2016年2月アーカイブ

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▲月山池と周辺の山。遠方に見えるのが蔵王連峰。

2016年2月19日
2月という月は、なにか中途半端だ。
正月の行事もおわり、ほっとして、さてつぎになにをしようかと思案するものの、とりあえずなにもない。
冬というには長けすぎてしまい、春にもまだまだ手が届かない。
そんな日に、月山池とその周辺の山々をめぐってきた。
クマはまだ冬眠中。ヤブカ、スズメバチの類も活動しない。
だから安心して歩きまわれるのだが、風景はとびっきりの平凡さだ。
残雪と枯れ葉とクマザサ。雑木林も針金状の枝を張りめぐらせるばかりで、一点の緑もない。林の下には湖が広がり、カモの声が少し。西の彼方には、蔵王連峰の一部がしろがねの襞をみせる。
それらが変化といえば変化で、あとは凡々たる風景ばかり。
湖岸に釣り人はいるものの、山中をめぐろうとする人はめったにいない。
けれど、凡々もすてたものではない。無心になって山の起伏をめぐり歩くことができる。この無心が唯一のとりえ。

2016年2月16日
NHK仙台の制作番組に「被災地からの声」がある。
石巻出身の津田アナウンサーが担当し、被災地の状況を知らせつづけている。
地元に寄り添った番組として貴重だ。
全国放送になるのがほんのわずかというのがいかにも惜しい。
番組がはじまると、まず避難所の様子が映る。
海の町の体育館だろう、大勢の人がおり、物資も積まれ、ごたごたしている。
そこに3歳ぐらいのおかっぱ頭の女の子が出てきて、にこっとする。
つぎの回にも、そのつぎの回にもにこっとする。
自然なふるまいがかわいいので、「モコちゃん」と呼ぶことにした。
以来5年たつから、もう小学生になっているだろう。
あの日に幼かった子たちは、身のまわりにおきたことをことばにできなかった。
だがこれから、いっぱいのモコちゃんが成長し、大人になっていく。そのとき、けっしていいかげんな大人にはならないだろうと、私は望みをつないでいる。
2016年2月14日
人は、まったくの理不尽な状態におとしいれられたとき、どのように生きぬいていけるのだろうか。
最初は誰でもが相手に対して怒りを爆発させ、全身をもって抗議し、抵抗する。
しかし、それがどんな効果も生まず、かえって自分を摩耗するだけだと知ったとき、どうしたらいいか。
北朝鮮に拉致されて24年間拘束された蓮池薫さんの『拉致と決断』は、その問いに対するなまなましいレポートだ。
最初は抗議し抵抗する。
だがしだいに感情を抑え、知性を働かせていく。
招待所の生活について、「まず、考える自由はあった。心に思い浮かべることについては、さすがに誰も干渉したり制裁を加えたりはできなかった。」と語る。
ただし「私が一番悔しかったのは、人生の幸せを追い求める自由を奪われてしまったことだった。」とも語る。
この1冊は不条理への告白書に終らない、哲学書また〈人間書〉でもあると私は思った。
2016年2月9日
もうひとつ、いまになってはじめて知ったことを書く。
それはセミのこと。
夏の朝は、ベランダに立ってヒグラシの大合唱を聞くのが習い。不思議なことにちょうど4時に、森のどこかで一匹が「ジッ」と声を立てる。それに誘われてつぎが鳴き、ついには全体が蝉声に包まれる。
このセミに雌雄があり、鳴くのは雄だということをいまのいままで知らなかった。
『続 まど・みちお全詩集』を読み進めていて、「蟬」にきたときのこと。まどさんは虫にも植物にも詳しい人だった。
「あ、蟬が鳴いている!」とはじまる。
「淋しく立ち去ろうとする胸の中で/突然はげしく小さなアコーディオンが/のびちぢみしはじめる/どんなにのびちぢみしてみても/声の出ることのなかった/あの少年の日のメス蟬の悲しい腹が┅」と声のない雌を思いやっている。
蟬時雨も男性合唱だったとは。
こんなこと皆さんはとっくに知っていたでしょうね。
2016年2月9日
いくら歳を重ねても、はじめて知ることも多く、ひそかにおどろいたり恥じ入ったりする。
私は岩手に生れ育ったから、雪のことは知り尽くしているつもり。
子ども時代は多雪期で、道路は圧雪状態になり、馬橇が鈴を鳴らして走る。その後ろに乗せてもらうのは、楽しかった。
初雪の朝は、一夜にして純白世界に変貌したことに昂奮して、裸足で庭を駆け巡った。雪の清らかさ、ふくよかさは、まさに天からの贈り物。
話は一気に飛ぶが、大震災で水道が使えなくなった日々、雪は大いなる助けとなった。トイレは水洗式だから水がないと使えない。さいわい庭には来る日も来る日も雪が積もる。それを風呂桶に運びこんで溶かし、トイレに持っていくことをはじめた。
なにしろ天からの贈り物、澄んだ水になることを疑わなかった。
ところが汚水!
地上へと降りながら、空気中の汚れまで吸いこむのが雪だとはじめてわかった。
2016年2月4日
1960年、高3の日に刻みこまれた名前がある。
「樺美智子」。
安保闘争のさなか、犠牲となった女子大生だ。
以来、何度も何度もこの氏名を思い出す。それはもちろん社会的事象を背後にしているからだが、おそらく、それだけではない。
安保の2年まえには皇太子成婚があり、皇太子妃が「美智子」だったという偶然の一致も作用している。
が、どうもそれだけでもない。
仮に「樺」でなく「杉」「楢」「柳」だったなら。
「カンバ」の音韻ゆえにインパクトが生じたのではなかろうか。
昨年一躍有名人になった「五郎丸歩」。
この場合も「ゴロウマル」だから、名前が相乗効果をあげている。もし「三郎丸」「四郎丸」だったなら、ここまで熱狂させはしなかった。
どうやら、日本語の音韻には言霊を呼ぶ要素がある。
ちなみに、仙台には四郎丸という地名が実在する。いまは住宅街だが、かつては田園地帯。誰もさわいだりしない。
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▲「赤い鳥」のカットの模写

2016年2月3日
編み物をつづけているうちに左小指が痛み、なかなか治ってくれない。
休息やむなし。
そのため編み物時間を持て余すことになった。
さてどうするか。
和紙片をいっぱい持っていることを思い出す。9㎝×13㎝。
これにカット描きをやろう。
はじめたら、おもしろいではないか。
のめりこんで、150枚を越えた。
そのうちに「赤い鳥」のカット模写も思い立ち、所蔵している復刻版を取り出してきた。大正期の画家たちが、アルバイト気分で描いたのだろうが、どうしてどうして、味のあるのがいっぱいだ。
というわけで人物画の模写をしているうちに、どれも人間の骨格がしっかりしていることに気づいた。
彼らは絵描きをめざして、デッサン修業を積んだ、その基礎力が下地にはあるのだ。
さて短歌の場合、デッサンに相当するのは何だろう。
基礎修業抜きでやろうなんて甘いと、「赤い鳥」の画家たちにいわれているような。

2016年2月2日
いきなり興を覚えて、合同句集を疾走の速度で読みはじめた。
『小熊座の俳句 三十周年記念合同句集』。参加者は134名で、一人20句ずつだから、総計2680句。
疾走とはいっても3日かかったが。ふだん俳句を読みなれていないから、興味津々。
私は常々「俳句は50作ればいいのが1つはある、短歌は50作ってもだめはだめ」という説を持っている。
そのことが証明されたかたちで、どの人からも1つ以上の秀句を見付けることができた。

「草蛍まだ見つからぬ人あまた 阿部流水」「一億の一と日桜の下歩く 上野まさい」
「秋の暮たとへば戻れない時間 大久保和子」「大寒や死を恐れねば詩は書けず 越髙飛騨男」
「一夜書き何か失う冬机 松本廉子」

ほんの数例だけあげてみた。
ところで、全部読みおわって、再び短歌へ帰ったとき思わざる気分に見舞われた、1首読むだけなのにこのまだるっこさは、なんなのだーーと。
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