2017年10月アーカイブ

【往還集140】10 銀河鉄道の壁画

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▲大川小学校にのこされた卒業制作の壁画。

大川小学校にも立ち寄りました。
はじめて訪れたのは、2011年7月11日。
瓦礫はいたる所山となり、道路も大渋滞していた時期です。
やっと辿りついた私は、波に呑みこまれた校舎の凄惨さに思わずしゃがみこんでしまいました。
けれど校舎裏にある卒業制作の壁画に、とりわけ「銀河鉄道の夜」には目をみはりました。
当時私は賢治学会の理事をしていて、震災基金使途の案を練っていました。
7月末にも理事会があったので、写真を回覧しつつ壁画の保存を提案しました、このままでは瓦礫として処分されるかもしれないと。 
しかし学会が先行するのもおかしな話ではないかという意見が出て、頓挫しました。
そのとき私の気づいたのは、被災圏から遠のけば遠のくほど切実さは失せるのだいうことです。
以来6年経過、壁画は海の水をかぶってもまだまだ色鮮やかです。
貴重な記憶として保存されるよう願っています。
(10月6日)

【往還集140】9 志津川の海・続

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▲さんさん商店街から、旧庁舎の先端がわずかに見える。

踏ん切りのつかぬままいつの間にか7年目に入り、自分の長距離運転も危うくなってきた。
幸い、息子が運転してくれるというので志津川を目指すことになった。
「ホテル観洋」は健在。
高台の建物ももとの姿。
けれど町並は、ほぼ壊滅状態。重機が呻り声をあげ、ダンプがひっきりなしに行き交う。3階建てだった庁舎跡にも近づくことができず、「さんさん商店街」からわずかに遠望できるのみ。
だのに、人間界の彼方に広がる海の美しく、穏やかなこと。
これは、どちらかがウソにちがいない。
ウソをついているのは海か、人間界か。
どちらもホントウであるのは、まちがいない。
帰りは、志津川湾から追波(おっぱ)湾へ通じる海沿いのコースを。
滝浜、寺浜、小滝、大指、相川、白浜、十三浜、吉浜などなど多くの浜がある。
そのどれもが大海嘯を免れることはできなかった。
今日の海は、秋光をたっぷり浴びて輝いていた。
(10月6日)

【往還集140】8 志津川の海

昨日、志津川へ行ってきました。
今は歌津、入谷、戸倉と合併して南三陸町になっています。地理的にいうと、石巻と気仙沼の中間点。
大震災以前、志津川湾の海が見たくて、家内と一緒にドライブしたことがあります。
志津川高校に赴任したことのある同僚が、酔うたびに「あの海はすばらしかった」と何度も語るので、いつかたしかめたかった。
それがやっと実現。
海辺の「ホテル観洋
のフロントへ行ったら予約なしでも宿泊可というので太平洋側の部屋をとり、青々と広がる海を堪能したのです。
その南三陸が、今回壊滅的な被害を受けた。防災対策庁舎では、避難を呼びかけた職員の遠藤未希さんをはじめとする、何人もが犠牲となった。
志津川病院でも多数の患者が帰らぬ人となった。
数々の情報に接するたびに、いつかあの海に立ち頭を垂れねばと思ってきましたが、心が重くなって、なかなか踏ん切りがつかなかった。
(10月6日)
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