2012年4月アーカイブ

最後の章は「第四部 運命を抱きしめて」だ。岡井さんは「原発はむしろ被害者、ではないか小さな声で弁護してみた」をはじめとする歌を発表し、原発擁護派だと指弾されている。
けれどその根本の考えは、筋道ができている。
「原子力という人類がやっと手に入れた最高の宝を魔女裁判にかけてはいけない。」
「自然は、制御不可能で、上手につき合う外ないが、原子力など人間の造ったものは努力すればコントロール可能である。」
この考え方は、吉本隆明の『「反核」異論』にも共通する。コントロール不能状態を身近にしている私には、とうてい賛同しかねる。が、この章にいたって、岡井さんのかなりまともな論調に出会い、感銘さえ覚えた。
第一評論集『海への手紙』の時代。あのなかの知性と抒情性を加えた「朝鮮少女」、敢然と歌会始へ切り込んだ「非情の魅力について」などが連想され、しばし感慨にふけった。
(4月30日)
『岡井隆ノート』は『O』から『朝狩』まで、つまり青年歌人岡井の最も脂の乗り切った時期を対象にした。
これ以降も書き継ぐつもりだったが、歌会初選者になった〈事件〉をきっかけに、力が萎えた。
もし再度書き継ぐことがあれば、全てが見渡せる時点になったときだ。
もっともそのときは自分のほうが消えているかもしれない。
岡井はなぜ皇居への橋を渡ったのか。「物を書いたり創ったりする文人やアーティストには栄誉を求める心がある。」これだ、栄誉追求心!「私は正面からこの欲望を肯定することによってやっと心の平静をえた。」
人の多くに栄誉願望があるのは、確かだ。自分も、こそこそとあるいはがむしゃらに栄誉を求める人を腐るほど見てきた。岡井はこの欲望を解禁した。いったん解禁すれば、歯止めがない。
けれど栄誉は生きているときだけのもの。やがては跡形もなく霧散するのも確かなことだ。
(4月30日)
何の会だったか忘れたが、終了後に同世代数人が集まったとき、岡井さんの最近が話題になった。すでに離婚・結婚をくり返していた。
「女も女だよねえ、自分も捨てられるかもしれないのに惚れ込んだりして。岡井さんのどこにそんなに魅力があるのかねえ」
誰かがいう。
すかさず裕子さん(河野裕子)が「寝顔がとってもかわいいのよ。」といった。寝顔とは怪しげだが、永田夫妻が仁和寺近くに住んでいたとき、岡井さんも泊まっている。そのときのことだ。女性からすれば、えもいわれぬ魅力があるというわけだ。
ところが反面、ある種の女性には、強烈な岡井嫌いが存在する。
自分は2001年に『岡井隆ノート』を路上発行所から刊行した。それを寄贈した一女性から、礼状らしからぬ礼状が届いた。岡井は大嫌いだ、開くもいやだから別の人にあげたーー。
かくまで嫌われるとは、すごいことだと感心してしまった。
(4月29日)
「二度の離婚、そして五年間の失踪。日本を代表する大歌人には語られざる過去があった。」
新潮社版の帯文にはこうある。前衛短歌の旗手といわれ、やがてゴシップにまみれ、しかしいつのまにか宮内庁御用掛へ登り詰めるという数奇さ。
その岡井さんも、83歳。私の世代が最も影響を受けたのは、塚本邦雄と岡井隆だ。塚本のほうに「さん」をつけなるのはとんでもないという雰囲気がある。しかし岡井の方は、「さん」で通してきた。自分らの次の世代は「岡井先生」と呼ぶが、聞くだけで耳がこそぼったくなる。
そういう歌人の「語られざる過去」を読むうちに、あれこれが浮かんできた。
まず、ストーカー的女性に付きまとわれ、「裁判所へ出頭せよ」という文書まで来たことが記されている。ストーカーとは、ひとりの男(または女)に偏執的な関心を持つ行為だ。岡井さんにはその対象となる要素がある。
(4月29日)
仙台の川内に、東北大学附属植物園がある。私は学生時代から今日にいたるまで、数限りなく足を運んでいる。園内に植物標本の展示室があり、カタクリも掲示されている。
その説明書きで、開花するまでに7年を要すると知ったときは、息がつまった。
若い日には1年、いや1か月、1週にすら、さまざまなことが凝縮されている。7年先は、とても見通すことができない。
しかし年齢を重ねるにつれて、時間に自らをゆだねられるようになってきた。
それを跡づけるのが22歳からはじめた、書写という行為だ。『万葉集』を毛筆で写し終わるのに24年、『古今集』2年、『新古今』4年、『源氏』7年。目下の『正法眼蔵』は4年目に入る。
書写をやることにどういう有効性があるのかは、我ながらわからない。時間の流れに己を添わせ、己を消し去る、そういうことが自分の体質に合うといえるのみ。
カタクリの季節の所感である。
(4月21日)
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▲蕃山のあちこちに広がるカタクリの群落。

家の東方、すぐ目のまえには蕃山がある。一見するとなだらかな、ただの山だが、なかに入るとさまざまな表情に出会うことができる。
小人が潜んでいそうなモミの樹林。
笛吹き童子が奏でていそうな白滝。
運がよければ哲人の相貌の、ニホンカモシカにも会うことができる。
そして春先には、カタクリの群落が各所に広がる。
その真っ盛りのなかを、今日歩いて来た。真っ盛りといっても、目の覚めるような華麗さというわけではない。薄紫の6枚の花弁が反り返って下を向く。いかにも恥ずかしげにうつむいている。ひとつひとつは地味な花だが、千も万も咲きそろうと、あまりの見事さに声を失う。
しかもカタクリは、ただ春になって地上に出て来るのではない。開花するまでには、7年もかかるという。この間、地中に生命を養い、やっと光あふれる地上に眩しげに顔を出す。そういう、春浅い日を彩る花だ。
(4月21日)

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▲「花見山」色さまざまの花が山いっぱいに咲いている。

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▲「花見山」放射線量が掲示されている。

福島市の花見山へ去年は行けなかった。今年こそはとねらっていて、好天の今日行ってきた、桜満開にはあと一歩だが。
駅からバスで15分、ちょっとした郊外に位置する。1935年ごろから花木が植えつづけられ、いつしか桃源郷のような山なだりとなった。ソメイヨシノやヤエザクラはあと数日だが、レンギョウ、ボケ、ヒガンザクラ、ウメ、サンシュユその他が満開。黄、赤、白、桃、緑が壮大な規模で織り重なる。平日ながら団体さんも次々にやってくる。
この美しく、平和な風景。なにごともありはしなかったようだ。
が、途中に放射線量が表示されている。今日は、0、88マイクロシーベルト。そして民家近辺では、作業服を着た二人が水を鋭く放射させている。除染作業中なのだ。
目に見えない魔性のもの、そして目のまえに繰り広げられる桃源郷。
この両者の在りようをどのように説明したらいいのだろうか。
(4月16日)


『日本文学史序説』には何度も漢文が引用される。返り点も書き下し文もない白文だ。これを「シナ語」といっている。
加藤周一はそれらを読めた。しかし今の時代の人はもう読めない。長い間シナ語は教養の中心だったから読めないということは文化と断層が生じたことでもある。
漱石には漢詩がある。神山睦美氏の『漱石の俳句・漢詩』(笠間書院)は、漱石にとって漢詩が自己表現でありえたことを示している。たとえば修善寺大患のときの思い。

仰臥 人 啞(あ)の如く
黙然 大空(たいくう)を見る
大空 雲動かず
終日 杳(えう)として相同じ

これは神山氏が書き下し文にしたもので、原文は白文だ。
漱石の時代はまだこういう自己表現が可能だった。しかし西洋文芸の翻訳が盛んになるにつれて、「もはや漢詩を作る文学者は一人もなく、漢文を楽に読む作家さえ極めて稀になっていた」。
この断層は、もう取り返しのつかないものだろうか。
(4月11日)
加藤周一『日本文学史序説 下』を今日読了した。日本の文学、思想、芸能その他を視野に入れる博識ぶりには、下巻になってなお驚嘆する。林達夫、石川淳、小林秀雄をもって閉じられるものの、なお存命だったならさらに続いたはず。加藤の意識ではやはり、序説なのだ。
上、下巻に何度も説かれるのは、日本の土着世界観だ。芭蕉の発句の特徴として、日常的此岸の現在、微妙な部分への執着、美的感受性の極度の洗練をあげる。大衆演劇を語る章でも、「常に全体からではなく部分から出発しようとする著しい傾向」を指摘する。
この土着世界観がまともに表れたのは、短歌だったと今にして思う。「一人称の文学」と特化される根は深くにあったのだ。それをどのように超克するかが前衛期の最大の課題だった。が、この挑戦は必ずしもうまくいかず、土着世界観がまた頭をもたげた。<差し戻し裁判>というわけだ。
(4月11日)
いりの舎発行の月刊短歌総合紙「うた新聞」創刊号が、今日届いた。そのなかに「歌壇時評」があり、本田一弘氏が担当している。本田氏は会津在住。
さっそく読んで、やっぱりそうだったかと、つぶやく。「もう一年なのか、それともまだ一年なのか。震災後、一年という時間が経過したのだが、時間の進み具合が早いのか遅いのか、正直わからない。」と書いている。
「今、途方もなくやりきれない不思議な時間の感覚にとらわれている。」ともいう。
私は4月1日に「震災詠を考える~被災圏からの発信」を開催した。最初は6月にやろうとして、施設壊滅のために果たせなかったのだが、4月時点ではもう震災詠は終ったという感覚になっていた。
ところがいざやってみたら、過去となっていたことが昨日のように噴出した。昨日と今日の遠近法が、どうにもうまくとれなくなっている。
この感覚は、自分だけのものではなかった。
(4月10日)
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