2013年6月アーカイブ

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▲これ以上使えないところまで使った鉛筆がいっぱいになった。

鉛筆削り器がない時代、折り込み式の小刀「肥後守(ひごのかみ)」で削った。まず小刀を滑らかに研ぎ澄まし、鉛筆の尖端を斜めに削っていく。最後に芯を尖らせて完成。
それだけのことながら、苦手な人がいっぱいいて、見るからに不格好な削り具合になる。休み時間になると、「オレのも削ってけろ」と、机の上には10本も並ぶ。それらをつぎつぎに尖らせるのは、小学児童私の歓びだった。 
時代とともに鉛筆削り器が一般化して、一気に仕上げてくれるが、あまりにも端正な尖り具合は無味この上もない。特に色鉛筆の場合は、せっかくの芯を台無しにする。さらにその後、シャーペンやボールペンに主流は移ってしまったが、私はいまでも鉛筆派だ。しかも、これ以上ダメというところまで使いきらないと、鉛筆がかわいそうでならない。そのぎりぎりをコップにためているうちに、いっぱいになった。
これ、私のひそかな宝物です。
(6月30日)

『戦争と平和』第3巻にナターシャの踊る場面がある。そのステップ、

「どこで、どういうふうにして、いつ、自分の呼吸しているロシアの大気の中から、こんな雰囲気を自分のなかに吸い取ったのだろうか」(藤沼貴訳)

と、いわしめるもの。ナターシャといえば『戦争と平和』中でも、最も魅力的な女性。その肢体が全開し、しかも意識せずしてロシアの空気を生きる。
だのに、今が絶頂期で、以後は衰退が待つばかりだとナターシャは予感する。兄ニコライに語る、

「こんな気がすることあるかしら、これから先は何もーー何ひとつありゃしない、いいことはみんな、もうすんでしまった、そして、うんざりするっていうより、侘びしくなることが?」

と。この予感は、ひときわ強い印象としてのこる。青春と、以後の長い人生の落差を射当てているからだ。
こういうとき、「うんざり」にも豊かさがあるとは、決して思いいたらない。
(6月23日)
宮柊二の軍事郵便には、火野葦平への違和が記されている。そのことが気になって火野を読むうちに、同時代に石川達三『生きている兵隊』のあることがわかった。これは発売禁止だから宮は読んでいない。
その他、関心を覚える戦中の文物が続出す。これではしばらくは宮柊二へ戻れない。
石川は、日本兵による中国民衆虐待から目をそらさない。
目下日本の一部論調は、慰安婦の強制はなかったと唱えているが、そんな正当化はとても成立しない。
特に酷いのは母親と嬰児の場面。若い女房に抱かれている嬰児。女房は生きていたのに間もなく死体で見つかり、強姦致死であることをほのめかす。嬰児はなお泣いている。

「あの児も殺してやれよ。昨日みたいにな。その方が慈悲だぜ。あのままで置けば今晩あたり生きたままで犬に食われるんだ」。

これが日本兵のことばだ。『生きている兵隊』は戦後になってやっと刊行された。
(6月17日)
『遺体』は釜石の遺体安置所を舞台にしたルポ。震災の起きてほどない3月中旬に被災地へ入り、現地の多数を取材する。
石井もまた現地と自分の折り合いを完全につけているとは思えない。だがどこかでそのことに耐え、乗り越えようとしている。これがプロというものなのだ。
私はこの本を一気に読むのが辛くて少しずつ開き、そのたびに涙を拭い、数日かかって読み終えた。
特に心に残るのは、次々と安置所に運ばれてくる「死体」が、「遺体」へと変わっていくさま。石井はその機微を、民生委員千葉淳を追いつつ描きとっている。
巻末の「取材を終えて」から引用しておきたい。

「震災後間もなく、メディアは示し合わせたかのように一斉に「復興」の狼煙を上げはじめた。だが、現地にいる身としては、被災地にいる人々がこの数えきれないほどの死を認め、血肉化する覚悟を決めない限りそれはありえないと思っていた。」
(6月13日)

石井光太『遺体』(新潮社)は映画「遺体」の原作だ。私はこの本を早くに買っていた。震災関係の本は何冊も手元においてあるが、なかなか読む気になれない。
その理由の第1はフラッシュバックが起きて胸苦しくなるから。
第2は渦中に入り込んで取材したと称して、安易な同情や的外れの批判を繰り広げるのに辟易するから。
いったい、取材という行為はどういうことかと何度も思う。
私自身は、家の倒壊は免れ、放射能で逃げ回ることもなかった。
しかしすぐ近くの団地では、何十軒も土地ごと壊滅状態になった。そこを〈見物〉することは、とてもできない。犠牲者の慰霊碑に手を合わせるだけで、死者を傷つけている気がしてくる。
だのにマスコミ人やライターたちはズカズカと渦中へ入り込む。自分が安全圏の人間であることと、どのように折り合いをつけるのだろうか。
勿論、これで一旗揚げようとする人は論外として。
(6月13日)
結社誌の「後記」は複数の編集委員がほんの数行書くだけだが、味のある書き手が何人かいる。それを月々読むのは密かな楽しみ。岩田正もその一人。「かりん」6月号の全文を写す。

「どこに発表しようと、作品は自分のもの。よく自分の作品に順序をつけて、よい総合誌にはうまく出来たもの、自分の結社誌には並の作品を出す。実にダメな歌人だ。自分の作品に自信があれば、どこにでもいいものを出さねば。」

「実にダメな歌人」この直言がいい。ワタシノコトダと震え上がった会員もいるのでは。
「路上」は結社誌ではないが、折に触れて寄稿をお願いする。一切稿料ナシ。それでもたいていが最高の作品を送ってくれる。特に同世代は超多忙でも要望に応えてくれる。かえって気の毒になって、寄稿依頼を控えるようになってきた。
けれど目に見えない琴線の張りを感じるときがある。それが「路上」の宝だと思い続けてきた。
(6月9日)
「優れ妻持てる男のほろ苦さ」

ふっと、こんな句が浮かんできた。ちょっと川柳っぽい。俳句なら

「優れ妻持つ男としハナアヤメ」

か。ちょうどアヤメ満開の季節ゆえ。
なぜ浮かんできたかといえば「かりん」6月号の後記に、岩田正の直言を読み、「いいこというなあ」と感心したからだ。それについては後で紹介するが、第6歌集『視野よぎる』の印象がこれをきっかけに甦ってきたのだ。 
岩田の妻は馬場あき子。歌人としての人気度は争われない。

「ドア閉ざす音と外にひびくゆくあてのあればかわれは今朝ものこさる」

人気者の妻は今日もお呼びがかかっている。どこからも呼ばれない自分はぽつんといるほかない。優れ妻を持つ男の孤独と哀感。
けれどいじけているわけではない。歌集を重ねるにつれて、哀感から愛感へと移行していく。

「妻の寝息ふかきをきけば日常も歌も思ひもわれよりふかき」

これなど胸に沁みてくるではないか。
(6月7日)
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