2012年2月アーカイブ

家内は落語と漫才のファンである。テレビ番組で探し当ててはよく見る。自分も一緒に見るはめになるが、いつしか落語の結末、すなわち落ちの巧みさに感嘆するようになった。最後の一句でどっと笑わせ、「おあとがよろしいようで」と締めくくるこの技。まるで人生の最期を示唆しているよう。
「おあとがよろしいようで」で退場できたら、最高の人生だ。
漫才はどうか。どたばたと笑わせたあげく、いきなり「どうもありがとうございました」だ。これまで笑いころげた客は、一気に現実に叩きつけられる。
このときの肩すかしを食ったような、だまされたような、えもいわれぬ不全感。どうせだますなら、さいごまでだまし続けてほしい。「どうもありがとうございました」では、あまりにも不細工で興ざめ。
「おあとがよろしいようで」に拮抗できるほどの一句が出ないうちは、芸としてまだまだ未熟。これが私の素人漫才観。
(2月28日)
書評の依頼がきた。川本三郎『白秋望景』(新書館)。
書評は怖い。評するほうの実力がたちまちわかるから。特に著者はすぐに見抜く。
けれど読むことはまたとない勉強のチャンスでもあるから、できるだけ引き受ける。
ところがこの本、分厚い。締切も迫っているから必死で読まねば間に合わない。今日は花巻で賢治学会の会議。新幹線に乗ってすぐに、読みはじめる。
外は大雪。
「白秋にとって故郷柳河は失われた町、廃市である。」
栗駒高原駅。吹雪で視界がきかない。
「風景はいつも発見されるものだ。」
平泉を過ぎる。錆色の北上川が蛇行する。「「姦通罪」という禁止があったからこそ恋愛に燃えたのかもしれない。」
水沢江差。さらに激す雪。雪狼(ゆきおいの)が走り回っている最中。
「白秋はいつごろ、どこで童貞を失ったかである。」
賢治は生涯童貞。ひたすら読んでいるうちに、もう新花巻。膝まで届く積雪となっていた。
(2月25日)

ああ、またか。呆れるを通り越した寂しさが。
那覇市では2004年度から雪遊びのイベントを催している。今回も十和田市から空路運ばれてきた。
ところが放射能を怖れて避難した人たちが、中止を要請した。線量に異常値はないというのに。怖がるのはわかる。どこに逃げようが自由だ。
しかしもし雪に放射能が検出されたとしても、逃げ場がなく暮らしている人はいっぱいいる。現に自分もその一人。中止要請をしたとき、その人たちの心には雪国の無数の人々が浮かばなかっただろうか。自分だけ助かればそれでいいのだろうか。
寂しいねえ。
少なくとも自分は、沖縄に軍事基地を押し付けていていいと思ったことはいっぺんもない。痛みは分かち合うべきだと考えている。その沖縄に逃れた人が、捨ててきた土地への想像力を廃棄する。
もっとも、被災圏には悲しいことが山ほどあるから、いちいち憤ってはいられない。
(2月22日)
発言者が次々にあるのは「賢治と災害」のテーマへの関心の大きさを物語る。しかしもう時間が迫っている。そこで司会の私のほうで、今日のテーマなら避けることのできない二問を代表して提起する。
第一。賢治詩には科学用語がいっぱいある、セシウムの類まではないが、現代に生きていたら当然原発にも大きな関心を寄せたはず、それならば原発に対してどういう態度をとっただろうか。
第二。自己犠牲によって人々を救うブドリの物語を書いた。今回の震災ではいっぱいのブドリが多くの人を救った。一方で「津波てんでんこ」も改めて語られる。賢治さんなら「てんでんこ」をどう考えただろうか。
どちらにしても、難問。賢治の時代と現在ではさまざまな面で条件が違うからすぐ今におきかえることはできないと、科学分野の加藤さんは慎重。けれど原発に反対したと思うと結論。
もう一点については時間切れになって残念。
(2月19日)
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▲「宮沢賢治からのメッセージ」パネルディスカッション「賢治と災害」

昨日、やっと宮沢賢治学会の冬季セミナーを終了した。はじめは参加者50人と見積もっていたら、日毎に申込者がふえて定員200名が満杯。立ち見の人まで出た。この人熱で、寒中というのに部屋のなかの暑いこと。 私の担当したパネルディスカッションは「賢治と震災」。英文学の富山英俊さん、地質学の加藤碵一(ひろかず)さん、演劇の石川裕人(ゆうじん)さんがパネラー。
富山さんは、「雨ニモマケズ」がどのようにして海外に広まったか、訳文を提示しながら話す。
加藤さんは、三陸の地震と断層の関係を過去から現在にわたって話す。
石川さんは、賢治劇を各地の野外で続けてきた模様を話す。
どれもが熱のこもった内容で、時間はどんどん経過する。残り時間は30分しかない。やむなし、パネラー同士の討議は抜きにして、会場との対話をはじめたら、これまた発言者が次々に出る。充実の汗をかいた。
(2月19日)

このうち「日取り」「日照り」論が強くて、両者、なかなか譲らない。で、何回となく論争は蒸し返されてきた。私は、賢治の他の文例からしても「日照り」説だと考えているが、賢治に聞くほか正解はない。とはいってもそうもいかないから、すべてをふくめていいのではという、はなはだしまりのない説をとっている。なにしろ「北ニケンクワヤソシヨウガアレバ ツマラナイカラヤメロトイヒ」とあるではないか。番組では、標準語で考えるからまずい、方言にして読めばいいのだと、自説を披露した。つまり、こういうこと。岩手方言は、「ひ」も「し」もはっきりしない。全体を口ごもったように発言するから、「ヒドリ」「ヒデリ」も混ぜてしまえばいい、と。「せっかくだから「雨ニモマケズ」を方言で朗読してみてください」と乞われて、やってみた。するとわれながら、久しぶりに岩手方言の人になりきっていった。
(2月5日)
昨日、TOKYOFMに行ってきた。「内館牧子のエコひいきな人々」に招かれて。清水浩さん(慶応義塾大学教授)、安岡善文さん(東京大学名誉教授)も加わる。少し時間があるので、半蔵門近くの堀端を散策したら、ジョギングの人々の多いこと。自分も、もっと若い日には神田方面の用事で来ると、このコースをよく走った。今日はさすがに遠慮。番組はまず、内館さんが震災後にどうして「雨ニモマケズ」が世界中に広まったかを質問する形で進められる。内館さんは、自分の賢治講座の、熱心な受講生でもあった。以前の「往還集」には個人情報なので名を伏せると書いたが、ご本人が週刊誌に発表しているので、もう解禁。話をしているうちに「ヒデリ」問題になった。賢治は「ヒドリ」と明らかに記している、しかし「ヒデリ」の誤記だとされてきて、目下「日取り」「日照り」「独り」の3説があるのだと。
(2月5日)
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