2013年9月アーカイブ

この1週間、文字通り朝から晩まで、某全国短歌大会の選考の仕事をしてきた。途中、何回も休みを入れ、目薬を注しながら。
やっと終わって、目下多少の虚脱状態。
なにしろジュニア部門だけで1万首の数。夏休みの宿題になっていたとみえて、苦し紛れ、破れかぶれのも混じる。
それでも、小学、中学、高校と進むにつれて、それぞれの年代特有の実存性が感触されてくる。
なかでも中学は独得で、他の年代とは異質の浮遊感がある。もう子どもではない、けれど大人の端くれにもなりえない、そういう所在感の無さが歌にも表れる。
自分を思い返してみても、中学時代は一番印象が薄く、これという場面すら浮かんでこない。それなのに妙にわびしく、やるせなく、どんな解決口も手にすることができなかい気分だけは覚えている。
この気分はいまもなお本質的に変わっていないのだなあと、しばし感慨を覚えたのだった。
(9月30日)
9月も下旬になると、朝の気温は10度台になる。昼になって20度に達するが、この落差が続くにつれて草花も枯れていく。暑いころは水やりをすれば、再びぴんと背筋をのばした。だが今やいくら水を注いでも受け付けない。葉はくたっとなり色も変色していく。根も茎も水分・養分を吸い上げる力がなくなるのだ。
この変化は、人間も同じこと。齢と共に吸収力は衰える。いくら不老長寿を願っても、限界がある。
しかし草花は、アサガオでもホウセンカでもコスモスでも、滅びながら種を実らせる。それを採取して翌年にそなえる。
人間もこの点、全く同じはず。
だのに衰えも、身を引くのも拒む人がいる。そのためせっかくの実りを台無しにしてしまう例は少なくない。
さて、例外なく滅びにさしかかってきた自分、実りについては大したものはないが、身の引き方だけはさりげなく、また潔くありたいと思っている。
(9月29日)
はじまりがあれば、おわりもある。そんなことは最初からわかっていた。けれどついに今日が最終回、明日からはどうしようと虚脱状態になっている。
たかが連ドラというなかれ、「あまちゃん」のおもしろさはただの連ドラを越えていた。 
私の視聴の仕方は以下のよう。7時30分になるとテレビのまえで、ヨガをしながら見る。昼も見ることがある。多いときには一日3回。それでも飽きない。クドカン(宮藤官九郎)の奇想天外なパロディがあちこちに仕掛けられていて、はめられてしまった。ヤススをここまでコケにして叱られないの?とひやひやするところまで、やった。
だが最大の難所は、なんといっても三陸の大震災。ここをどうこなすかだ。深刻ぶってはダメ、かといってオワライの種にもできない。
この難問を、なんとか乗り切った。
連ドラでほとんど失敗する大団円も、肩の力が抜け、クドカン的でヨカッタ。
(9月28日)
昨夜は楽天の優勝で、大いに盛り上がった。なにしろ9年目にしてつかんだ優勝。
これでは仙台の街、優勝セールで混雑しているのではと半ば怖れながらも別件の買い物へ。
お昼に差し掛かったので一番町の通りを眼下にするレストランへ。人々が行き交う。
けれど、それだけのこと。
ちょうど生協の集会があったらしく、いっぱいの女性たちがデモ行進。生活を、憲法を守れと叫びながら「楽天ありがとう」ともいう。
なんだか気の抜けたような平和だ。
それはそうだろう、なにしろ前線は西武球場だったから。
で、サンドイッチを口にしながら戦場のことを思った。陸軍の場合、敵と接するところでは撃ち合うが、基地にもどると雰囲気ががらっと変わったという。ところが海軍は艦船が生活の場であると同時に戦場ともなる。だから規律が厳しく、結束も堅く、誇りも高かったという。
野球から軍隊を連想する可否は別として。
(9月27日)
あまんさんの絵本が『げんまんげんまん』『みんなでよいしょ』『みーつけた』『このゆびとーまれ』(いずれも小峰書店)と4さつそろいました。
絵は、いしいつとむさん。
登場するのは、ちいさな女の子のあかりちゃん、それにこぎつね、こうさぎ、こりす。4さつは、春・夏・秋・冬のじゅんばんになっています。
夏の『みんなでよいしょ』は、こうです。4人でなわとびをしていたら、どこかでなきごえがする。こぐまがあなにおちていたのです。4人はなわをたらしてたすけようとします。
けれど、なにしろこぐまはおもい。それでもがんばっていると、4人のかげぼうしもくわわってくれ、たすけだすすことができました。
あまんさんの童話には、とびっきりの、おおきなドラマがあるわけではない。できごとはいつでもちいさい。
それでいて、こころのなかに、しずかに、いつまでものこりつづけるのです。
(9月26日)
誤植で思い出した。
学校には学期ごとに考査がある。考査には試験監督がつく。監督の最中は暇だから、問題を見る。すると他の教科では結構誤植がある。特に誤植の多い、某先生もいる。けれど生徒は騒がない。
だのに国語問題の誤植になると、鬼の首を取ったように大騒ぎする。国語教師だった自分も、これに引っかかったことがある。プリントするまえに数度見直すのに、それでもぽろっと出てしまう。
キーボードで打つようになってなおさら。「学期」が「楽器」となったり、「短歌」が「単価」になったり。
人のやることに完全はありえない。キーボードにも罪はない。
とはいうものの一粒の誤植に大騒ぎされるのも癪である。
で、ある時から「問題文全体から誤植を見つけ出し、訂正しなさい。数が一致し、訂正も正解のときは10点加点します」というサービス問題を、末尾に加えることにした。
その効果たるや、覿面(てきめん)。
 (9月25日)
短歌総合誌「歌壇」10月号が届いた。先ず どこを開くかと云えば、目次である。ざっと見渡すだけで今号に賭ける編集者の意気込みが伝わってくる。年に何号かは、「今月はあまり力を入れず、流しているな」と直感するのもある。時には「流す」こともあっていい。
さて「歌壇」の目次を見、頁数に従って本文を開いたとき、???のマークが頭を走った。頁と本文が一致していない。よくよく見たら、頁は前号と同じではないか。
数日して、お詫びの文を挟んだ訂正号が送られてきた。
プロの出版社には、ありえないミスと騒ぐ人もいるだろう。編集部も大慌てだったろう。
だが、人間のやることに「ありえないこと」なんてことはありえない。誤植は出版の華でさえある。たまには手違いもけっこう。他の総合誌や結社誌は、同じことにならないようにと手綱を締めたはず。その意味で、大いなる貢献ともなっているのである。
(9月24日)
自分の幼少年時代の記憶はすべて前沢。小5まで暮らした前沢は思い出の宝庫だ。宝庫とはいいながら年々忘れていくので、気の向いたときに記し留めることにする。
母の実家は農機具店をしていた。
ある夜、賊が侵入、金庫ごと盗まれる。
これはいけないと、犬を飼うことにした。白に薄茶の模様のある雌犬で、マリーと名づけた。性格が穏やかすぎて、防犯の役にたつかどうか疑わしいが、自分にとても懐く。
けれど小5の時、自分の一家は水沢へ引越すことになった。列車が発車するそのとき、紐で結んでいたはずのマリーが車両に走り込んで来た。
「マリー、だめだ」と自分は泣きながら追い出した。
引っ越したあとも前沢に泊まりに行くことがあり、その度に喜びの再会をした。
けれどやがて病気で、亡くなってしまった。マリーを覚えている人はどんどんいなくなる。せめて、ここに記して、面影を忍んでおきたい。
(9月23日)
荒浜小学校の体育館が解体されたときには、啞然とした。床が波打ち鉄筋の曲がりくねる様は津波の凄まじさを物語る、またとない遺構だったのに。校舎も解体の話があるが、現在は保留中。
各地の震災遺構は次々と消えていく。地元の人が「見たくない」という気持ちはよくわかる。
「見たくない」とはただ「見るのがいやだ」ではなく、目にしただけで眩暈を覚えたり胸の動悸が生じたりすることをさす。だから早く処分してほしいという気持ちはよくわかる。だがどれかを残していかなければ、やがては忘れ去られる。
広島では論争の末にドームが保存された。長崎では浦上天主堂を解体してしまった。この差はあまりにも大きいと、長崎を訪れるたびに思う。
いったいどうしていくべきか。住民の気持ちも無視できないからとりあえずフェンスで囲んで冷静な判断のできるまで待つ。それ以外の妙案があるとは思えない。
(9月22日)
ススキの季節になると、思い出すシーンがある。
当時の住居は前沢。母の実家の、離れに住んでいた。自分は学齢以前の幼児だった。
前沢の町並の西方は、広大な台地だ。上野原(うわのはら)という。台地の一角にはまだ畑があった。「まだ」というのは、戦前はかなりの面積を所有していたが、農地解放でほとんどが取り上げられたからだ。
ある日、その畑に豆の収穫に行った。総勢6、7人はいた。
お昼になり、ゴザを敷く。重箱からおにぎりを出す。自分も小さな手に1個受け取る。そのとき、賢治流にいえば、どーっと風が吹いて、ススキの綿毛が飛んできた。なぜか自分のおにぎりだけに、へたへたとくっ付いてしまう。
これは大変と、自分は大泣きしてしまった。母が「おお、よしよし」と慰め、綿毛のひとつひとつを取ってくれた。
この思い出はこれだけ。劇的なストーリィはない。
けれどススキの季節になると、なつかしく再現される。
(9月21日)
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