2016年6月アーカイブ

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▲豪快なイルカショー

2016年6月29日
これまでいくつもの水族館を訪れました。そのたびに動物園とは根本的にちがう雰囲気を感じます。
動物のほとんどは人間と同じ空気を吸う、いわば地上的存在。
それに対して魚類は水中的存在。
根本的にちがう空間を、地上に設置したのが水族館です。
「仙台うみの杜水族館」が開設されて一年。連日の人出もやっとおさまりつつあるとのこと。
そこで今日行ってきました。
到着と同時にイルカショー。海の巨体が空中に躍り上がるのは、やはり迫力満点。
終了ののち一階へ戻り、水槽の一つ一つを巡りました。
熱帯魚の色彩は、この世のものとも思えぬ華麗さ。白く長い無数の尾を引く、クラゲの優雅さ。
いったい魚たちは、自分がこんなにも美しいということを知っているのでしょうか。
「鏡よ鏡」と唱えながら、わが身にうっとり見入ったりしているのでしょうか。
聞いてみたいのに、そしらぬ顔で泳ぎ去っていくだけです。
2016年6月21日
現代短歌では、かつてないほどの地殻変動が生じている。
上の世代は新しい世代が了解不能だとギブアップし、新世代はそもそも上の世代の作品を読まず、結社にもほとんど寄りつかない。 
そういう断層が定型であればあるほど、はっきり見える。
したがって地殻変動の進行を定点観測するに、願ってもない分野なのです。
短歌の基軸を3点あげるなら、まず一人称形式、つぎに定型と密接する文語調と韻律、そして「具体
に拠る発想を得手とする精神風土。
それらのことごとくが、きわめて危うくなってきた。
最大の因は、アナログを駆逐してデジタルへ向かう激流です。
誰もが否応なく呑みこまれている。
もはや従来のシステムに拠らなくても「想像力と創造力さえあれば、誰でも勝負に臨める」。
けれどはたして創造にあたいするものを手にできるかどうか。
それが皆目わからない時代に、現在の私たちは立ち合っています。
2016年6月20日
「インスタグラム」とは、無料の画像共有アプリケーションのこと。
モーア氏はさらに興味深いことを指摘します。
ファッション界にリアルタイムの〈体験〉を通じた感動への回帰の動きが出てきた、それは反デジタルの衝動にもかかわらず、

「それを本当の意味で目に見えるものにするためには、インスタグラムという新たなテクノロジーの登場に頼らなければならなかった」

と。そして新たなイベントに触れながら、

「うれしいのは、そのために必要なのがお金ではなく、想像力と創造力さえあれば、誰でも勝負に臨めること」

と、きっぱり発言している。
私はここでモーア氏の分析の主要な部分を抽出しただけですが、それでも一ファッション界だけのことでなく、国境を超え、しかも多くの分野に共通していると直感するのです。 
世界規模で見たら東洋の一辺境国の日本、そのなかの一偏狭分野たる短歌も例外ではありません。
2016年6月20日
ファッション界は私にとってグラビアで見るだけの遠い世界ですが、時々記事を読んでいてこの世界も同じことが起きているのだなあと共鳴することがあります。
「VOGUE」2015年11月号でサラ・モーア氏がつぎのように現状分析している。

「歴史の常として、何かが起きている最中にその正体を見極めるのは難しい。そして今の時代は、それが通常の10倍難しい。インスタグラムの登場によって大量の画像が時空を超える速さで飛び交う今日、私たちの意識はそれらの画像にどっぷり浸かり、個々の情報はすっかりかすんで見えるようになった。」

個々の出来事が注目を浴びる時間がますます短縮されていること、加速の一途をたどる中で逆によりスローで人間的なるものを求める動きも出ていることも指摘。
それらを含めて、2015年のファッション界は

「かつてない大規模な地殻変動を経験しつつある」

と語っています。
2016年6月19日
斎藤史の『風翩翻』に、

「携帯電話持たず終らむ死んでからまで便利に呼び出されてたまるか」

があります。
ケータイの流行りはじめた時期の歌。
「いかにも斎藤らしい。時流に流されることを拒むその心意気やよし

と評価する人が多かった。
けれど私には今日まで、後味の悪さがのこったままです。
情報機器は急速に進化し、旧い世代はたちまち置いてけぼりを食う。
いまのいま新機器になじみ謳歌している世代も高齢化したときは同じことになる。
つまり年齢とともに新しい局面に出会っても、吸収するのが億劫になる。
こういう事態は、永久にくり返されていくのではないでしょうか。
そのとき置いてけぼり食ったことに居直るか、後退してしまったことを認めるかの分岐点が出てくる。
私なら居直ることをしない、後退も受け入れる、そのうえで、これからどうなるのだろうということに、興味津々でいたいと思うのです。
2016年6月15日
同人誌「率」は185頁にもおよぶバリッとした歌誌で、内容もかなり濃い。費用もずいぶんかかるだろうに、どのようにやりくりしているのだろうかと気にかかります。
その10号に「我妻俊樹誌上歌集 足の踏み場、像の墓場」が150頁も組まれています。
同人でもないのにこれほどの待遇とは、よほど優れた歌人なのだろうと期待しながら読みました。
結果として私の理解力はやっと半分というところですが、現代・世界・人類への感受に、ビビッと共振する何首かがありました。
そのひとつが

「滅んでもまた人類に生れたいだけのわたしたちのY字みち」

人類の侵した害はついには滅びへとつながっていく、けれど原初にもどってまた出発するとしたら、たいていはまた人類を選ぶのじゃないかと、解釈しました。
私はどうか。
もう人類はごめんこうむりたい、改めて選択できるなら、水とか風がいいなと思っています。
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▲平泉の藤原祭で買ってもらった木彫りのクマ

2016年6月15日
本土に住んでいるのはツキノワグマ。性格は案外穏やかで、めったに人里へ降りて来ないし、子連れでなければ人を襲ったりしないといわれてきました。
ところが今年になって出没数が増え、山菜採りに入った人が何人も亡くなっています。 
目下、毎日のように目撃情報が新聞・テレビを賑わしています。
山村に住んでいる人は、見かけてもいちいち通報しないそうですから、実際の出没はかなり多いのでしょう。
私はツキノワグマには、好意を抱いてきました。
小学1年のとき、父と兄と平泉祭に行ったことがあります。
そのときアイヌの人が木彫りの露店を開いていました。
父がお土産に、長さ12センチほどの小さいツキノワグマを買ってくれました。
それを今にいたるまで、66年間も大切に飾っています。
表情は、月の光こそがふさわしいやさしさ。そのイメージがあるので、クマ=獰猛とされることが悲しいのです。
2016年6月9日
高野公彦は1941年生れ。
永田和宏と小池光は1947年生れ。
私が若い日から頼みにしてきた同時代歌人です。
その彼らが近年次々と奥さんを亡くしています。
永田氏の奥さんは河野裕子だから、いやでも公表せざるをえない。亡妻歌もエッセイ集も多くなる。
小池氏も最近、『思川の岸辺』という心打つ一冊を出しました。
高野氏はどうか。
数年前の「コスモス」に、逝去を匂わせる歌が載りました。事情を知っていそうな人に尋ねたら「大袈裟にしないようなので」ということ。
いかにも高野氏らしいと、こちらもそれ以上は突っこみませんでした。
最近『無縫の海』が刊行され、

「出歩かず贅を好まずコーラスと碁を楽しみし六十九年の生」

をはじめとする、何首かの亡妻歌に接することができました。
公表するのがいい、わるいではない。
〈わたくしごと〉として、ひっそりと送るのもひとつの在り方だなあと思ったのでした。 
2016年6月8日
学校教育に合わせて歌を作れといわれてもそれは大変。
なにしろ日本にはわらべうた以外洋楽の歴史が皆無です。
「音楽取調掛」に命じられた人たちは苦心惨憺、外国の曲を選び日本語の歌詞を当てはめることからはじめます。
「蛍の光」「故郷の空」はスコットランド民謡、「蝶々」はスペイン民謡。「仰げば尊し」は謎でしたが、近年になってアメリカに原曲のあることがわかりました。
このようにパクリが次々と。
著作権で騒がれない時代だったのですね。作詞は、児童の理解を度外視しています。そのうえ国家主義、富国強兵を養育する目的もありますから、

ちょうちょうちょうちょう、菜の葉にとまれ、
なのはにあいたら、桜にとまれ、
さくらの花の、さかゆる御代に、
とまれよあそべ、あそべよとまれ、

というぐあいで、もともとは御代(みよ)讃歌でもあったのです。
このように、明治唱歌には興味深い問題がいっぱいです。
2016年6月6日
いまでは唱歌と童謡の区別がつかなくなりました。
もともと唱歌は明治になり、学制の整備にともなって出てきたもの、したがって明治唱歌と通称されています。
その歌詞たるやあまりにもひどいと、徹底批判して新風を送りこんだのが北原白秋です。 
彼は「赤い鳥」を主舞台に創作童謡を発表していきます。
それが大正期童謡です。
私は『北原白秋 大正期童謡とその展開』を書くとき、明治唱歌を可能な限り調べました。
白秋のいうとおり、初期のはとても芸術とはいえない。
けれどしだいに作詞、作曲のレベルが上り、日本の文化史にとっても貴重な財産となりました。
仙台文学館のまど展の期間に講座を担当することはすでに書きましたが、その下調べで、久しぶりに唱歌の歴史をふりかえりました。 
そうしたらあまりにも興味深くて、ついついのめりこみそうになっています。
いくつかの問題点をざっと粗描してみましょう。
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