2013年1月アーカイブ

「白鳥」終刊号が届いた。冒頭に「「白鳥」終結宣言」がある。発行人成瀬有が2012年11月18日、収縮性心膜炎で死去。8年まえに食道がんを患い、以来の養生だった。成瀬は同年の歌人ゆえ、仕事ぶりを遠望しつつ、励まされてもきた。自分が釈迢空を調べていたとき、共同研究『迢空百輪講Ⅰ』を随分参考にさせてもらった。『輪講Ⅱ』も読みたい、刊行の予定はないかと問い合わせたら、そのうち機会をみつけてという返事だった。それが終刊号と一緒に送られてきた。これが最後の、貴重な仕事だ。
同年者の死は、こちらが置いてけぼりをくったようで殊更に寂しい。
が、「嘆いてどうする、そんな暇があるなら、やれることをやっておけ」と、逆に叱咤されるに決まっている。
死の前夜まで歌を作ったという。そのうちの1首を引用する。

「秋さぶる気配やや色づくと窓の森いくたびも大きたゆたひ」

さよなら、「白鳥」。
(1月8日)
宮柊二『山西省』論を進めるに当って、大戦に関する記録をできるだけ読んでおきたい。渡辺一夫『敗戦日記』もその一冊。
すっかり、感銘してしまった。あの渦中に、このような日本人もいた!渡辺は1901年生まれで、兵役年齢から、はずれている。しかし東大に勤めながら、教え子を次々に戦場へ送り、自らも辛酸をなめる。時には絶望し、自殺の誘惑さえ覚える。

「もし竹槍を取ることを強要されたら、行けという所にどこにでも行く。しかし決してアメリカ人は殺さぬ。進んで捕虜になろう。」

このように断言する。もちろん、ノートが没収されたら獄中につながれる。その危険をおかしながらも記し続ける。

「この小さなノートを残さねばならない。(略)この国と人間を愛し、この国のありかたを恥じる一人の若い男が、この危機にあってどんな気持で生きたかが、これを読めばわかるからだ。」

敗戦の年、6月6日の記述だ。
(1月7日)

作品と評論。これはどこか相性が悪いらしく、両方に長ける人はなかなかいない。短歌でも同じことだが、時々両刀使いが出現する。私が密かに期待を寄せている若手男性歌人、それは内山晶太(1977年生)と山田わたる航(1983年生)。
山田の新刊歌集『さよならバグ・チルドレン』をたった今、読み終わった。
40年も歳が離れているというのに、胸にヒリヒリとくるさびしさ、くるしさ、かなしさ、むなしさはどうしたことだろう。

「鉄道で自殺するにも改札を通る切符の代金は要る」
「正月しかみたことのない漫才師みたいに生きてゆけたらと思ふ」
「やはらかなてのひらがすくふ水があるその水がぼくに注ぎ込まれる」
「交差点を行く傘の群れなぜ皆さんさう簡単に生きられますか」

自己破滅には、秋葉原のように暴走するか、きちんと切符を払って鉄道に立つかしかない。この両者はほんの僅差。そういう時代に立ち会っている。
(1月6日)
現在地に引っ越すまえは、市街地のど真ん中に住んでいた。施設も交通もなにもかも便利。
が、地方育ちの自分には、なにかが物足りない。ひとつは小川の音がしないこと。もうひとつは夕映えを存分にみられないこと。どうせ引っ越すなら、ふたつが叶えられるところと探して、ここに来た。
周辺は森、そして森。彼方には蔵王の峰が連なる。念願の夕映えも、四季にわたって眺められるようになった。
一日の陽がしだいに傾き、山に没しようとして、溶鉱炉の鉄のように煮えたぎる。やがて、トポンと姿を隠してしまう。
それからだ、夕映えの広がるのは。透度のある金色が西方一帯に流れる。雲も、山々の白い肌も、うすくれないに染める。この世のものとも思えぬ、神々しく、やさしい夕映え。それを目のまえにしてすばらしい歌を次々と作るつもりだった。
以来17年、納得できる作がひとつもできないとはどうしたことか。
(1月5日)

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▲日が沈んだときから、夕映えは広がる。

仙台文学館にはレストラン「杜の小径」がある。店長の三山(みやま)さんは文学も好きなところから、展示に合わせた創作料理を考案。それがいつしか評判を呼ぶようになった。
私は第1回目からの「杜の小径」ファン。文学世界と料理のイメージがぴったりのときは、すばらしい。どうも今回はイマイチだなと思うこともほんのたまにある。
そのことを隠すことなく伝えるものだから、「「杜の小径」評論家」の称号さえいただくようになった。
さて新年の定番は「仙台雑煮」。ハゼを入れた昔ながらの雑煮には、旧き良き時代の郷愁もある。それを開館早々に味わってきた。昼近くなったらどこで情報を得たのか人々が次々と並びはじめた。
ハゼはどこの産かといえば追波湾(おっぱわん)に近い長面浦(ながつらうら)だ。ここは大川小学校からも近く、津波で壊滅的な被害をうけた。それでも必死の努力でハゼを確保してくれた。感謝しながらの、とびっきりの味となった。
(1月5日)

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▲人気の仙台雑煮。ハゼは長面浦から。
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▲「杜の小径」風景。一番奥に立っているのが店長の三山さん。

宮沢賢治を考えてきて、悩ましいのは宗教の問題だ。彼が激烈な日蓮宗信者であり、父親とも死闘に近い争いをしたことは、よく知られている。だのに他方では牧師と交流があったり、「銀河鉄道の夜」というキリスト教の色合い濃厚な名作も残している。
この大矛盾をどうとらえるべきか、さまざまに論じられてきたが、どうも納得しきれない。
今日、木下長宏「〈失われた時〉を見出すとき(一〇四)」(「八雁」1月号)を読んで、サーッと霧の晴れる気分になった。木下は世界の宗教の暴力性を指摘する。ユダヤ教、イスラム教、キリスト教然り、仏教もまた。分裂し、他宗派に対する憎悪と暴力を繰り返してきた。

「おそらく、宮沢賢治は、まだ、宗教という活動が抱えている分派への欲望と他宗を許さない残酷さについて答をみつけられないまま死んでいった。彼を不用意に日蓮宗の信者だったと呼ぶわけにはいかない。」
なるほど!
(1月4日)
今月も短歌総合誌を読み終わった。きらりと光ることばを、また列記しておきたい。

大河原惇行「純粋になることによって、時代が見えてくるのではないか。打算があり、企みがあるところからは、何も見えない。」(「時代と歌、一つの断片」「歌壇」1月号)

加藤英彦「大災害のあと、私たちの戻っていった日常と云う表層の海は凪いでいる。(略)この日常の海は静かにゆれる人生という名の定型である。ただ、その任意の定点に錘を降ろせば、そこにも新たな波動は生まれているのだ。見えないものをみる力、聞こえない声に耳を立てる力こそが想像力の原点だろう。」(「踏みとどまって耐える力を」同)

吉川宏志「私は、もっと〈自分〉が他者に関わっていく歌のほうに魅かれるものを感じた。(略)〈自分〉が居ないところに幸福がある、という感覚には、あまり未来を感じられない。不幸であっても〈自分〉は関わっていく、という姿勢のほうに、多少表現の粗さはあっても、私は共感したのである。」(「〈自分〉の存在しないところにある幸せ」「短歌往来」1月号)

加藤治郎「二〇〇八年六月、秋葉原無差別殺傷事件が起こった。2トントラックで歩行者をはね飛ばし、両刃のダガーで人々を殺傷した。/犯人は一人の男だった。集団による武装化を実施したオウム真理教とは、著しく異なる。彼に目指すべきものはなかった。深く何かを壊したのではなく、既に深く何かが壊れていた。」(「短歌研究」1月号)

水原紫苑「イチローを見ていると、非人間的であることこそ、最も人間的なのだ、という思いがする。その逆説によって、彼は美しい。」(「朱扇」『短歌』1月号)

石川一郎「一流のものは難しい。誰にでも消費はできるが、味わうのは難しい。味わった人にしか一流の本はその本性を明かさない。」(「編集後記」同)
原発事故のさ中、直下の現場に留まって作業を続ける多数の人がいた。退避の大混乱は報道としても伝わってくる。
だのに直下のことは何一つわからない。その大きな欠落に割り切れなさを覚えていたのは、私だけではなかろう。
最近になって、やっと伝わってきた。そのひとつ「原発暮らし」は第58回短歌人賞受賞作で、「短歌人」1月号に発表。作者高橋浩二氏は某原発の勤務員だという。

「胸に背に逃れられない圧迫感防弾チョッキに縛られており」
「モニターに映る幾多の柔らかき唇(げんぱつはんたい)と動けり」
「デモ隊の帰りし後の阻止柵に折鶴ひとつ置かれていたり」
「秘匿事項多き原発業務にて口止め込みの給与明細」
「デモ隊も通りし道の奥にある原発へ長き通勤の列」

善悪、好悪を別にして、人間が在る限り、人間の心も有る。その実像をこそ知りたい。自分は、安保時の警察官筑波杏明の歌を思い起こしていた。
(1月2日)

少しずつ朝読書してきた『佐佐木信綱歌集』(竹柏会)が終わった。最後に収録されているのは没後に編まれた『秋の聲』。
信綱は、鉄幹や子規のように派手な言論を吐くタイプではないから、高名なわりにはとらえどころがない。そのうえ、敗戦を心底から嘆きながらも、精神構造に変りはなかったし、文化人としても公人であり続けた。
だが、思いがけないほどの自在な歌も目立たないところにある。『秋の聲』から。

「船ゆあぐる籠々々に満ちあふる鯖々々の光きららに」
「夕日にほふ若葉の丘にむかひをれば孤(ひとり)の我を楽しむに似る」
「吾と水と水と吾とがしみじみとものがたる此の秋の夕べを」
「見る見るも雲のうごきと迅しせい生あるもの意(こころ)あるものと雲を思はむ」

こういうのを読んでいると、佐佐木信綱という人は、既成の歌人像を通り抜けたその彼方にこそ実像があるのではないかという気がしてくる。その感触を得ただけでも収穫だった。
(1月1日)

一夜、薄雪が降る。さらに荒れる予報だったのに風がやみ、日差しいっぱいの新年になった。
こういうときの湖と山は、静かなうえに温もりもある。正月そうそうニンゲンだっていないだろう。
というわけで月山池へ。
ところがなんと、釣り人が20人もいる。新年そうそう殺生とは。もっとも家にごろごろしているよりは、水を眺めていたほうが精神衛生にはいい。
ニンゲンを避けて山へ入る。急坂をのぼるにつれて、木の間に湖の輝きが広がり、はるかには白銀(しろがね)の蔵王も浮かびあがる。薄雪がとけて、茶褐色の落葉が湿り気を帯びる。どこかでツピッツピッと小鳥の声が。あとは無音。あくまで無音。これが冬枯れの山だ。
そのときクマが!とでもなれば、俄然ドラマがはじまるのに、あんなに出没をくり返した彼らもすでに冬眠中。
で、なにごともない、ただの平凡な冬枯れの山。この平凡が本年のはじまりです。
(2013年1月1日)

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▲冬枯れの山林から見える湖の輝き。
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