2013年8月アーカイブ

仙台文学館の講座「宮沢賢治を読む」も7回目を迎える。
今年とりあげるのは「グスコーブドリの伝記」。目下、文献を一山積み上げて奮闘中だ。
なにしろ、毎年会場満杯になる受講者の皆さん、極めてレベルが高い。こちらがたじたじとなる質問が続出する。
とりわけ被災圏では、「ブドリ」に特別の思いがある。ブドリが身を賭して火山へ行き、若い生命を失ったことをどう考えるか。
原発事故をめぐっても、〈死を覚悟して作業したからこの程度ですんだ〉という意見のある一方、〈死者を出すなら全員退避すべき、そのためのリスクは国民が負担するほかない〉という意見もある。
「ブドリ」も、この論点を回避するわけにはいかない。
けれど、どちらか一方を「是」としてすますことができるだろうか。当然ながら過去の文献には、抽象的にしか触れられていない。では、どうするか。素手で考えるよりほか、どんな方法もない。
(8月26日)
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▲海のガレキをもとに描いたイラスト。

被災後の海辺を何度も歩きカメラに収めた。一瞬にして覆った家屋や自動車、飴細工となって湾曲した鉄柵、なにもかもが超現実の世界だ。
カメラを向けるのは、生き残ったものの傲慢だという後ろめたさはある。
けれど、写真をもとにイラスト化したなら、鎮魂にもつながるのではないか。
そんな気がして鉛筆画をはじめた。なにしろ、どれもこれもが類ないオブジェだ。
だのに、「何かが違う」という感覚が募っていく。
ついに鬱気味になって止めてしまった。
なにが理由なのだろう。
今朝「河北新報」文化欄の「未来へ続く風景を撮る」を読む。塩竈出身の写真家平間至氏についての記事。彼は震災の10日後に故郷を訪れるが、壮絶な光景を目のまえにしながら、シャッターは押さなかったという。「自分が撮ろうとしてきた美意識とは違う」がそのときの思いだ。
私は、平間氏の気持ちが痛いほどわかる気がした。
(8月20日)

どのような詩か、第4連を引用してみる。

科学は後退をゆるさない。
科学は危険に突入する。
科学は危険をのりこえる。
放射能の故にうしろをむかない。
放射能の克服と
放射能の着用とに
科学は万全をかける。
原子力の解放は
やがて人類の一切を変え
想像しがたい生活図の世紀がくる。

北川透氏はこの詩と吉本の従来の主張に変わりないことに「いまさらながら啞然とする」。
吉本のみならず原発を支持する人たちは、光太郎詩とほとんど同じ発想をしている。つまり、人類の到達した科学水準を廃棄することはできない、欠陥があればやがて科学自体が解決するーー。
私はこういう論理のあること自体は否定しない。
ただ、自信をもって主張するなら、「フクシマの犠牲も科学の進歩のためにはやむをえない、運が悪かったと思って諦めてくれ」と、フクシマに来て、フクシマの人々のまえで堂々と語ってみてほしい。
(8月20日)
北川透氏が〈ひとり雑誌〉「KYO 峡」を創刊した。
北川氏の最初の個人編集誌「あんかるわ」は1962年創刊、90年に廃刊。「路上」は「あんかるわ」の存在に随分助けられた。
その北川氏、78歳になって個人誌再開だ。「最後の根本的問題」を早速読む。吉本隆明晩年の原発発言に真向かうその批評性には、少しもブレがない。
吉本の『高村光太郎』の最後には、光太郎の「生命の大河」が引用されている。それも取り上げている。
自分もこの本は読んでいるが、引用詩の記憶がない。
改めて読んでみて、光太郎が50数年前にこんな詩を書いていたのかと、驚いてしまった。しかも生前最後に書いたもので、1955年12月19日に作り、56年1月に「読売新聞」に発表したものだという。
北川氏がこの詩を想起したきっかけは、築山登美夫「吉本隆明と原子力の時代」(「飢餓陣営」38号)だと記している。
(8月20日)
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▲猛暑のさ中、内沼の住んでいる白鳥と雁。

盆の混雑のおさまったとろで、義父母の墓参へ。
宮城県北の旧築館町(つきだてちょう)。
遅ればせの焼香ののち、内沼へ向かう。
伊豆沼と隣り合っているこの沼はハスの名所で、広い湖面にいっぱい咲く。
そのなかを舟で行くと、まるで天国に紛れ込んだ心地になる。
 ところが猛暑つづきで、花は終わっていた。今日も高速道路の標示は37度。せっかく来たのだからと、車から降りて水際に立つ。
と、数羽の白鳥と雁が寄ってきた。羽は薄汚れ、翼の付け根に傷を負っている。仲間たちが3月に北へ帰ったというのに、飛ぶ力がないために残ったのだ。
このような残留組を見かけるようになって久しいが、猛暑のなかの日々はことのほかの辛さだろう。普段はキツネやネコの襲撃から逃れるために岸から離れて過ごす。人間の方は危険でないと思うことにしたらしい。
ではあるが、クォクォという声を聞いていると、こちらがつらくなってくる。
(8月19日)

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▲庭いっぱいに咲いた、橙色のオニユリ。

7月中は、低温と長雨がつづいた。このままでは寒さの夏へ突入するのではと心配していたら、8月に入ってやっと炎暑の日々となった。
この気まぐれな天候はどうしたことかと、嘆くことしきりだが、それはそれで勢いづく草花もある。
オニユリ。
引っ越してきて間もなく、どこからか種がやってきて芽を出した。年々ふえて、ついに庭いっぱいに咲き誇ってしまった。
橙色の花弁を反らせた、可憐なその姿。なぜオニユリなどと怖ろしげな名になったのか。牧野富太郎植物図鑑で調べてみる。「粗大なユリ」の意味で、姫百合に対しての命名らしいという。「天蓋百合」ともいう。それは花のうつむいた形からきたという。
人は人の都合で、気象の乱れを嘆くが、草花は、乱れれば乱れたなりに、弱るのがある一方勢いづくのもある。
話はいきなり飛ぶが、超異常気象で人類が亡びても、別の生命体が栄える可能性はある、たぶん。
(8月13日)

私の22年前は、教師として最も忙しく、充実した時期だった。クラス担任、水泳部顧問、組合書記長その他諸々。昼休みになっても椅子に坐る暇がない。父母面談、家庭訪問もくり返す。
そんななかで父母あての通信を発信する。自分と親は同年代、生徒=息子・娘に困っているのはどちらも同じ。だから親たちと共同戦線を張った。
おかげでどんな難事も潜り抜けることができた。
そのときの記録が『学校はどうなるのか』(學芸書林)だ。「海の輝く日」というマンガも添えてある。
当時は外部にいる教育評論家が、自分の手を汚さずに学校批判をくり返し、また弁舌の立つ一部の教師がマスコミにもてはさされていた。それらのウソがよくわかっていたから〈ただの教師〉として生き、書くことを貫いた。
そういう自分の原点を久しぶりに思い出させてくれた。
かつて18歳、いま40歳の皆の、これからの人生に幸いあれ。
(8月10日)
昨夕18時50分、一番町の果物店まえに立つ。金曜の夜だから、人出が多い。
と、一人の美女が近づいてくる。
「ミチマサ先生ですか?」
エッ、だれ?
一瞬とまどって美女の顔を見る。
すると22年の歳月が一気に縮まって、A(さん)になったではないか。
半月ほどまえ、いきなりメールが入った。旧3年1組の同級会をやるので、ぜひ来てくださいと。
自分は仙台高校に13年間勤務、そのとき卒業まで付き合った唯一のクラスだ。いつのまにかもう40歳、そして自分も70歳。行って、人生の成熟期の皆にお祝いの一言でも贈りたい。ところが日程がつまっている。なんとかやりくりして、待ち合わせ場所へ立ったというわけなのだ。
国分町の会場へ案内されると、かつて18歳だった男女が、すっかり立派な大人になって集まっていた。札幌、神奈川から来た人もいる。それぞれが、かけがえのない人生を積み上げていた。
(8月10日)
書棚を整理していたら「読書ノート」3冊を見つけた。
「短歌評論」
「小説・詩」
「一般」
と分類された3冊。
かなり黄ばんだページをぱらぱら開いたら、びっしりと埋まっているではないか。ノートしたこと自体を忘れていた自分はびっくりし、多少落ち込んだ。
〈若いころはただ読み飛ばさずどの分野であれ心にかかった個所を丁寧にノートしていた、ところがいまはどうだ、歌集だけは主要作品を記し留めているが、あとはちょこちょこと本の空白にメモするだけ、繁忙にかまけていつのまにか手抜きをするようになってしまった、そうしているうちに残り時間も少なくなってしまったではないか〉
と我が身を叱る。
改めて読んでいったら、すぐれた言葉の宝庫だと気づく。少し抜き出してみる。

「ひとはもはや運命に耐えられなくなれば、自殺することができる。このことを知っておくことは、よいことだ。だが、人間は生きているかぎり、完全に失われることはけっしてないということをしっておくことも、またよいことである。」(レマルク『凱旋門』より)

「--選手たちは 田園から/ふたたび都市へとはいった/そのとき 沿道の/観衆から/ふかい どよめきがおこった/ざくろを掌にした死児がひとり/かげろうのように/選手のむれと走っているのだ」(尾花仙朔「マラソン」より)

「本当に力といえるもので、持つに値するものは、たった一つしかないことが。それは、何かを獲得する力ではなくて、受け入れる力だ。」(ル=グウィン 清水真砂子訳『ゲド戦記Ⅲ』より)

「飛星は水を過ぎて白く/落月は沙に動きて虚なり」(杜甫「中宵」より)

「正しく見るには二度見るがよい。美しく見るには一度しか見てはいけない。」(大塚幸男訳『アミエルの日記』より)

「詩人とは魂の定義において生き難い人のいい謂であろう。純粋詩人とはもっとも生き難い人のことだ。」(上田三四二『祝婚』より)         

(8月6日)
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