生の日。あれと裏返しの矛盾というべきかも。
(1月3日)

【往還集140】38 人類の発展・続

こうなると原発工事はおいそれとできなくなる。それでは儲けないので、国のトップが海外へセールスに出かける。原発のみならず核兵器はあちこちにあり、所有した国は廃絶へ向かおうとはしない。このような状況を目の当たりにすればいやでも「やがて人類は亡びると悲観せざるをえなくなる。ただし地球も亡びるわけでない。人類絶滅のあと、放射能にも耐える生物が出現し、地球史のほんの1頁に「人類史」を書き加えるかもしれない。ところが汚染された地球を脱出すべく、他の星を探したり、人造の星を造るという案もある。仮にそれが可能になったとしても、全人類が移住できるとは思えない。だれが移住するか、抽選するか、政治力・金力によるか、それともノアの方舟同様、神におまかせするか。だがまてよ、そのまえに問うべきは、「人類にはそこまでやる価値があるの?」だと思う。以上、新年の所感です。
(1月1日)

【往還集140】36 人類の発展

最近読んだ座談会で1番興味を覚えたのは「人工知能は短歌を詠むか」(『短歌年鑑』平成30年版)です。参加者は小島ゆかり、坂井修一、森井マスミ、永田紅、中島裕介の5人。そのなかで坂井はSF作家アシモフの考えを紹介しています。私はアシモフを読んだことがないので、紹介をもとにいえるだけですが、地球が原子力で汚染されたとき地球にこだわっていては人類の発展がない、地球の外へ移る以外ないとロボットが計算するーーというのです。核に汚染されて人類は亡びるというのは、つい先日まではSF世界のことでした。しかし福島原発事故以来、単なる空想ではすまないと考えるようになりました。1回の事故で広大な地域に放射能は飛散し、多くの人に危害を及ぼす。そればかりか核のゴミを無害化するには10万年単位の歳月を要する。3・11をきっかけに露呈したのはそういう大問題です。
(2018年1月1日)
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