2011年11月アーカイブ

 この11月はいつになく疾走した感がある。「全国宮沢賢治学生短歌大会」「ミヤギノハギ短歌表彰式及び記念植樹」もつづいた。こちらが倒れたら他の方に迷惑をかけると、節制につとめていたが、無事に終わった。
ほっとした目に飛び込んできたのは、仏像展のチラシ。仙台博物館の「仏のかたち人のすがた」。
よし、これに行こうではないか。
仙台を中心とした仏像だから、いわば目玉商品があるわけではない。それでも一つ一つには時間とともに、何かが籠められている。なかに満蔵寺所蔵の「千体 仏」があった。病人や怪我人の身代わりにしたという、ごく荒削りな小さな仏像たちだ。どう見ても名人の作ではない。時間をかけずに一気に彫り上げたという 感じだ。だからかえって、表情が多彩でおもしろい。館内は撮影禁。手帳を出してスケッチするうちに、親しげに語りかけてくれている気がしてきた。
(11月29日)
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▲「朗読サロン 虹の街」右から、詩人の田原さん。フルート奏者の池田緋沙子さん。主催の渡辺仁子さんと菊田郁郎さん。
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▲「朗読サロン」の会場風景

とかく人のいっぱいいるところへは、出不精の自分。思い立って、第5回「朗読サロン」へ。会場は仙台中央通りの裏手ながら、瀟洒なふんいきの「ルフラン」。
中国生まれで、2004年から仙台に住んでいる田原(テュアン ユアン)氏の詩の朗読と、池田緋沙子氏のフルート演奏。田氏は『石の記憶』でH氏賞を受賞している。
朗読は進み、「作品一号」にくる。まず田氏が原作を中国読みし、つづいて別の朗読者が日本語訳にする。「馬と私は九メートルの距離を保っている」とはじま る詩。原語では意味を解くことはできないが、中国語の韻律がすばらしく、しばし聞き惚れてしまった。田氏の声も骨太で魅力的。日本語訳は意味がわかるにし ても、原語の感じからは遠い。口語訳のせいもある。日本語訳にするなら、文語でなければ韻律の味わいは出てこない。
この問題に直面しているのは、口語調頻出の現代短歌そのものだ。
(11月20日)


 宮城県美術館の「フェルメールからのラブレター展」へ。手紙を書いたり読んだりする女性像の幾枚かがある。
そのまえに立っていて連想されたのは、志賀直哉「赤西蠣太」。この作家を私はずいぶん長く忘れてきた。
玉城入野氏が発行する「イリノスケッチ」第6号を読んでいたら、「散文民報(六)」に志賀直哉「焚火」が秀逸な作品としてとりあげている。それに刺激されて実に実に久しぶりに短篇集を読み、志賀の文章力に改めて舌を巻いた。
「赤西蠣太」も名品中の名品。仙台坂の伊達兵部の屋敷に仕える醜男の赤西が、策略で小江(さざえ)という美しい腰元に艶書を届ける。当然断られるだろう、それを恥として逃げ出そうという魂胆だ。ところが以前から好意を感じていたという返書が届く。
以下に展開されるのは、あまりに清く美しく、しかし悲しいドラマだ。詳しく知りたい方は、どうか実物をお読みください。
(11月16日)
 会場に集まったのは、50人ほど。震災詠を送ってくれた当人だ。まず、こちらが入選歌について簡単な評をする。そののち、町永アナウンサーが参加者にインタビューする。たちまち2時間半は過ぎる。
なにしろ、一つ一つが生死と直接かかわる、かけがえのない体験談だ。こちらもいつしか活字だけで読んだり鑑賞したりするのとは別の、濃密な思いがわいてくる。短歌が作り手の肉体性と密接する表現形式だからなのだろう。
海辺の高校生から送られた数首を紹介してみよう。

死に顔を「気持ち悪い」と思ったよ ごめんじいちゃん ひどい孫だね(畠山海香)

ここにいたここにあったと思い出が泣き声上げる東北の秋(今野莉奈)

『家なき子』笑って話す友人にかける言葉が見つかりません(本宮花子)

恐怖する「慣れって嫌だ」と呟いた瓦礫の街に見慣れてしまい(岩渕円花)


(11月14日)


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▲「NHK福祉ネット」控室で、みなみらんぼう氏と。

今日は仙台を会場に「震災を詠む」の録画撮り。ディレクターの方からこの企画が伝えられたとき、仙台はホールがことごとく被災しているから場所の確保が難 しいと伝えた。しかしたまたま見つけることができて、急遽準備がはじまった。そして今日、選者のみなみらんぼう、永田こう紅各氏と自分がそろう。司会は町 永俊雄アナウンサー。らんぼうさん、控室に入ってくるなり、「ミチマサさん、ずいぶん歳をとったねえ」という。それはそうでしょう、十数年ぶりの再開だか ら。歳をとるのはお互い様。紅ちゃん(六歳のときに会って以来、ついつい「ちゃん」といってしまう)は、昨日仙台入りして、タクシーで荒浜と閖上を周って きた。自分が車で案内したいところ、北上に行っていてかなわなかった。やはり、本物の現場に立って、津波に対する認識を新たにしたようだ。
(11月14日)
 きのうは北上市の日本現代詩歌文学館で、第5回「現代歌人の集い」。選者は柏崎饒二、川野里子、篠弘、松平盟子各氏と自分。記念講演は馬場あき子さん。
応募総数は1804首。予想していたこととはいえ、震災詠が実に多かった。やむにやまれずうたった重い歌の数々。
私の選出歌から。

どちらから 浪江からです避難して住み慣れし町藤咲きはじむ(松川韶子 福島)

四照花(やまぼうし)重なりて咲く幾年(いくとせ)も共に眺めし人を喪う (佐 藤歌子 岩手)

家流れ家財道具のなにもなし玄関の鍵ポケットにあり (佐々木政子 岩手)

短歌にとって実体験が必須なわけではない前衛期のとき、〈私〉文学を激しく糾弾し、ここを脱することなしに改革はありえないと考えた。だのに実体験に裏打ちされた歌のこの手ごたえはどうしたことだろう。 震災詠が直球で投げかけてくる問いは、これだった。
(2011年11月13日)
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▲蕃山(ばんざん)上方の早暁の空。透明度のある茜色の雲が浮かぶ。
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▲左側の白いドームが仙台市天文台のプラネタリウム。その後方に「龍の旅立ち」が見られる。

肩のあたりが冷えて目を覚ました。外気はマイナス1度。
早暁のベランダに立つと、北方の天文台ドームのさらに後方に、白煙がどんどん湧き上がる。煙とみえるのはじつは月山池に発する水蒸気だ。朝冷え込むと、湖面から生まれ、山間を移動して空へとのぼっていく。これを自分は「龍の旅立ち」と名付けた。
東方の蕃山へ目を移す。ほの明かりする天空に茜雲が浮く。透明度のある茜色で、これも冷え込みの季節特有の色だ。
もう冬も近い。動物でいえば、冬眠の準備期間。自分もそろそろ内に籠る用意をしよう。かえりみれば、あまりにもさまざまなことがあって、3月以来、とかく 走り回っていた。それでは内部から枯れ果ててしまう。北国に住むものにとって、この季節は静かに自他と対話し、回復を待つ。願ってもない季節だ。まず、長 く休んでいた加藤周一の著作を開いていこう。
11年11月11日11時11分にこの章を書く。
(11月11日)
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▲奥新川の山間にかかる鉄橋を、仙台方面行きの電車が渡っていくところ。

仙台から山形へ越える途中に、作並温泉がある。温泉街に入る少し手前を左折すれば、たちまち林道に入る。細いでこぼこ道を難儀しながら、車はゆるゆる走る。
やがて峠の頂上。
いきなり視界が開けて、折り重なる山々が目のまえに広がる。霧の季節なら、壮大な水墨画の世界そのまま。新緑の季節なら、こちらが恥ずかしくなるような、初々しいさ緑。そして今日は、紅葉の季節最後を飾る、全山赤銅色だ。
カメラマンにとってここは、人気のスポット。谷深いところに、一つだけ鉄橋がみえる。一時間に一本の電車を、辛抱強く待ち構える。鉄橋の西方向には、奥新川駅がある。そこを発つと、しばしコトコトコトコト鉄路が響(とよ)む。間もなく、すーっと消えてしまう。
あれ、この電車、山形行きだったのかと、初心者は錯覚する。
実はトンネルに入ったのだ。出てすぐに鉄橋がある。その瞬間がシャッターチャンスである。
(11月4日)
 『震災歌集』の後味の悪さはまだのこっているが、もうよかろう。なにしろこちらは、いまもって心的外傷を抱えていて、あの日の映像や記事を目にしただけで涙が止まらない状態にある。
だのに数日まえに、「短歌往来」11月号のインタビュー「『震災歌集』を問う」と、「夢座」167号の齋藤愼爾「生者と死者のほとり」を読んで、またぶり返してしまった。
「表現は磨かない方がよろしい」と長谷川はいっている。この考えなら凡作を並べてもいいわけだ。
だが齋藤の批判は凄まじい。「一読、失望は絶望に、次いで憤怒に変わった。ひどい歌集である。」
私は、表現は磨かない方がいいとか、素人とプロを分ける必要がないという考えを全否定はしない。ただし、出版側は「長谷川櫂」という俳句プロを看板にし て、素人レベルの歌を時流に乗せて刊行した。このことは明らかではないか。単なる素人の歌なら企画出版など考えもしなかったろう。
(11月2日)
 俳人の長谷川が、俳句ではなくて短歌を震災後12日間で作り、4月には歌集として刊行した。衝撃を表現するに俳句では間に合わない、おのずと短歌になったということはわかる気がする。
だが、なぜ私領域のつぶやきとして秘めておかず、早々に公刊したりするのか。
もしかしたら、秘めておけないほどの傑作かもしれない。確かめるためには、実物を購入して読むにしくはない。
その結論。出来具合はいいのもあるが、素人並の凡作も多い、この時期に歌集として打って出るほどの価値があるとは思えないーーだ。
だのに急いで刊行したのには、たぶん別の動機がある。時期を逃さず商品化すること。その意図が出版側に強かったという想像もつく。なにしろプロの俳人が、こともあろうに別の分野を手段にしたのだから。この意外性が衆目を集めると踏んだ。
もっとも、それに長谷川が乗っかったのも否定しようがない。
(11月2日)
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