2013年10月アーカイブ

「朝日新聞」連載「プロメテウスの罠」の今日の題は「医師、前線へ12」。2011年3月15日の福島医大の緊迫した空気が描かれる。
救急医長谷川有史は最悪のシナリオを想定する。同僚たちも「許されるなら病院を離れたい」と本音を口にする。

「結局、病院に残るか否かは個人の意思に任せることにした。誰かが逃げても恨まない。そう約束した。」

と書いている。
私はここに表明された態度に、人間としての最高の在り方を見る。長い時間をかけて積み上げてきた文化(倫理や哲学も含む)がゼロになったとき、人は一人に蓄えられた〈あるもの〉によって決断するほかない。そのため自分が犠牲になり、他の人が生きのびても恨みっこなしにしようというのが、岐路における唯一の倫理だ。
あの日、ほんのわずかの時間の内に、無数の人々がそういう決断をした。この壮大なドラマだけは、風化させるわけにいかない。
(10月30日)
このところ許容量ぎりぎりの仕事つづきで、困憊しはじめたので気分転換に「ローマの休日」を。ヘブバーン主演の白黒映画で、もう50回以上は観ている。それでも飽きないのは清純極まりない、それでいて人間的でもあるヘブバーンの魅力に。
日本に公開されたのは1954年。翌年には水沢の映画館にもやってきた。当時自分は6年生。保護者の付添いなしに行くのは禁じられていた。
ところが同じクラスの女の子数人が発覚。担任は女の先生。帰りのホームルームで起立させられる。
叱責するのかと思ったら「どんなところがおもしろかったの?」と聞く。「髪をばさっと切ったところ」と彼女たちは答える。
このときの「髪ばさっ」が鮮明に記憶に残ることになった。実際に映画を観たのは、学生になって「名画座」に行くようになってから。長い髪を一気に切り落して変身する場面は快感そのもの。
今日も、その快感。
(10月24日)
晋樹隆彦(しんじゅたかひこ)は「心の花」の歌人、本業は及川隆彦名の編集者。1944年生まれで、自分とは同世代。「短歌往来」を長年出しつづけているが、そのまえは「短歌現代」の編集長。さらにそのまえは「エロイカ」の編集長も勤めた。
河野愛子が生前仙台に来て「及川隆彦って「エロイカ」をやっていた優秀な編集者よ、「短歌現代」をやるなんてほんとはもったいない人なのよ」といった。「短歌現代」は保守的な色合いの歌誌だった。けれど自分は彼が編集長になってから購読しはじめ、退社するまでの全てを今でも保存している。
その彼の近刊歌集『侵蝕』(本阿弥書店)に

「多く名を残さず逝きしエディターを思うときあり仕事の帰り」

がある。編集者を長年やり、表裏全てを知る人ならではの感慨だ。
他人の名をあげてやることはあっても、裏方でしかない存在。そこに喜びを見出すのが編集者だという哀感もこの歌にはある。
(10月23日)

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▲慰霊碑観音と、はるかかなたの大観音が向かい合っている。

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▲長城のように築かれた防潮堤。

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▲松の枝にかかったままの毛布。

晩秋の肌触りのしはじめた今日、久しぶりの荒浜へ。
海岸すぐ近くには、新しい防潮堤がまるで万里の長城のように伸びている。傷跡なお深い松林もどんどん掘り起こされ、整地されている。
住民がどこに、どのように移住するかもすっかり決まっていないのに、時間は容赦ない。進められるところから、工事は行われ、外堀は埋められていく。
道路沿いの敷地に家財を積み上げ、椅子にデンと座りつづける初老の人がいた。「こご此処はおれの土地だ、絶対売らない」と息巻いている。
荒れ果てた松林を歩いていて、一枚の毛布が枝に引っかかっているのを見つけた。白地に赤い花、そして緑の葉の模様。3年たつというのに、色の鮮やかなこと。
変りゆくもの、変わるまいとして必死のもの。
そして祈るほか、どうしようもない自分。テトラポッドに体当たりた波が砕け、のし上がり、渚へ寄せて、そのまま平らぐ。晩秋の海だ。
(10月21日)






遺伝子解析技術の進歩で、親の望みの赤子のできる可能性が高まってきた。日本なら「目がパッチリしてスタイルもよく頭脳もほどほどでしかも優しい」女の子、「イケメンで背も高くスポーツ能力抜群頭脳は最高級」の男の子ということになろうか。
もし技術が可能になったとして、親の能力をはるかに超えた子が成長するにつれて、低レベルの親を見限ることは考慮されていない。デザイナーベビーといえば新語に聞こえるが、同じようなことは随分長くやられてきた。
わが子を有名大学に入れようと幼くして熟通いを押し付ける、娘を〈お嬢様〉にしようと特訓する。
親には、わが子をいかようにもデザインできるという幻想がある。ある程度まではうまくいっても、持って生まれた性質、能力などを総入れ替えするのは不可能だ。
そこを見極めうるかどうかに親の親たるゆえんはかかっている。そして3分の1は失敗する。
(10月21日)

編み物の専門誌に「毛糸だま」(日本ヴォーグ社)がある。その2013・秋増大号にいいことばを見つけた。
野沢弥市朗「世界手芸紀行 アイルランド」は、アラン模様の発祥地アラン諸島を訪ねる。80歳のモーリス・ニ・ドゥンネルさんにインタビューする。手先は目にも留まらぬ速さで、指さきが別の生き物のように勝手に動いている印象だという。ドゥンネルさんのことばがいい、

「このセーターは私が編んでいるのではありません。神が私に編ませてくれた、神様からの贈り物なのです」

自分も幼いころから、母親が編み物をするかたわらにいた。母は、編み棒に毛糸を引っ掻けては巧みに編み込む。ラジオを聞きながら、おしゃべりをしながら、ときには外へと目をやりながら、棒は一時も止まらない。あれは人間を超えた、神の技だった。
一昔まえ、こういう〈名人〉は素人のなかにいくらでもいた、どういう分野でも。
(10月19日)
玉井清弘は1940年生まれの歌人。生れは愛媛県だが、教員として香川県に定住。彼は最初期から時流に乗らない作風を保ってきた。
その近刊歌集『屋嶋』(角川書店)に、

「ほんとうの我などついになきことにようよう気づく齢となりぬ」

を見つけたとき、その通りだなあと頷いた。高校野球でもよく「○○高校らしさを発揮したい」とか「◇◇チームらしさが十分出なかった」などという。解説者まで「高校球児らしい試合でしたねえ」と、いかにも「らしさ」があるかのように語る。
けれどこの若さで固定した「らしさ」があるわけがない。外部が勝手に決めたイメージにすぎない。
これは大人になっても同じこと。「ほんとうの我」とか「本来の自分」はあるようでない。いつになっても「我」はぐにゃぐにゃしているばかりだ。外部から「あなたらしい」などと評されると、余計なお世話といいたくなるではないか。
(10月18日)
なにかの集まりがあると「あの日はどうしていましたか」と尋ね合うことが多い。「あの日」だけでどの日なのか通じ合う。
すると、浜の実家が流されて、親が今も行方不明で、兄弟が亡くなってなどなどの話が次々に出てくる。語り合うまでは誰もが普通の顔をしている。だのに、あるきっかけで、普通の底に沈んでいたことが噴出する。
そういう自分も、仙台と福島の叔父の関連死に翻弄された日々が、なまなましく甦る。 
けれど、生きていくためには、なまなましさを保ちつづけるわけにはいかない。〈事件〉としての「あの日」を忘れていかなければ、まえへ進めない。
だのに〈事件〉は薄れても、あのときに確かに見てしまった深淵を逃れることはできない。深淵とは、具体としての〈事件〉を超えて、人間そのものに直結するなにかだ。
そのなにかにことばが届いたとき、文学としての震災詠ははじめて成立するだろう。
(10月14日)

教師を定年退職してから10年になる。退職にあたっての安堵感を今でもよく覚えている。
担任した生徒を一人も死なせずにすんだ!この深い安堵感。事故や自殺で生徒を失い、悲嘆にくれる同僚を何人も見てきただけになおさら。
私は3・11のさなかに生じた無数の絶望を思って、何度も胸を締め付けられてきた。親も先生も手をさしのべてくれない絶望にまみれ、波に呑まれていった子どもたち。一人の生徒も救えないままもろとも消えていくほかない、教師としての究極の絶望感。
その後破壊しつくされ、泥濘のしみついている校廊を歩みながら、壁に残る写真を見た。いっぱいの子どもたち、背後に諸手をあげている若い教師たち。全てを一瞬にして覆す自然の悪意、そして生徒にも自分にも無力でしかない絶望感。
それに応えうることばは、まだない。軽々しいものいいをしてはならないと、思いつづけてきた。
(10月13日)
高校時代、年に一度全校をあげてのイモノコ会があった。学校は山手にある。そこから一時間もかけて北上川まで歩き、河原で火を焚く。
学生になって仙台へ。やはりサークルの秋の行事に組まれていた。コチラでは「イモニ会」というのだと、はじめて知った。イモニ会をやるのは東北だけだということもはじめて知った。
そのイモニ会、町内会の恒例行事でもある。住人にプロの料理屋さんがいて、その人が指導してくれる。東京で毎日2千人分の調理をしてきたという大ベテラン。
自分も役員だから、側で手伝う。大鍋二つに湯を沸かし、大量のイモノコを入れる。皆で灰汁取りをする。「仙台風イモニ」「山形風イモニ」と2種類あり、醤油と味噌で味付けをする。食材も違う。肉も葱も白菜も山のよう。砂糖も酒もどっと入れる。やがて匂いが周辺に立ち上る。
その豪快さは、料理というよりもスポーツそのものだった。
(10月12日)
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