2012年9月アーカイブ

花巻のリンゴ園の一角に、とても自然ですてきなカレー専門店があると、理事仲間から聞いていた。
そこに、2日目の行事が終わったところで車で案内してもらった。花巻駅西方の郊外、曲がりくねった道をのぼるとやがてリンゴ園。看板も出していないので、レストランがあるとは思えない。
ところがあったのだ、木造の山小屋風の一軒が。
入口には「わいんさっぷ」と。室内は全て木造で、薪ストーブも設置されている。窓際に坐ると、実りを待つリンゴがいっぱいみえる。オーナーも飾り気のない自然な感じの方で、このレストランにぴったり。
開店して6年になるという。この間、派手な宣伝もしない。だのに少しずつしられるようになり、レストランのふんいきと特上のカレーを求めてやってくる。この日もはじめ自分ひとりだったのが、あっというまに6人になった。
花巻の旅の折にはどうぞ、お立ち寄りください。
(9月24日)

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▲「わいんさっぷ」 カレー専門店の木造の建物。すぐ近くがリンゴ園。

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▲「わいんさっぷ」の室内。木の椅子、テーブルと薪ストーブ。


9月22日(土)は花巻で宮沢賢治学会イーハトーブセンターの授賞式。自分の理事の任期も最後だ。
今年度のイーハトーブ賞は秋田県横手在住のむの たけじ氏に受けていただいた。
むの氏は1919年生まれ、朝日新聞の記者を勤めていたが、戦後になって戦中のけじめをつけるために退社、郷里にもどって「週刊たいまつ」を創刊。同時に農業、教育、社会など広い分野への提言をしてきた。
すでに97歳、賞などに興味がないのではーーと不安だったが、お伝えすると数日の逡巡の末に受けていただけることになった。
当日は授賞式のあと講演をお願いした。この年齢では負担ではなかろうかと心配したが、声は凛凛、話題もとどまることをしらない豊富さだ。賢治の開拓精神にはじまり日本、世界、人類へと発展していく。そして人類はやりなおしの時点に立ったことを強調。
聴衆者にただならぬ感銘を与えた。
(9月24日)

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▲「むの たけじ氏」イーハトーブ賞の受賞講演。超高齢とは思えない凛凛とした声で、会場を圧倒する。
あまんきみこは童話作家。子どもたちからも時々手紙をもらう(「日本近代文學館」2012年9月15日号)。
「ちいちゃんがかげおくりをしたこうえんは、どこかおしえてください。まっています。」こういうのは、かわいらしい。
この8月はじめ、分厚い手紙がきた。夏休みにあまんさんのことをしらべたいので、こたえをくわしく書いてできるだけ早くおくってくださいーー。「なぜどうわを書いていますか」「じぶんの本ですきなものを五冊あげて、りゆうを書いてください」その他、まるで尋問のような文面。
どうも子どもの発想ではない。あまんさん、困りはてたが捨ておくこともできない。
「作品は、もうあなたのものですよ。あなたが読んで思うこと、感じること、考えることが、この質問のように深め、ひろげられたら、とてもうれしい。それがこたえですよ」。 これは名返信。子どもと親はどんな顔をしただろうか。 
(9月18日)
松平修文は日本画家であり歌人でもあるが、若い日には俳句も詩も書いた。今回11歳から19歳にかけての詩を一冊にまとめた。
その冒頭詩「池のほとりで」は、「犬が死んでいる/水にうつる夕陽の/照りかえしを浴びて」とはじまる。この早熟すぎる不吉さには思わず「うーん」と呻ってしまう。
松平の短歌はどことなくシュールで、ローマン的でありながら不吉でもある。そのルーツが少年の日に(ということは幼年の日にも)あったわけだ。
彼は、この地上にどのようにして足を降ろしたらいいか皆目わからない少年だった。長くつらい自問の末に、「人生に意味があるか ではなく/人生に意味がある と決めて/その理由を考えることを/人生の課題として/生きる他ないらしい」(「課題」)と語るにいたる。
このときまだ13歳。少年の日の武器なき戦いが、痛々しい。
こうして危うい淵から、辛うじて這い上がろうとしていた。
(9月16日)
『正法眼蔵』の書写は、目下第五十四「洗浄」の章。
洗浄とはつまりトイレのこと。人はだれもが平等に大小便をする。便のにおいもコアラのようにはいかない。だからとかく忌み嫌われるが、『眼蔵』はちがう。ひとつひとつの動きがすべて仏に通じる。
厠がなくて樹下や露地でするときはどうするか。七個の丸めた土を二列に並べて準備する、終わったらそれで洗浄する。
東司に行くときは、かならず手巾をもつ。余裕をもって行くようにせよ、急にあわててはいけない。排便中は沈黙せよ、隣と話し合ったり笑ったり声をあげて歌ったり、鼻水や唾を周囲にちらしてはならない。無理に息んだり急いだりしてはならない。壁に落書きしてはならない。その他戒めは細かい。
「厠屋は仏道の道場であり真理に出逢う一つの場である」。
トイレタイムに雑誌をみる自分は、大いに反省させられた。けれどやはり雑誌を開く。
(2012年9月9日)
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