2017年6月アーカイブ

藤井貞文は1945年4月、南方の医学専門学校に指導官として着任。敗戦後は現地で捕虜生活を送ります。
その時期の歌に

「英兵の若きが来りて なぐりたり。わが兵 静かに泣きゐたりけり」
「苦役七カ月 反省などのあるべきか。叩かれて 唯だ本能に生く」
「あはれなる捕虜よ、と言ひし蘭兵も 戦に勝てと 罵りにけり」
「悔しければ 勝ちて見よ、と罵れる英兵の顔 今も忘れず」

などがあります。
これらは、戦争とはどういうものかを端的に表しています。
負ければ敗者以外ではない、悔しかったら勝ってみよーーこれが戦争。
戦後70年たったのだから、勝者も敗者もない、沖縄の米軍は出て行ってほしい、北方4島も返してほしいとこちらは願っている。 
しかしアメリカやロシアの政治家も一般民衆も、敗けたくせになにをほざいている、悔しかったら勝ってみろと内心思っているにちがいない。
それが戦争というもの。
(6月21日)

【往還集139】22 「草原の輝き」

映画は映画館で観たいーと思いながら、遠くて簡単に足を運ぶわけにもいかない。
それならレンタル店を使えばよい。
だが店も近くにない。
手っ取り早く、テレビで映画番組を探しては観る昨今です。
今日は「草原の輝き」。
この作品は学生になった1961年に、仙台の映画館で観ました。同年に公開ですから、新作だったのです。監督はエリア・カザン。青春期の苦悩を乗り越えて、それぞれが生活者となっていく、いわば青春映画+成長物語です。
街頭に置かれた映画の立て看には、ワーズワーズの詩も出ており、それを長く暗唱してきました。

草原の輝き
花の栄光
再び還らずとも嘆かず
その奥に秘めたる力を見出すべし

ところが今回の字幕は

草原の輝きは戻らず
花は命を失ったが
嘆くことはない
残されたものに
力を見いだすのだ

でした。
両者を比べたら文語訳のほうがよい。今もって瑞々しい感じがします。
(6月20日)

【往還集139】21 豪華列車

事故以外、とかく話題に乏しい鉄道。
それがこのところ、豪華列車で盛り上がっています。
かつて国鉄には一等車から三等車までありました。三等車しか知らない子どもの私は、特等車を覗きこみ、アメリカ兵とその家族、そして金持ちそうな日本人が乗っているのを見て、自分にはまったく縁がないと思ったものでした。
そのイメージが消えないせいでしょう、新幹線にグランクラスができたときは、イヤーな気分になりました。
ところが今度は、何十万円も料金のかかる豪華列車。
豪華客船のように陸から見えないところを航行するならまだよい。こちらと同じ鉄路を使っているのが気に食わない。
テレビには、子どもまで動員して歓迎する様が放映されている。
その人垣のなかを歩いて行く乗客。
いったいどんな気持ち?
恥ずかしくない?

以上は一族に富豪が一人もおらず、大金と縁のないまま今日に至ったワタクシのひがみです。
(6月14日)

【往還集139】20 奇妙な同棲生活

私が身辺にしている機器は、ガラケーとパソコン2台。
パソコンは原稿入力用とメール用に使い分けています。
以前は1台ですませていたのですが、ウイルスに感染し全て消去という苦い経験があるので、2台にしました。
電車に乗ったときは、ぼんやりと景色を眺めていたいので、スマホは不要。
またパソコンで「往還集」というブログを発信していますが、視聴の人数をただちに知ろうなどと思っていないので、表示機能は削っています。
つまり人並みに現代機器は装備し、利用しているのですが、たえず外部と連絡をとり合っていたいとは全く思わないのです。
そうはいいながら、原稿の入力や、諸事の検索に利用し、アマゾンも頻繁に使っている。 
それなのに他方では最も原始的な書写を、和紙と筆ペンを使って毎朝つづけている。
どう考えても大いなる矛盾なのに、矛盾たちは奇妙に仲のいい同棲生活を営んでいるのです。
(6月13日)

【往還集139】19 森へ行く人

現在の家に引っ越して間もなく、森へ行く初老の人をよく見かけるようになりました。 
森は団地に隣接している、というよりは森を切り開いて造成したわけですから、周辺は森だらけです。
その人は、山靴に脚絆、腰には斧を装着し、いかにも山林に慣れている姿。
雑木や葎を切り開いては、獣道ならぬ人道を造っていたのかもしれません。
数年して姿を見かけなくなりました。
なんとなく気になっていたある日、半身不随の体を杖で支えている姿に会いました。もはや森へ行く精悍さはありません。
さらに数年して、その姿も見ることがなくなりました。
特に縁もゆかりもない人ですから

「この頃見えないが、どうしたのだろう」

とつぶやくだけ。
私も近辺をよく散策します。森に入ることもありますから見るともなしに見ている人もいるでしょう。そのうち思われるかもしれない、

「この頃見かけないが、どうしたのだろう」

と。
(6月13日)

【往還集139】18 藤井貞文・続

『全歌集』に収録された数は4593首。半端な数ではない。
これだけ作っているのに、歌人として評価しないのはどこか片手落ちの感じもしますが、歌人たらんとする気負いもない。それでいて、折に触れてよく作っている。
『僕たちが何者でもなかった頃の話をしよう』で羽生善治氏は、将棋を職業としたために捨てなければならなかったのは

「駒を動かすという喜び」

と語っていました。
これだ、と私は思ったのです。
藤井はプロ級の作歌はしたものの、プロの域には入らず

「歌を動かすという喜び」

を持ちつづけたのだと。
もっとも長い人生には、戦争体験があります。敗戦も派遣された南方の地で知り、「祖国潰ゆ」を作っています。

「声あげて 泣く我が涙 永久に、この我が泪 伝へはてなむ」
「天地の神 いまさざりしか。しかにあらぬか。我の誠の はた足らざりしか」

と、激しい慟哭を全身から絞り出すように詠んだのです。
(6月12日)
歌人藤井貞文の名を『藤井貞文全歌集』(不識書院)を手にするまで、自分は知らなかった。
なんという不勉強と責められても、いいわけはできない。
けれどもしかしたら同じ人はいっぱいいるのでは。
なにしろ、「鳥船社」という折口信夫を中心とするグループに入っていたものの、歌誌に発表するわけでも歌集を出すわけでもなかった。
経歴の主要な所だけ抽出してみます。
1906(明治39)年長門の国に生まれ、国学院大に入って折口信夫と出会う。国史学者として大学に勤め、『吉田松陰』をはじめとする著作を多く刊行する。1994(平成6)88歳で死去。その娘には歌人藤井常世が、息子には詩人藤井貞和がいる。
外部に発表して歌人としての名を高めようなどと思わず、

「ただ、先生のもとで、歌を詠み、鍛錬することを喜びとしていた」

と常世さんは書いています。
こういう在り方もいいなあと私は思ったのです。
(6月12日)

【往還集139】16 ビリジャン君

イメルダ夫人がマラカニアン宮殿を去ることになって、残していったクツ・服の類が放映されたことがあります。
クツの数がなんと1060足!
専用の部屋にずらり並んださまが、今もって頭にこびりついています。
これだけの数のなかで、足にピタッとはまり、愛用されたのはどれだけあるのかと、余計なお世話と知りながら気になってきました。 
話はいきなり、スニーカー2足しかない自分に移ります。
数年まえ、緑系の色にほれこんでスニーカーを買いました。正確にいえば、ビリジャンという色名。
けれど履くたびに違和感が生じる。
生じるけれどけっこう高価だから我慢して使おうと、歳月を重ねてきました。
ところが彼はけっして妥協しない。
やむなくもうひとつ廉いのを買ったら、今度はぴったり。
もうビリジャン君とは別れようとゴミ袋に入れたとき

「うまく出会えなくて残念だったね」

という声がしました。
(6月11日)

【往還集139】15 墓碑

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▲同慶寺のなかにある素朴なお地蔵さん。

自分の死後処理の希望、それは葬儀をしないこと、墓地も持たないこと。
とはいいながら、寺院巡りが好きで、機会を見つけてはよく行きます。
最近行った市内の寺は本法寺、輪王寺、資福寺、弥勒寺、安養寺、そして今日は同慶寺。それぞれに趣があって、心に安らぎを与えてくれます。
そればかりでなく、それぞれの墓碑を巡るうちに、一族のかけがえのない歴史があれこれと思い浮かんでくるのです。
近所の同慶寺は、山林を背後にした閑静な寺。
碑名を辿るうちに、没年「昭和十八年」に目が止まるようになりました。
これはつまり自分の生年。
戦争末期で、医療も食糧も貧困。乳幼児で亡くなった人も多い。

「昭和十八年九月七日 三才」

などをまえにすると、胸が痛くなります。
しかし

「昭和十八年十月四日 百才」

も見つけました。
こういう時代でも長寿のおばあちゃんはいた!
なにか、ほっとした気持ちになったのです。
(6月8日)

【往還集139】14 メダリスト

京都産業大学の講演・対談シリーズの中心になったのは永田和宏氏。
記録集が『僕たちが何者でもなかった頃の話をしよう』(文春新書)として刊行されました。
登壇者は山中伸弥・羽生善治・是枝裕和・山極壽一各氏。
「何者でもなかった頃」の話はそれぞれに魅力的で、人間世界の的も射抜いている。
一例を山極(やまぎわ)氏の発言から。
チンパンジーは相手の気持ちを乱すことが大嫌いで勝敗を決しないで共存する、勝つと仲間が離れていくことを本能的に知っているーー。
ここからメダリストの話へ転調。

「オリンピックのメダリストたちは驚くほど謙虚です。自分が勝って嬉しいのはもちろんですが、一方で、自分が打ち負かした相手がいることもわかっている。あるいは自分の陰で、栄光の舞台に立てなかった人がいることも知っている。そういう人たちから恨まれたくないという気持ちを、本能的に持っているのでしょう。」
(6月6日)
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