2014年1月アーカイブ

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▲今晃のこけしのスケッチ。
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▲石原日出夫の木人形をもとにしたイラスト。

今日はカメイ美術館へ。「今晃(こんあきら)の世界」展が開かれている。彼は津軽系こけしの作り手だが、伝統からはるかにはみ出して、まるで児戯のような表情を描いてはばからない人だ。目がまん丸だったりつり上がったり、眉毛も上がったり下がったり、とにかく自由自在。
こけしの世界はいまなお伝統を主流とするが、このように独創的なのもある。
そのことを、亡き石原日出夫の木人形(もくにんぎょう)ではじめて知った。生前の彼は「未来」の歌人でもあり、仙台在住だったから個人的にも交流があった。
彼は固い材質に焼き鏝で模様を入れ、重厚な色彩を出していく。国内だけでなく、海外でも個展をやる腕前で、こちらの手の出ないほどの高価さ。やむをえず個展で見た印象をもとに、イラストにすることをはじめ、しばらくは夢中になった。
こけしの世界も、他の分野と同じように幅は広く、本気になったら奥は深いのだった。
(2014年1月16日)


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▲月山池と山々の風景。

1月に入り、酷寒がつづく。今朝も-6度。昼になるにしたがって、久しぶりの日ざしだ。このときを逃さじと、月山池周辺の山へ入ってきた。
クマはとうに冬眠のはず。だのに秋の食糧がよほど少なかったのか、いまになっても出没の情報がある。クマもたいへんだなあと同情しながらも、「人知らせ」の鈴は鳴らしていく。
冬季の山は、なんのおもしろみもない。枯れ枝と枯れ葉と山の鳥と風の音ばかり。
このおもしろみのなさが、じつはおもしろい。褐色の斜面に樹木たちが、長々とまた細々と影を伸ばし、まるで幻燈のよう。湖面の大方は凍結しているが、薄氷を選んでカモたちが群れている。折々、クォ、クォと声をあげて、静寂を味わう。
その他には、目ぼしいものはなにもない。けれど、なにもないことにそれぞれが充足しているのではないかと、このごろ思えるようになってきた。もちろん、自分も含めてである。
(1月15日)



松崎は結社にも同人誌にも入っていない。総合誌にもほとんど登場しないから、この世界では目立たない。
著書にはすでに『親鸞像』『起源の物語』『吉本隆明 異和』などあり、関心領域の広さを示している。
歌集はほんのときどき出すが、時流には一切乗らず、己のスタンスを通す。そこにえもいわれぬ味わいが出てくる。
たとえばつぎの歌。

「背広着てネクタイ締めて弁当を電車のロングシートに食ひぬ」

これは修辞でもなんでもなく、たぶん、ありのまま。他人に変人であることをアピールしているわけでもない。ただ、ありのまま。 
こういう人だから

「寒に入り散髪すれば打首をせらるるごときえりの冷たさ」
「油蟬が交尾をなせるを見てゐたり生きてゐる間の虹色のとき」
「日陰にはよごれて雪が残りたり世に経るものはよごるるならむ」

などなど、こちらがはっとする歌が生まれ出る。
いまどき、貴重な歌人である。
(1月14日)
小松左京原作の映画「日本沈没」の公開は、1973年。観たのはたしか、上野の映画館。第2作は2006年公開。草彅剛が出てくる。それを昨夕のBS―TBSで観た。
日本政府は日本人を海外へ逃がそうとする。ところが難民受け入れを渋る国も出てくるという新しい内容が入る。第X作の案もあったが、実現していない。
私は「あれ」と思った、どれにも原発問題が全く出てこないではないかーー。1973年版はしかたないとしても、次の版は想定可能だったはず。日本が沈没するなら、各地の原発は停止だけではすまない。放射能は海にも空にも、世界的規模で広がることまちがいない。
もっともそこまで含めた映画だったなら、日本の原発技術は最高レベルだと胸を張り、首相自らセールスをする国が、堂々とテレビで流すはずもない。
第3の「日本沈没」が出てこないかぎり、この映画の使命はもう終わりといっていいのでは。
(1月12日)
紅白歌合戦は、随分長い間最後までみたことがない。9時を過ぎると睡魔に襲われるたちだから、そのまま眠ってしまうだけのこと。だからAKB48の大島優子が舞台で突然卒業宣言をしたと知るのは、朝になってから。しかも「公的な場で私的な宣言をするとは何事ぞ」のお叱りもズラリ。
昨夜のNHK番組「AKB48SHOW」を録画して事の成り行きをみたら、卒業宣言のとたん会場からはどよめきが起こり、そばにいた高橋みなみさんは泣き顔になった。
この突然事、誰にも予告しなかったのかどうか。いや、独断でやるわけがない、ごく限られた関係者は知っていて、この場でやればどういう反響が起きるか計算していただろう。サプライズは、まあ、いい。しかし公の場を利用するのはルール違反である。そして事前に打ち明けられていなかった親友たちも傷つく。高橋みなみさんの涙はどっちだったか。
(1月12日)
『戦地篇』につづいて読んだ『銃後篇』。これまでも部分的には目を通している。〈公〉にからめとられた非個性の数々にはうんざりしてきた。
全部をまともに読んで、うんざりは何乗にもなった。『戦地篇』が1938年刊に対しこちらは、1941年刊。この間大日本歌人協会の体質も変った。収録歌の制作期間は同じでも選択の目に落差が出た。専門歌人たちの歌も多くあるが、ほとんどがひどい。
そういうなかで、よくパスしたなあと感心するのがほんのときどき紛れ込む。

「戦争に征かざるわれの昂りてものいふことは慎まむとす」(川田順)
「あの人も この人も 一枚の紙 ひら  ひらと 日の丸の嵐を巻いて すぎ去つた」(橋本華子)
「昂奮に赤らめるおもわ皆若し出征兵士皆生きて帰れよ」(山川柳子)

死ぬことが名誉とされた時代、「皆生きて帰れよ」と直言するのは驚き。これが親たちの本心。なぜ混じり込んだのかは謎。
(1月11日)
このアンソロジーを編纂したのは大日本歌人協会。理事には北原白秋、土岐善麿をはじめ、名だたる歌人が入っている。編纂の目的に日本精神高揚のあることはいうまでもない。だから最初は、翼賛詠にいやというほど付き合わされるのかと気が進まなかった。
ところが実際に読んでいくと、多くは戦地における〈自分〉に焦点が当てられるとわかってきた。戦争だから敵が出て来るのはやむをえないにしても、観念的な敵愾心もほとんどない。それどころか、反戦歌にも反転しかねない歌もずいぶんある。

「死んだといふ。手を握るとききんきん時計だけが動いてゐるではないか」(檜本兼夫)
「一つまみ髪は切りしが傍にくづるる如く妻は坐りぬ」(前田博)

これでは少しも戦意高揚にならないではないか。それなのに詠う人がいて、選ぶ人がいた。
〈公〉でない〈私〉がまだ許された時代。〈公〉〈私〉の喫水線だったか。
(1月7日)
「路上」の長期連載「宮柊二」は『山西省』論に入っている。『山西省』を解くためには、同時代の戦争歌集を読んでおかなければと、まず取り組んでいるのが『支那事変歌集 戦地篇』。1937年に刊行されたアンソロジーで、2704首収録の大冊だ。内容は当然出征体験である。
ところで私はこの読み込みと並行して、書肆侃侃房(しょしかんかんぼう)の「新鋭短歌シリーズ」を次々と開いている。新鋭だから20代30代が中心。戦争時代と現在ではあまりにも大きな開きがある。だのに戦争の語彙がないばかりで、時空が重なり合っていると感覚して、これまたわれながらあわてる。
五島諭『緑の祠』から。

「青空も災いもないのにああだれもラジオ体操をしているだけだ」
「新興住宅地が怖いその家とその家とのあいだの一泊が」

このふしぎな感覚は、いったいぜんたいどうしたこと?すぐにはことばにできないので、しばらくおあずけです。
(1月4日)
ときどきふしぎな感覚が擦過することがある。
冬季には路面が凍結するから、朝の散歩は休む。そのかわり室内で万歩をめざして、室トレをする。ただの室トレでは盛り上がらないから、DVDで「ももクロ」をかける。彼女たちの息もつかせぬ精一杯のパフォーマンスをみていると、「なまけちゃいけないよ、さあしっかりやっておくれ」と叱咤の声が聞こえてくる。
パフォーマンスもスゴイが、会場を埋め尽くした若者たち、とりわけ男性たちの声援がスゴイ。まるで会場など割れてしまわんばかり。けれど誰もが「参加」の一点に集中しているから破壊に出ることはない。
こういうシーンには既視感があると、ある日思った。終戦記念日によく放映される、雨の神宮外苑の出陣学徒壮行会、あれだとわかり、内心ちょっとあわてた。あのときといまでは、時代がちがいすぎるではないかと。だのになぜか、どこかで重なり合う。
(1月3日)
朝読書としてトルストイ『戦争と平和』を読んでいることは、以前にも書いたことがある。
その最終の6巻を、12月31日に読み終わった。ロシアを舞台にした上流階級の生活と衰退、ナポレオンの進攻と敗北、そのなかにおける人間の生と死など、まさにまさに大河小説の名に恥じない名作。
ところがである、全6巻を読み終わった私の脳裏に浮かんできたのは、富澤赤黄男

「戞々とゆき戞々と征くばかり」

だった。『天の狼』の一句。「戞」は「かつ」と読み、武器や金属、石などが固いものにぶつかる音。赤黄男は一兵として大陸に渡り、その体験をもとに作った。表立った反戦句ではない。けれど、凄惨な場を生き尽くしたのちの、人間の原点ともいうべきものが凝縮されている。
わずか「575」と全6巻が対等だとはなにごと!と、トルストイさんは怒るだろうか。いや、案外、国境を越えて納得してくれるのではないか。
(1月2日)
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