2014年10月アーカイブ

第2は原発事故の問題。
絶対安全のはずの原発が一旦事故を起こすと、人知、人力では歯が立たないことが露呈された。
多くの人が被害を受け、生活の根を喪い、いまなお自死者が絶えない。
だのに原発を再稼働させたがる動きが、政治を突き上げる。
廃棄物を地下深くに保管しても、無害になるには20万年かかるといわれているのに。
20万年後、おそらく人類も生物も存在しない。
しかし地球は残り、新しい生命が萌え出る可能性はある。
もちろん、再び人類が生成されるかどうかはわからないが、原発の問題は生命のはじめまでもどり、そこから人類を相対化することを求めている。
この問題、つい数年まえまでは空想分野の〈たわごと〉だった。
けれど今、現実味を帯びて、すぐ足元にある。だのに、どのようにことばにしていったらいいのか。
ここで自分は頓挫しているのだと、率直に語っておきたかった。
(10月31日)
昨日は中野サンプラザを会場に日本歌人クラブ東京ブロック大会。
その講演を依頼されて1時間ほど話してきた。3・11から4年になろうとして、今更震災詠でもあるまいという空気が歌界にはすでにある。だから具体的なことは省いて、現在なおことばにならない鬱屈したままの問題2つに絞ろうとした。
けれどそこまで行く前提が山ほどあって、どうもわれながら散漫になってしまった。
改めて想定していた2つのあらましを書いておきたい。
第1は、科学技術の最先端と最後端について。大震災の模様は、多くが所持するケータイ、パソコンによって記録され、今までにない生々しさで全世界に送信された。科学技術の勝利そのもの。
ところが全てのライフラインが停止した肝心の現地では、最先端技術は完璧なまでに無力、頼りになるのはごく身近の人間だけだった。 
この問題をどう処理したらいいのだろうか。
(10月30日)
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▲水面に倒立する山の風景。

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▲遊歩道。色も鮮やかなマムシソウ。

「「風野又三郎」を読む」の原稿にとりくんでいたが、半月かかってやっと終了。50枚をこえたあたりから疲れ、70枚になって、これ以上もうダメって感じ。
そういうわが身を労わろうと月山池へ行ってきた。
湖は、いつ来ても不思議だ。陳腐な表現ながら、湖面はまさに鏡そのもの。広く、ひろーく、まっ平らに開け、木の実が落ちたり、カモが飛び立ったりすると、紋様がどこまでもどこまでも連鎖していく。それがしずまると、雲が、山が、黄葉の色が、どちらが本物か見分けがつかないほどに倒立する。
今日は、南がわの遊歩道を進む。
途中、渚近くまで下り、石に腰を下ろす。こちらは山の影になっているのに、向こう岸はまともに澄明な日差しを浴びている。
もしかして、そこは、失われた時間の世界。よくよく目をこらせば、たしかに幼い日、いな、未生の日の自分がよちよちと遊びまわっているではないか。
(10月26日)



「朝日」たたきがつづく。
従軍慰安婦報道は誤報にもとづくから、慰安婦はなかったと主張する勢力に口実を与えたのは、まずい。
けれど、〈誤報〉だらけの週刊誌が図に乗って口汚く罵るのはもっとまずい。
さらに「朝日」をぶっつぶして、購読者をわがほうにぶんどろうという戦略みえみえも不愉快きわまりない。
新聞の購読数は、「朝日」をたたこうがどうしようが、減少するのはしばらく避けがたいと私はみている。
なにしろふだんのニュースはパソコンでほとんどすませられる。
ただし、それで万能かどうかという問題を、3・11はまともに投げかけた。電源が消えれば、電子機能は完璧なる無能だった。
やがて回復し、メルトダウンの報がどっと流れたとき、あわれなまでに浮足だったのもパソコン派だった。
それに対して新聞媒体は、直接性と速報性に欠ける反面、人を冷静にし、適切な判断に導くように作用した。
(10月25日)
服部真里子は1987年横浜生まれ。早稲田短歌会、同人誌「町」を経て「未来」に所属。
その第1歌集『行(い)け広野(ひろの)へと』(本阿弥書店)を一気に読んで、清新な感性に魅了された。

「終電ののちのホームに見上げれば月はスケートリンクの匂い」

「白杖の音はわたしを遠ざかり雪降る街を眠らせにゆく」

など、一篇のメルヘンを紐解いていくよう。
ただ

「改札からまっすぐ海の見える駅なにを貸
したか憶えていない」

には、淡い違和感を覚えた。
この文脈からすると〈いつの日にか海ににかを貸した〉ととれる。
自分には、海から借りこそすれ、貸したという発想はない。
なにを借りたかをつきつめれば、人間であり、動物であり、生物であったその一番はじめの生命へと行き着く。
村上昭夫が

「お母さん/海の音を聞かして下さい」(「お母さん」『動物哀歌』)

とうたった、2億年まえ三葉虫となって生まれたあの奇蹟の日へと。
(10月20日)
昨年、東京を会場に宮沢賢治研究会があった。
講師の一人だった私は「水仙月の四日」と「鹿踊りのはじまり」の比較をテーマとした。賢治の童話で、珠玉の名作は「水仙月の四日」だと、私は長い間思ってきた。
ところが質疑の時間になったとき、「水仙月の四日」のどこがいいのかさっぱりわからないという発言が出た。
その不意打ちに、こちらは愕然。評価が、まさに天国と地獄ではないか。
愕然がおさまったころ、両者の溝には、ある深い問題が横たわっていると考えるようになった。
そして大江健三郎と村上春樹。黒井千次や宮本輝はわかるのに、なぜ大江や村上はわからない?
この溝を探るには、まず無意識に蓄積されてきた自分の尺度を疑い、解体させなければ。 
そのまえに、わからないことはわからないと告白(かた)ることからはじめなければ。
この問題、現在の短歌分野に進行している事態にもそのまま当てはまる。
(10月10日)
あああ、まただめだったか。
「あああ」には、ザンネン、ガッカリ、カワイソウなどの輻輳した思いがこもる。
村上春樹のノーベル文学賞、何度も候補にあがり、今年こそはとマスコミこぞって大騒ぎしたのに、またまたはずれ。何よりも本人がガックリきているだろう。
けれどいま告白(かた)ろうとしているのは、そのことではない。これまで無能をさらすようで公言できないできたが、自分は村上春樹を読んでおもしろいと思ったことが一度もないのだ。こんなに人気があり、大売れに売れているというのに。
さらに無能ぶりを告白(かた)れば、大江健三郎もどこがおもしろいのかわからない。辛うじて手応えを感じたのは小説では「飼育」だけ、そして『ヒロシマノート』をはじめとするエッセイ。
両者ともエッセイならわかる。
世間で偉大な作家と認めているのに、チンプンカンプンなのは、こちらになにか重大な欠陥があるのだ、きっと。
(10月10日)
昨夜6時14分に欠けはじめた月は、7時24分に完璧なる月食状態になった。
真っ暗になるのかと思ったらそうではない、おぞましい、それでいて神秘的な赤がね色の円盤になった。
折々ベランダに出て眺めながら、私は小学低学年の日のことを思い出していた。
月食の始終を観察し、記録しようと、あらかじめ用紙に幾つもの丸を書き、2階出窓に坐りこんだ。
やがて欠けはじめる。
そのさまを書き入れ、時刻も添えていく。しだいに夜も更け、眠気に襲われるが、目をこすりこすり、復元するまで観察した。
それを夏休みの自由課題として提出。
ところが一人の同級生、「これ、新聞写したのだべ」という。
当然「ほんとに観察したんだ」と抗議する。が、証拠はない。家に帰って新聞を探したら、確かに月食の推移が掲載されていた。
実際の観察と、模写を区別する方法はあるのか、ないのか。
この問題、まだ解決していない。
(10月9日)
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▲秋晴れの大空を飛ぶパラグライダー。

極上の秋日和とは、このことだ。朝から雲一つなく、日差しはいっぱい、風もほんの微風。
泉ヶ岳へ、と思い立つ。
いつもは北側の窓から遠望するだけ。
車を飛ばすこと45分。たちまち着いて、ロープウエイで中腹へ。仙台市街も仙台平野も太平洋も一望できる。
そしてパラグライダーの出発点でもある。若者たちが風を読んで、つぎつぎに飛び立つ。上空をゆったりゆったり漂う。
その爽快さは、眺めるだけの想像をはるかに越えるだろう。
自分もまだ若い頃空中飛行に憧れた。けれどチャンスのないまま時は過ぎ、気が付けば71歳だ。もうチャレンジというわけにもいくまい。
空のみならず山も海も、憧れながらやり損ねたことはいっぱいだ。やれたことは、ほんの、ほんの、ほんのわずかにしかすぎない。 
そんな感傷にひたりながら、草に思いっきり寝ころんで、山の空気をたっぷり吸いこんできた。
(2014年10月8日)

広島市の豪雨による大災害につづいて、今度は御嶽山の大噴火。47名の犠牲者が判明し、さらに10数人いる可能性があるという。 
なんと痛ましいことがつづくことか。犠牲者個人の情報に接すると、やりきれない思いになる。子どももいるし、交際中だったひとも、また夫婦の一方だった人も。
心が痛むと、常套語しかいえない自分に腹が立つ。
けれど思いは複雑だ。広島の惨状に息を呑んだのに、御嶽山に移ったら広島の衝撃が後退している。
このあまりの薄情さを許しがたいと思いながらも、どうにもならない。
3・11ですら、世の記憶に留まったのはせいぜい2年だ。その後のことは、被災圏外には届かない。解消したからではなく、歪みがひとりひとりに内化してしまったから。内化してしまえば、肉眼ではとらえられない。ニュースにもならない。
けれどひとりひとりの傷は、これから何度も何度も更新されていく。
(10月3日)
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