2013年9月アーカイブ

いまどき珍しい鄙びた温泉宿が、蔵王連峰の山ふところにあると聞いていた。いつか行ってみたいと思っていて、今日やっと実現。高速道を「村田」で降りて西へ。左折して、車一台がやっと通れるほどの山道を進みに進む。
すると、下方の谷間に、ぽっかりと赤屋根が現れた。入り口には木造りのフクロウ、そして、「かまくら」の標示が。
ここなのだ。
坂を下って行くといっぱいの秋海棠に囲まれた小さな祠。そして木造そのままの二階建ての宿が。
部屋をのぞくと、畳が敷かれ、鉄瓶もある。入浴料はわずか300円。小さめの風呂ながら、「低張性アルカリ性冷鉱泉」という泉質で皮膚病に効果があるという。昼ながら何人か入浴しており、帰りにはポリタンクで温泉水を買う人もいた。
湯治場の風情のどんどん消えていくなかで、このようにしっかりと残っていたとは奇跡。原郷に還った気持ちになって半日過してきた。
(9月20日)
仙台文学館ゼミナール「宮沢賢治を読む」の2回目をやってきた。今日は「ペンネンネンネンネン・ネネムの伝記」から「ペンネンノルデ」への推移がテーマ。
この「ノルデ」は以前から気にかかっていた。作品になっているわけではない。作品以前の、わら半紙一枚に鉛筆で記された構想メモ。
けれど「ペンネンノルデはいまは居ないよ、太陽にできた黒い棘をとりに行ったよ。」というのは、火山爆破を試みるよりもはるかに宇宙的だ。黒い棘とは、太陽の黒点のこと。これが現れると地球の気象も変動し、凶作をもたらすと考えられていた。だから抜き取りにいくというのだが、もしこの構想に従って書いたとしたら、いったいなにに乗って太陽まで行っただろうか。飛行機ではとても間に合わない、やっぱりロケットだろう。
けれど人間が太陽に立つのは可能か、などなどこちらの空想まで刺激されてくる構想メモなのだ。
(9月19日)
月に一度、耳鳴りの治療に通っている。耳鼻科の近くに「SSサーティ」という高層ビルがある。30階は大展望台だ。
通院ついでに上ってみたら、絶好の快晴、市街地の果ての太平洋まで一望できる。
大震災後、何度かここに立ち、海の町並がごそっと剥落したさまに、心を痛めた。
今日もおのずと祈りの気持ちが湧く。
あれから2年半になるが、かなしいことはこれから顕在化していくと思う。
昨日は石巻の日和幼稚園の地裁判決が出た。丘の園から子どもたちを送迎しようと海側へ下り、津波に巻き込まれて4人が死去。訴訟は遺族側の勝訴となった。
だのに「よかった」という喜びが湧かないのは、園の誰もが被災者で、情報も十分に届かず、パニック状態だったからだ。
それでも法廷の場は、どちらかに白黒を付けなければならない。勝っても負けてもやりきれない訴訟が、これからも出る。目下、係争中のもある。
(9月18日)
台風は荒れに荒れて、各地に大きな被害をもたらし、やっと日本列島を抜けた。
静寂の戻った早暁。まず脳を冷やさんとベランダに立つ。
そのときだ、脳よりさきに目がカキーンと見開いたのは。
無数の星が、金砂となって、いっぱいいっぱいに散らばる。すぐ頭上には三つ星が。
このような星空を見たのは、3・11の夜以来のこと。あのときは灯り全てが消えたから、それこそ縄文の空そのものとなった。
金砂の間をくぐるようにして、一粒の光が東南方向へ流れていく。なんという名の衛星なのだろう。
星空を仰ぐたびに、宇宙の巨大さには圧倒されてしまう。到底、ことばは追いつかない。ボイジャーが36年かけて太陽系を脱出したのは、5日まえのこと。人類の知はかくも大きく、留まることをしらない。
だのに、地上に生じていることは、あいもかわらず貧し過ぎる。という弁もなんだか陳腐な感じがしてくる。
(9月17日)
敬老の日には敬老会がある。70歳以上は無料招待。自分は今年から敬老の新人。
父も母も敬老会なるものを徹底して嫌い、一度も出なかった。それだけに、どんなことをやるのか興味津々で、参加することに。その模様を報告します。
10時に集会所前に集合。あいにくの台風だというのに120人も集まる。バスで峠一つ越えた秋保温泉へ。
まず入浴。
大宴会場に案内される。
テーブルに料理が運ばれる。
挨拶と「乾杯!」に続いて、舞踊、フラダンス、手品など種々の出し物。町内の人たちながらどれもがプロなみの腕前。
最後のカラオケタイムになったら、出演希望者が続々。身近にこんなに歌のうまい人がいたとは。
フィナーレに「上を向いて歩こう」を大合唱し、2時半に閉幕。
結論。年寄りに慰めと楽しみを与えるのが敬老会と思っていたら、年寄り自身が溌剌と演戯しまくる日のことでした。
疲れました。
(9月16日)
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▲挿し木して家の垣根に移植したミヤギノハギ。手入れもしないのに、毎年咲き誇ってくれる。

垣根に植えておいたミヤギノハギが、大きく枝垂れ、小粒の花も一斉に咲き出した。その色は赤に紫を交えて濃密。ハギの風情は、枝の枝垂れ具合と花の色にある。
私が最後に勤めた広瀬高校は、昔の農学寮の跡地にできた。その名残りで、草木が大事にされ、学級用の畑地もあった。校庭に降りる傾斜地には赤ハギ、白ハギが連なり、季節になると長い滝となって咲き誇った。
管理をしているのは、創立以来勤める技師の泉さん。ハギは若い茎を挿し木にすると育つと教えられ、やってみた。白ハギは何度やっても失敗したが、赤のほうは根付いた。
家に持って帰って移植したら、手入れもなにもしないのにどんどん丈を伸ばし、みごとな花となった。
ハギの華麗さに、昔びとはことのほかに魅せられた。正確にいうと、華麗さだけでなく、微風に揺れ、やがて花屑となって地に還るはかなさをも含めて感応したのだと思う。
(9月15日)

記憶は何歳からはじまるかという経験談で、盛り上がることがある。
産湯の盥の縁を憶えているという作家の言(三島由紀夫「仮面の告白」)には魂消てしまうが、これは特殊例。
自分の場合は2歳だ。
なぜ特定できるかといえば、岩手県前沢の町筋で出征兵士を送った記憶が鮮明だからだ。自分の生れは昭和18年、その2年後に弟が生まれ、一緒にいた母は赤ん坊を負んぶしていた。だからまちがいなく昭和20年と特定できる。
卓袱台で、小さな紙に赤丸を描き、一本の箸にご飯粒で接着する。そんな細かいところまで憶えている。
あのとき見送ったお兄ちゃんたちは、どうなっただろうかと気になりだしたのは、大きくなってからだ。
やがて、停車場に動員されることが続いた。母に手を引かれていくと、白布の箱を首にかけた人が列車から降りて来る。出征のときとは違って、誰もが沈黙し、ただただ頭を下げた。
(9月14日)
哀草果の『山麓時代』は、第一歌集『山麓』に洩れている歌を編んだ歌集。「後記」に「全身の力で取組んだ時代のもの」と書いている。 
哀草果の業績は、東北農村の原風景を詠い留めたことだと改めて思った。

「藁塚のなかに見つけし鼠の児眼あかぬゆゑに罪なかりけり」
「背戸川に夜ふけ米搗く水車音をやめたり凍りけらしも」
「秋の日を働き飽かぬ人びとは月のあかりになほも稲扱く」

大正3年から昭和2年までが制作期間だ。この時代、干ばつ、冷害に何度も襲われて東北の農村はかなり貧しかった。朝から晩まで続く労働もきつかった。
そういうなかで哀草果は、山形の一農民として日々を送り、身体で感受する事々を歌にした。
それらが原風景として感じられてくるのは、かなりの時間がたってからだ。
そのためとかく懐旧の情を先立てて語られがちだが、血や汗を捨ててしまっては、原風景の厚みが脱落してしまう。
(9月13日)
宮城県美術館で開催中のシャガール展へ。シャガールといえば、空中を浮遊する恋人と花のイメージ。色彩も華やかなドリームの世界だ。
ただしシャガールはユダヤ人、作風も退廃的だとされてナチス政権下では処分の憂き目にあった。
展示は「オペラ座の下絵」からはじまる。下絵のどれもが、自由自在な幼児画に近似するが、ここを押し通すところがえらい。
絵画展に行くたびに私は羨望を覚える。既成の型にとらわれない自在さが展開されている!「自分だってこれからは自在にやっていこう」と、蘇生した気持ちになって帰る。
だのに帰ったとたん、短歌の定型が厳然として待ち構えている。短歌で自由になるとは、定型を破壊することでなく、不自由を受け入れ、定型を極めた末に可能になるといわれてきた。「確かに、その通りで」と力なくつぶやきながらも、華麗に浮遊する恋人像がしきりに目のまえを去来するのだ。
(9月13日)
リアルドールの製品レベルは日本が最高峰という情報を得たのは、何年も前の週刊誌から。なにを基準に最高などと評価するのかは、いつだって疑わしい。が、ともあれ会社名の「オリエント工業」をパソコンで開く。
そのとき、まさしく最高峰と直感した。透き通らんばかりの顔と肌が眩しいばかりに並ぶ。いかにも日本人らしい繊細な技術だ。
リアルドールとは要するにダッチワイフ、性的対象としての人形だが、性抜きにしても芸術品として遜色ない。ただし60万円以上するから、そう簡単には手が出ない。
私は直ちに空想する。顔、目、手足の動きが可能になり、声まで出せるようになったら、さまざまな場面で使っていける、ペットと同じように家族の一員にも加えうると。
そういう実験はもうはじまっているだろう。問題は、生と死を最初から孕むことのない、途中からの〈人間〉が、どこまで人間に近づけるかだ。
(9月11日)
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