2016年11月アーカイブ

2016年11月26日
「路上」に連載していた「宮柊二『山西省』論」をやっと書き終え、出版社へ送りました。ゲラが届き、校正している最中です。
資料からの引用文も多いので、全てを原典に当るという作業もあります。
そのとき、閃いたことが。
早暁の書写は、親鸞『教行信証』。つぎつぎと出てくる引用文に「なんだこれ?」と思うことからはじまりました。あちこちの経典からつごうのいい個所を借りてきた、パクリじゃないかと。
ところが自分自身が引用文を点検しているうちに、一冊の精髄をつかむことなしにはできないと気づきました。
親鸞は山のような経典を読み、精髄がどこにあるかをとらえた、その部分をこそ引用しているのであって、けっして自分につごうのいいように構成しているわけではない、パクリなどではないとはじめて気づいたというわけなのです。
遅まきながら、『教行信証』の門をやっとくぐることができた気分です。
2016年11月25日
何の脈絡もなく高校時代の一シーンが浮かんできました。
水沢図書館に学友とよく行きました。
そこに若く美しい司書が配置されてきて、たちまち噂が広まりました。
しかもその人がクラス担任のフィアンセだというではありませんか。
こちらは興味津々、いよいよ図書館通いを重ねました。
とうとう結婚式前日。クラスのメンバーが大挙して図書館へ(ちなみに男子だけのクラス)。
玄関に整列し、司書の方を呼んでもらいました。
何事かと出てきたその方、目をまん丸くして立ち尽くす。
すかさずブラバンのトランぺッターが結婚行進曲を吹奏。
真赤に染まる頬。
吹奏が終わったところで、代表が花束を贈呈。
この件はもちろん担任にも秘密。
後日、新宅へ引越しするというので、仲間と手伝いに。

「あのときは、ほんとに恥ずかしくて、心臓が止まりそうだったわ」

といわれました。
こちらにとっては美しく懐かしい思い出です。
2016年11月25日
「飢餓陣営」といえば佐藤幹夫氏の個人編集誌。文学・芸術・思想・医学などなど幅広い分野を扱います。佐藤氏本人も何冊もの著書を出していますから、そのエネルギーたるや並ではない。
44号の後記を読んでいたら、本まみれになったのでとうとう断捨離をはじめたとある。

「止み難き雑誌への偏愛はいかんともしがたい」

といいながら。
それを読んだ自分、よし、こちらもはじめようと思い立ったのでした。
私の関心分野もなんだかんだですから、資料は溜る一方。
以前の家は、本の重みのため宮城沖地震で襖がガタピシになりました。
その反省があるので、書庫を主目的にいまの所に建てたのです。
以来、20年。今や、書庫すらはみ出しそう。
3・11のときは危機一髪の目にもあった。

「よしこの際自分も断捨離だ

と意気込んではじめたのです、心を鬼にして。
そうなんです、鬼にならなければできないことでした。 
2016年11月24日
男性と女性には、持って生まれた性以外のちがいはない。
今やこれは大前提です、文化圏によって相違はあるものの。
だのに日常のなかにいて、やはりちがいがあるなあと思わされる場面がある。
そのひとつが散歩のスタイル。
スタイルといっても服装のことではない。男性は一人でもよく歩くが、女性にはそれが少ない。8割の女性は犬をつれている。犬の散歩を兼ねて自分も歩く。犬でもいないと一人では歩きにくいという、何かがある。
ただし時々一人で歩き走る女性がいます。少し増えてきたように私には思えます。
周りの目は気にせず、自分は自分のスタイルを貫く。
貫くといっても、決然とでなく、ごく自然に。
そういう姿に爽快さを覚えることがあるのです。都会なら何でもない風景ですが、地方ではまだまだそこまでいっていない。
人はだれでも、自分のスタイルを、ごく自然に生きるものでありたいと思うのです。
2016年11月24日
宮城県北には、伊豆沼、内沼、長沼、という大きな沼があります。
沼というより湖のイメージです。
初任校が若柳高校だった自分は、白鳥の沼として観光化される以前の伊豆沼によく行きました。
長沼はそこから割合近くにあります。たっぷりと水をたたえた自然の香り一杯の湖面。 
そこがいきなりオリンピック会場候補地としてクローズアップされた。
小池都知事も下見に来た。
村井宮城県知事も炎上し、復興予算を有効に使うなどと見栄を切りはじめた。
さらに地元でも招致運動がはじまった。
ところが今日、「否」の結論。
がっかりしたかって?いえいえ、私としてはほっとしました。
だいたい復興予算をつぎ込むなんて趣旨がちがう。
それにいざ工事がはじまったなら秋・冬もやるだろうから、白鳥も雁も寄りつかなくなる。
ラムサール条約だって無視される。
というわけで白鳥さんと共に内心ほっとしているのです。
2016年11月11日

『短歌』の「歌壇時評」担当者の一人が佐佐木定綱氏。12月号の「「若い人」と社会」を読んだとき、私は驚いたのです。

「若い人の歌には時事詠、社会詠がほぼない。」

と書き〈若い人だらけ〉の「短歌研究」新人賞作品をとりあげています。
1986年生れ、30歳の定綱氏、多少老成しているとはいえ、すでに下の世代を「若い人」といっている。
私にとって「若い人」は加藤治郎氏や穂村弘氏や東直子さんらにはじまった。
ところが彼等もいつの間にか50代のオジサン、オバサン。
さらにそのずっと下の世代が、これまた下の世代を早くも「若い人
という。
私などは「若くない人」
であり「旧い世代」
にカウントされる。
そういう立ち位置からすれば、「若い人」
は増えるばかり。
けれど私はこの頃、「若い世代」「旧い世代」
のくくりで見ていくことに、ある有効性は認めながらも、案外抜け落ちるものも多いと思っています。
2016年11月10日
この条文に不足があるとしたら、該当者を男性と指定し、女性は後方に回している点です。
現在ならこのような男女差は許されない。
もっとも、該当者が最下級の兵卒として召集され、最前線に立つことを義務付けられるなら、戦争そのものが抑止されることはまちがいない。
しかし現実には、「直接傷を負うのは自分ではない
という安全地帯に権力者は居すわります。
これは昔も今も変わりない。時代劇には戦乱のシーンがよく出てきます。大将自らが馬に乗り、敵を切りまくる。「戦争を絶滅させること受合いの法律案」を地で行っている。
見るほうは拍手喝采しますがあれはウソです。ウソをくり返していても文句の出ないのが戦国時代劇。
殿ははるか後方に家来に守られています。だいたい武術の鍛錬を怠っている殿が実戦に参加できるわけがない。
権力者はいつでも安全地帯に身を置こうとする。
これは古今東西の事実。
2016年11月10日
福島で刊行している同人誌に「駱駝の瘤通信」があります。
12号に五十嵐進氏が「あらゆる局面で権力側の人間はけっして危険に身をさらすことはない。」と書き、フリッツ・ホルムの「戦争絶滅受合法案」を引用しています。
この法案、迂闊にも私は知らなかったのですぐに検索しました。
デンマーク在住のホルムが提案した条文を、長谷川如是閑が論壇誌「我等」に1929年1月号に紹介したとわかりました。
戦争行為の開始後または宣戦布告の効力が生じた後、10時間以内に以下に該当するものは最下級の兵卒として召集し、最前線に送る。
以下の者とは「君主や大統領を含めた元首で男性」「元首の16歳以上の男性親族」「首相、大臣、次官」「開戦に反対しなかった男性の国会議員及び高位聖職者」。
該当者の妻、娘、姉妹も看護師、使役婦として召集、最も砲火に接近した野戦病院に勤務させるべしともあります。
2016年11月7日
石巻と宮城県の行政当局は地裁判決に対して控訴する方針を決めました。
遺族側は反発を強め傍目にも痛々しい進行状態になっています。
そもそも訴訟言語にはナイーブな問題を掬いきれない面があります。
部外者の入り込む余地のないところもあります。
ただ私には大川小の投げかけた問題には、人の在りようの根幹に関わる深度があると考えています。
学校と生徒の立場が「守るー守られる
の構造にあったとしても、それ自体が完全に破綻する場合がある、そうなったとき自分のことは自分のやり方で選択しなければならないということです。
震災後、今後に生かすための教訓は随分語られてきましたが、教訓をつきつめれば

「どんな対策も無力になったときどうするか


に行き着く。
自分は自分の存在を賭けてどうふるまうか、それが問われます。
この覚悟を胸に蓄えていくことこそが、最大の教訓だと私には思われます。
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