【往還集135】19 『砂丘律』

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2016年1月10日
現代短歌の世界では世代間格差の問題が顕在化している。
それは穂村弘の世代あたりからはじまったが、穂村個人の責任というわけではない。
既成の短歌観を無効とするなにかが生じ、深いクレバスができてしまったというべきだろう。
私も若い世代の作品はしばしば了解不能になり、読むだけで疲れてしまう。
しかし若い世代同士にはクレバスの意識がなく、共通理解し合っているにちがいない。 
千種創一は1988年生れ。現在中東に暮している、自分にとって未知の人。
近刊『砂丘律』を開きつつ、やはり了解を阻害されるなにかを感じた。
とはいえどこか気になる作品も少なくない。それらに○を付けておき、読み終わったところで自家製「短歌ノート」に書写していった。 
そのとき、予期しない不思議なことが起きた。
〈好き勝手〉な飛躍をクレバスとしか感じられなかったのに、手で書くことによって連結が生じはじめた。

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