2016年12月アーカイブ

穂村弘氏の「日本語通訳機」(『短歌』2017年1月号)に

「日本にサマータイムがあったこと「サザエさん」の三巻に知る」

が。
「サマータイム」とは久しぶりのことば。というよりはすっかりお蔵入りになっていたのですが、この一首で私の記憶は俄然甦りました。
小1のとき、まともにサマータイムの実施に出会いました。
夏場は夜明けが早い、それを有効活用しない手はないとアメリカさんは考えた。
そこで何月何日何時から時計を1時間ずらすことという命令を出し、日本中が従った。 
その朝、父親は踏み台にのぼって柱時計を1時間戻した。
つまり6時を5時にした。
学校もそれに合わせて登校。昔の子どもは早起きだから、全員がきちんとそろった。
ところが担任の先生がこない。
1時間たったころ、先生が目をこすりながら自転車で駆けつけた。
この政策、各方面に不評だったらしく長くつづきませんでした。
(12月31日)
ブログに「短歌のピーナツ」があります。参加者は、堂園昌彦・永井祐・土岐知浩の3氏で、歌書を読みこんでは論評する。
最近はどの分野でも難しい本は敬遠される。そういうなかで、あえて歌書にアタックする意気ごみに、まず敬意を表したい。
対象になっているのは、吉井勇『東京・京都・大阪』、篠弘『近代短歌論』、岡井隆『現代短歌入門』などなど。
この作業はかなりの労力を要する。苦労してもすぐさまの見返りはほとんどない。
いわば手弁当作業です。
私はこういう作業こそが大切だと思っています。後々の自分の財産になることまちがいなし。
自分らも手弁当作業はよくやりました。特に記憶鮮明なのは「コロキウムIN京都」。
永田氏の呼びかけに応じて春先の京都に参集。費用は全て自分持ち。
2日間、一時の間も惜しんでの研究・討議。いわば手弁当による猛勉強会。
あのときのメンバー私以外は皆さん大物です。
(12月31日)
私と同じ年代なら覚えているでしょう、鹿野(しかの)君事件のあったことを。
いじめ自殺事件です。
当時の教育界を揺るがし、ずいぶん対策も練りあげられました。
だのにそのときの積み上げがなかったかのごとく、悲しい事件はつづいている。
そのたびに担任は、学校はなにをしているかというバッシングが生じ、マスコミも同調する。
さらにあたかも教師が無能であるかのごときイメージをつくりあげてしまう。
私は現職時代長くスクールカウンセラーを勤め、専門のカウンセラーや病院とも連携しながら危うい生徒に付き添ってきました。
しかし〈手柄話〉としていちいち公言しないのがこの界の鉄則です。
だから外部には伝わらず、事が起きたときだけ過剰反応が突発する。
私の経験から推量するに、たいていの教師はよく踏ん張っている。
ただ良い面については、当たり前のこととして社会的話題にもならないのです。
(12月30日)
柏崎驍二『四十雀日記』に

「事故死せし子の家を三十年ぶりに訪ひわが教職のことへむとす」

があります。
柏崎が高校教師を定年退職したのは、2002年のとき。
職を退くにあたって、かつて事故死した教え子の家を訪れる。墓前にもお参りしたでしょう。
それだけ、若くして亡くなった子のことが、ずっと心にかかっていたということです。
私の元同僚にも、退職の知らせをなによりもまず亡き教え子に告げに行った人がいます。その子は自死でした。
わが身をかえりみると、定年退職するにあたっていちばんほっとしたのは、担当したクラスで亡くなった子は一人もいなかったということです。
他の同僚には、事故死・自死の生徒に出会うひとが何人かいて、その悲嘆ぶりをかたわらにしてきました。
教師にとって、教え子の死に出会うほど悲しいことはない。
それは今も昔も、戦争時代だってかわることがありません。
(12月30日)
心のぬくもる話を読みました。詩誌「左庭」35号の岬多可子「彼女の日々」。
岬さんには小児科をやっている友人がいる。幼いころから病弱だったことで、早くから医師をめざし、希望がかなった。
ところが脳梗塞を発症し、そのまま勤務先の病院に入院。
言語の中枢がやられる。
いったん復職するが再度発症し、ことばがほとんど出なくなる。
が、医師の立場から、ことばを再獲得する過程をじっくり冷静に観察。
ふたたび職場にもどれるまでになり、乳児健診もする。そのときのことを友人はいう、

「言葉が出にくくなった分、赤ちゃんと意思疎通できるようになった」

そういうことがあるんだねえと胸が熱くなりました。
人は自分の弱さを起点にして他の人を理解すぐことができる。
強い人には見えないところも感じとることができる。
弱さはけっしてむだなことではない。
これは自分自身への弁護あるいはエールでもあります。
(12月29日)

スベトラーナ・アレクシエービッチ『チェルノブイリの祈り 未来の物語』(岩波現代文庫)を開きはじめた私は、胸を鷲掴みにされた気持ちでいます。
冒頭に出てくるのは消防士として原発に駆けつけやがて亡くなった、その妻の聞き書き。 
一瞬にして暗転するすさまじさは福島の場合も本質的に変っていない。
福島でもあと10年後、20年後には書かれなければならない。
敵対・愛憎を超えて人間の深層が見えてくるには、それだけの歳月が必要。
スベトラーナ・アレクシエービッチさんは「見落とされた歴史についてー自分自身へのインタビュー」に書いています。
これはチェルノブイリについての本ではない、

「なにかを理解するためには、人は自分自身の枠から出なくてはなりません。感覚の新しい歴史がはじまったのです。」

と。
通常のドキュメントに終らないその域を超えたもの。私も、そのことを考えはじめています。
(12月25日)
「かばん」2016年12月号の特集は、「描く短歌」。
冒頭に安福望と柳本々々(もともと)の対談あります。安福さんはイラストレーターで、一首の短歌をもとに絵を描いてはツイッターで発信している。
子どもの頃絵描きを夢見ながら、いつの間にか脱落してしまった自分としては、こういう企画に興味津々。
安福さん、

「短歌は歌の中にそれぞれの法則があって、その法則をこの世界で(短歌の外の世界でも)回復させる呪文のようなもの」

と発言。なかなかいいこというなあと感心しつつさらに読み進めると、

「絵を描くのは毎回描き出しが一番しんどくて、真っ白な紙をみてるとなんか怖いです。描き始めると楽なんですが。」

ともいう。
これ、よくわかる。
短歌だって作りはじめが怖い。その解決策として写生がある。身辺の具体物をとりあげることによって円滑に進み出す。
具体物とはことばを引き出す手がかりです。
(12月24日)
またノーベル賞の話。
生理学・医学賞を受賞したのは大隈良典氏。その授賞式には招待者枠があり永田和宏氏も1員として加えられた。
その随行記「「日本発」で栄誉 友の晴れ姿」を「朝日」(12月22日付)に読みました。 
永田氏は歌人、若い日からの長いつきあいですが、彼の研究している細胞生物学なるものはまるで知らない。
この分野では大隈氏と「七人の侍」といわれるほどの業績を重ねてきたらしい。
その彼の参列の記。

「壇上の友を見ながら、大隈良典という友を誇りに思うことはもちろんだが、サイエンスを通じて、こんな友人を持つことのできた自分自身を誇らしく思ったことだった。」

このように大隈氏を讃えているのですが、私の思いは、ちょっとちがう。

「賞の選考委員会はなんで永田氏も候補にしてくれなかったんだ、不公平じゃないか」

と、科学分野に無知なのに、長い歌友の肩を持ちたくなったのでした。
(12月23日)
ボブ・ディランがノーベル文学賞に推薦されるなんて想像もしていなかったし、なによりも本人が「エッ?!」の気持ちだったでしょう。
ところが賞を受けるとも受けないとも反応がない。
やっと受諾の返事があったものの、今度は授賞式不参加。
なにかにつけてやきもきさせてきたのですが、代読された「受賞スピーチ」を読んで、これでよかったのだという気持ちになりました。

「これまで演奏家として5万人を前に演奏したこともあれば、50人のために演奏したこともあります。しかし50人に演奏する方がより難しい。5万人は「一つの人格」に見えますが、50人はそうではありません。一人一人が個別のアイデンティティー、いわば自分だけの世界を持っています。物事をより明瞭に理解することができるのです。」

50万人よりも50人!
この一言にこめられた真理を、胸内深くにとどめていこうと思ったのです。
(12月23日)
11月の半ば、例年の検診のつもりで受けた一項目に引っかかり、2泊3日の検査入院をしてきました。
病院は仙台郊外で、山手にあります。3階病棟からは、なだらかな山々が眺望できます。 
入院とは縁のない生活をしてきたので、不安半ば、好奇心半ばですが、天候はもったいないほどの冬晴れ。
南西向きの窓には空がありったけ広がります。
夕方になり陽が落ちはじめました。
とりあえず安静するだけの私は、ベッドに坐り日没のさまをたっぷりと眺めることになりました。
山へ落ちようとして、稜線の枯木が針金状に浮き立つ。
このときの西日の様を、「枯木のなかをもがくように」と表現したことがあります。
今日はちがいました。「身に付着した汚れを篩にかけるように」と感じられたのです。
「そうか、だからすっかり身を隠したのちも、この世のものと思えぬあかね色で染めることができるのだ」。
新しい発見でした。
(12月22日)
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