2015年12月アーカイブ

CIMG6860_900600.jpg
▲湖面の氷もほんのわずか。

CIMG6857_333500.jpg
▲遊歩道を巡っていくと、トンネルがある。現在は、
通り抜け出来ない。


2015年12月31日

大晦日の今日、サイカチ沼をめぐってきた。この冬はまだ、積るほどの雪は降っていない。いつにない暖冬で、湖面の氷もほんのわずか。カモの群れがクワクワと鳴きかわし、静かな波紋を作る。
対岸の木々の幹は、日差しを受けてしろがね色を帯びる。
大晦日というのに、サイカチ沼は少しも騒がない。
あちこちに点在する釣り人たちも、少しも騒がない。
この一年、世界ではつぎつぎとテロが発生、内戦に追われる難民も命がけで脱出した。
国内に目を転じても、大災害や血なまぐさい事件が多発した。
岸辺に腰をおろして、小波の行方を追っていると、すべてが遠い世界の虚構のような気がしてくる。
だが、もしかしたら、目のまえの静寂のほうがじつは虚構かもしれない。
現実と虚構を識別する方法は、なにか。
それは古今東西かわらず、指でつねってみること。
で、つねってみたが、冷気にかじかんであまり感じないのだった。



2015年12月30日

岩手の山村を歩いていたとき、何度も草木塔に出会った。
立派な石材に「草木塔」と刻まれ、山や峠の頂に建てられていた。
はじめのころ「これなに?」と疑問に思うだけだったが、やがて「草木国土悉皆成仏」によること、林業の人たちが草木の鎮魂のために建てるのだと知るようになった。
句誌「小熊座」2016年1月号に、山形の米沢へ吟行会に行ったときのことを、渡辺誠一郎と蘇武啓子が書いている。
草木塔は米沢から置賜地方にかけて32基もあり、山林伐採や木流しに関わった人たちの自然物への畏れ、感謝、祈りがこめられているのだという。
根底にあるのは、命あるものはすべて平等であるとする精神風土だと私は考えてきた。 
季語や歳時記の豊かさはこの風土があってこそ、生成されてきた。
だのに、平等を一方的に破棄した人間が、根底をくつがえす事態を引き起こした。
2011年3月11日のこと。
2015年12月17日

『遠野物語』にオシラサマの話がある。
娘が馬を愛して、ついに夫婦となる、父親が馬を殺す、娘は馬の首に乗ったまま昇天してしまう。
洞口千恵歌集『緑の記憶』を開きながら、オシラサマを思い浮かべた。
洞口は学生時代、乗馬部。
馬にほれ込んで交流を重ね、別れのときには深く悲嘆する。
そういう歌だけで一巻にまとめあげたのは、この国でもはじめてのことだろう。

「馬時間と人間時間を刻む針重なるときに馬と駈けいづ」
「放たれて跳ねつつ駈くるを見てあれば馬とは風を恋ふる生きもの」
「わが指の杜貴の舌先触るるとき言葉なき世の記憶が甦る」
「やつと馬に戻れたといふ顔をして杜貴がにはかに駈けいづるなり」

杜貴とは、とりわけ愛した馬の名前。
その杜貴とも、やがて別れがくる。

「杜貴、君のこころにありや青葉山のわれと過ぐしし緑の記憶」

大学の乗馬部は、緑に囲まれた青葉山にある。
この一首が歌集の結びである。
2015年12月16日

4月以来少しずつ読んできた『木俣修全歌集』が、やっと終わった。
若い日の第1歌集から最晩年まで収録されるのが、全歌集だ。
亡きあとの作品は、本人の取捨のないままに遺稿集として収録される。
木俣の場合も『昏々明々』『昏々明々以後』がそうだ。
生涯を見渡すことになる全歌集には、いつでも特別な感慨がともなう。

「しのこしの仕事思へば気の遠くなりゆくごとしいまは捨てなむ」

が『以後』にある。
木俣は研究書も数多く執筆してきた。
なかでも短歌史は、膨大な資料を駆使したもので、私なども随分利用させてもらった。 
だのにこれで終わりということがない。
まだ手をつけていない課題が山のようにある。
とはいえ、生命には限りがある。
その限りが目前に迫っているいま、全てを諦めるほかない。
木俣のみならず多くの先達たちは「いまは捨てなむ」と最後の重い決断をして、舞台から退場していったのだと思う。

2015年12月14日

書店にはファッション誌が華麗なばかりに並んでいる。
私は最近これらのなかから、「BAZAAR」を選んで買う。
ファッション誌の役割は、群ようこの言を借りるなら

「モデルの顔と自分の顔を交換して、妄想にふける」

ことにある。
自分の場合は世界最先端の服飾を芸術品としてみることにある。
実用性を基軸としながらも、芸術品として生成されてきたのが服飾だ。
この問題の深さをはじめて知ったのは、村上信彦の大著『服装の歴史』全3巻による。その後鷲田清一『ひとはなぜ服を着るのか』をはじめとする著作にも、随分目を開かされた。
それらのことを一口で語ることはとてもできないが、ただ服飾を考えるときの原点ははっきりしている。
第1は実用性。
第2は美。
そして第3は愛。
糸を紡ぎ布を織り一着の服とするまでの途方もない時間には、作り手の愛が自ずと籠る。服を作るのも贈るのも、愛の行為だった。
2015年12月13日

「ハウスマヌカン」とは、自社製の服を着て販売する女性。英語「ハウス」と仏語「マヌカン」の合成語。
服飾店には商品と同じものを身に着け、宣伝を兼ねる店員がいる。
それを見て「ステキ!」と反応して買うひともいる。
ところが高め商品のハウスマヌカンは、一瞬にして客の品定めをするらしい。
群ようこ『衣もろもろ』をよんでいると、衣類に対する女性の感応がいかに繊細であるかがわかる。
場合によっては戦いですらある。
群は書いている、

「ハウスマヌカンと呼ばれていた店員はみな傲慢で、お客の体形や雰囲気によって態度を変えた。私なんぞ店に足を踏み入れておらず、外からのぞいただけなのに、目が合ったとたんにかおをしかめられ、そっぽを向かれた。」

いくらなんでもいじけすぎじゃないのと思うが、ありうる気もする。
マヌカンは自分の美に自信があるから、ブザイクなひとに貶められたくないのだ。
2015年12月12日

川口常孝といえば『兵たりき』の歌人。学徒兵として大陸に出征し、敗戦後にその体験を歌として再現させた。迫真性のある戦争詠は、質量ともに出色のものだ。
最近、中根誠『兵たりきー川口常孝の生涯』が刊行された。
早速とりよせ、目下読んでいる最中だ。581頁にも及ぶ大冊で、評伝をはみ出すまでに詳細だが、こちらがはじめて知る事項もある。
その一つ。学生壮行会で早大文学部教授代表煙山専太郎が挨拶する。

「軍隊というところは野蛮なところである。諸君の教養が、これをいくらかでもよくすることができればと期待する。諸君、決して死んではならない。血気にはやったり、変な責任感にとらわれて死を急いではならない。ぜひ元気で帰ってきて欲しい。」

これは、慶応大教授白井厚の最終講義「太平洋戦争と大学」で紹介されている言。実際の記録でないのは惜しい。
煙山教授はその後無傷ですんだのだろうか。
2015年12月1日

大震災から5年たとうとして、「あのこと」は本当にあったのか夢だったのかと、混濁することがある。
私の住む住宅地は、特に震災以後建築ブームになって、つぎつぎに家屋が建っている。散歩がてら庭先を見ると、車のナンバーに「福島」「いわき」「岩手」がまじっている。大型店の駐車場に行ってもやはり同じだ。
そういうことにすら感覚がマヒしていた昨今、島田幸典歌集『駅程』に

「名古屋市の駐車場ゆえ車みな名古屋ナンバーの札つけてあり」

に出会った。
名古屋市だから名古屋ナンバーはあたりまえだ。
だが仙台の各所に、近隣県のナンバーがまじる。それはあたりまえではないのだと、改めて思いおこし、胸中に痛みを覚えた。
他県ナンバーは、ただとまっているだけで、声高になにかをいうわけではない。
けれど、ここにたどり着く間には、どの家にもどの家族にも、つらく大きなドラマがあったにちがいない。
1

このアーカイブについて

このページには、2015年12月に書かれたブログ記事が新しい順に公開されています。

前のアーカイブは2015年11月です。

次のアーカイブは2016年1月です。

最近のコンテンツはインデックスページで見られます。過去に書かれたものはアーカイブのページで見られます。

ウェブページ