2014年2月アーカイブ

ニュースが「まど・みちおさん」の一語を発したとき、「あっ、とうとう」の思いが走った。
午前9時9分、逝去。104歳。
「路上」に「まど・みちお」を連載しはじめたのは1995年、以来書きついで『詩人まど・みちお』(北冬舎)として刊行したのが1998年。
まどさんに「路上」を送ると、手紙に代金代りの切手を挟んで返信してくれた。代金はいりませんと伝えても、やめなかった。
しだいに目が弱り、短歌だけ読んでいると音信をくれるようになったが、100歳が近づくにつれ、もう気力がなくなったという1行があった。「路上」送付もそこで終りとした。

「同時代に、まど・みちおという〈詩人〉がいる。それを知ったときの深いよろこびとかなしみが、これから、まど・みちおを探索しようとする動機のすべてである。」

これがまど論の書き出し。
戦後最大の童謡詩人は、これ以上ないほどに謙虚な人でもあった。
(2月28日)
井崎正敏は1947年生れ。吉本をよく読んできた人だ。近著に『〈戦争〉と〈国家〉の語りかた』(言視舎)がある。
その「序章」で、フクシマ後の吉本の発言をとりあげている。

「脱原発をいうことが即良心的であるとした多くの物書きのなかで、吉本の態度は際立っていた。そして吉本の科学技術に関する年来の主張は一般論としては正しい。少なくとも説得力をもつ。」

と認めたうえで、

「しかし原発がほとんど原理的なレヴェルで人間に統御不可能なシステムだという事実にあえて目をつぶり、つまり他のもろもろの科学技術と横並びにすることで、一般論に解消するという詭弁まがいの暴論を吉本は弄していた。」

と批判する。
私は井崎の論に共鳴する。放射能廃棄物は地中深くに埋蔵され、10万年後へ先送りされる。この間に科学が放射能をゼロにする方法を編み出したとして、はたして人類は生存しているのだろうか。
(2月22日)
震災直後に「『反核異論』探さむものと入りたれど書は総崩れいかにかもせむ」と詠んだ。吉本隆明の著作。
学生時代以来吉本を畏敬してきたが、この本だけは納得できないできた。原発事故に大揺れのなか、どういう論拠で反核を唱えたのか再確認したくなった。総崩れのなかから探し出すことができなくて、アマゾンから取り寄せた。
科学の到達は後戻りできない、科学の欠陥は科学が解決するーーこの基本線が『反核異論』にはある。
今回の原発事故以後も、発言にぶれはない。
だが、はたして科学にはそれほどに万能の科学力があるのだろうか。もし仮にあるとして、直接被害を蒙った膨大な人々をどう考えるか。進歩のためには犠牲もありうる、運が悪かっただけだと思っているのなら、被災者をまえにきちんと表明してほしいと私は語ってきた。
原発肯定・推進論者が被災地で堂々と持論を説いた例を、私はまだ知らない。
(2月22日)
CIMG6182_900600.jpg
▲一夜の積雪は70センチを越え、交通は遮断した。

1月中は雪が少なかった。このまま春を迎えるかと思っていたら、2月8日に大雪。
それが消えてほっとした15日、75㎝の積雪となった。吹き溜まりはさらに厚く、融雪剤など歯が立たない。人力による雪掻きにも限度がある。近くを走る仙山線は終日運休。各地の国道、高速道も事故車で動けなくなった。この日、2つの会合を抱えていたが、どれもキャンセル。家から外へ出る通路はやっと確保したものの、本道へ通じる坂道は車も通れない。すぐ向かいの公園入口には、防火水槽がある。事が起きても、消防車・救急車どれも登ること不可能。
幸い、生きつなぐための食糧と水、停電になったときの燃料は備蓄してある。3・11の教訓の賜物だ。
数日の孤立のあと、近所の3軒と坂道の除雪をし、なんとか車が通れるようにした。こういうとき、雪は風流どころか凶器そのもの。人力のひ弱さを感じるばかりだ。
(2月17日)

病死なら医師の死亡診断書でけりがつく。ところが病死でない死は、検死を受けなければならない。
小高賢も事務所に係官がやってきて、あちこち調べられたことだろう。
そんな寂しくつらいことを思っていた今日、「現代短歌」3月号が手元に届いた。彼の「よきもの」13首も載っている。掲載まではふつう2カ月かかるから、これももちろん生前作だ。
ところが一連の最後尾に置かれたのはつぎの1首。

「不審死という最期あり引き出しを改めらるる焉りはかなし」

だ。まるで自分最期の場面を、なぞっているようではないか。
こういう不思議な符合が時々ある。だから不吉な歌は作らないようにしようなどと、歌人同士で話したりする。
「よきもの」の前の頁には自分の13首も掲載されている。その最後尾を改めて見たら、
「山村(やまむら)に黒装束の人ら立つ法要へ行くバスを待たむと」ではないか。「噫」と胸の内で慨嘆するばかり。
(2月14日)
新聞訃報記事に「小高賢さん死去」。
仰天した。11日早朝、事務所で亡くなっているのを家族が見つけたという。
小高氏は69歳、自分と年齢もそれほど違わないし、批判精神も旺盛だったから、互いにやり合いながらも仲がよかった。角川の平成26年版『短歌年鑑』にも「批評の不在」を書いている。『年鑑』で唯一歯ごたえがあったと、ハガキで伝えたばかりだった。
「かりん」2月号にも「意識的なふたつの歌集」を執筆。清水房雄『残吟抄』と宮英子『青銀色』を対象にしながら「人間には一回の生しかない。だからどんな年齢であっても、初めての経験のはずである」と説き出している。小高氏だってそのうち高齢になる、どんな経験を持つものやらと興味津々。
その矢先の死去。
これってずるいじゃないかと反駁したい。けれど、もう無音とは。
私は急に全身がかったるく、腹具合もおかしくなり、半日寝込んでしまった。
(2月12日)
1

このアーカイブについて

このページには、2014年2月に書かれたブログ記事が新しい順に公開されています。

前のアーカイブは2014年1月です。

次のアーカイブは2014年3月です。

最近のコンテンツはインデックスページで見られます。過去に書かれたものはアーカイブのページで見られます。

ウェブページ