2011年8月アーカイブ

 超高齢時代に突入した昨今、百歳を越える人の続出には驚かなくなった。が、百四歳のふつうの人が「遠き道百歳迄も生きて来た脳梗塞で苦しみながら」「引き あげの話題のテレビに涙するこの年になりても悲しき思い出」などときちんと詠んでいるのには、さすがに驚かされる。短歌分野でなぜこういう現象が生じたの かを、小高賢は多面的に迫っていく。そのなかで基本はふたつ。まず作者と読者が分離しない短歌表現の特性。これは近代文学のなかでは軽蔑されてきた要素だ が、「老いの表現手段としては逆にいま威力を発揮している」とみる。もう一点は、口語調が市民権を得たこと。「感動よりも述懐、つぶやきといったほうがい いような事実や思い」を述べたい高齢者には使いやすい。もはや老いを一般的に、ワンパターンで語ることができない、個別的・個性的になったという指摘に も、大いに納得させられた。
(8月31日)
 『青朽葉』のまえの歌集は『鏡葉』。それに、
鳴く蝉を手握(たにぎ)りもちてその頭をりをり見つつ童走せ来る
を見つけたときは驚いた。自分は高校時代に、
あぶら蝉片手に握り走り行く子あり真夏の労働者街
を作ったことがある。これを秀歌だとほめてくれる人がいたが、模倣歌だと知っていたから身を縮めるばかり。しかし誰からのパクリなのか忘れていた。それが 今になってわかった。空穂と全く無縁でなかったわけだ。そうしたら俄然親しみが湧いてきて、日々に開き、『青朽葉』まで来たというわけだ。空穂の歌は、子 どもを素材にしたのが飛びぬけて生彩を放っている。児童文学の先駆者巌谷小波は、みずからを〈子供作家〉と称したが、窪田空穂もまた〈子供歌人〉だ。「子 供歌人としての窪田空穂」を、もう誰かが書いているだろうか。
(8月30日)
 窪田空穂。この歌人のよさを、私は長い間わからないできた。たとえば石川啄木、斎藤茂吉、北原白秋などに比べても、ちっともめりはりがない。学生時代に新 潮文庫の『窪田空穂歌集』を買った。しかし、あまりに退屈で、数頁で投げ出してしまった。岩田正は卒論に窪田空穂を選んでいる。『窪田空穂』(角川学芸出 版)は、その復刻版だ。彼は「あとがき」に、「どうしてもこの空穂を必死になって抹殺しなければ、三十年代の意欲的な短歌的潮流の片隅に席を置けなかっ た」と書いている。あまりにも大きな存在だったから「抹殺」といわざるを得ないのだが、それがどうしてもわからない。だが、こんなに大物でありつづけると は、何かがあるからにほかならない。「何か」とは何か。私は、わが不明を恥じながらも、ひそかに角川版全集を購入し、まず歌集から開きはじめた。そして先 日『青朽葉』を読み終わった。
(8月30日)
 小島は、高校生のときに角川短歌賞を得た。このあまりにも早いデビューは、痛々しかった。自分をどのように定位していいかわからないのに、外圧が押し寄せ て来る。その葛藤のなかでしか、成長できない。成功の確率と失敗の確率、半々。小島はその困難を、辛うじて潜り抜けてきた、そして誤魔化しようのない〈自 分〉を確かめてきたと思う。
一日の終わりに首を傾けて麒麟は夏の重力降ろす
電柱が麒麟となりてわが町を闊歩するさま美しからん
たまたま麒麟の二首がある。重力をもっているのは、小島自身だ。この重ったるさからのがれたいと思いながらも、できない。その分、浮薄に流れることもない。しかし時には重力から逃れたい。その願望が二首目に形象化されている。
(8月30日)
 稲葉京子をいつかきちんと論じなければと思いながら、果たすことなく今日まで来た。稲葉の歌は、現実に発しながら現実を超え、観念へと上昇しながら観念へ 全身をあずけることもない。その「あい間」を往還しつつ、透明度を保ってきた。稲葉は若いころ、児童文学に心を寄せている。このときの、人間を原点におい て見る経験も、どこかに生きつづけている。
幾つかと問へば応ふる何といふうつくしい数五歳といふは
かなたより誰か呼びたりまかげしてふたたびみたびわれは降り向く
ひしひしと青信号を往き還る曇天なれば影なき人ら
樹の心天に従ふ折々に真直ぐに落ちる花びらのあり
後半になり、生死に触れつつ境涯を深めはじめているのも、感慨深い。
(8月30日)
 翻訳に当った長谷川寿一によると、出版直後に注文したところ、貴国ではポルノ扱いされるので通関できない可能性ありの返事が来たそうだ。なるほど、このタ イトルでは。しかし中身はきわめて真面目であり、性や人間の根本に及んでいる。「性はわれわれに最も深い喜びをもたらすが、逆に苦悩の種となることもあ る。そうした苦悩のほとんどは、進化によって生じた男女の役割のあいだの本来的な対立から生まれるのだ。」フェミニストは男性中心社会に異を唱える。私は その思いに共感しながらも、権力者としての男性に生まれたかったわけでないといつも考えてきた。ジャレドはこの性差の因を、他の生物との比較において論証 し、男女の役割の生じる根源へ迫っていく。ここからはじめなければ、性差の問題は解けてこないのだと、目の薄膜がはがれる思いがした。
(8月29日)
 石井恭二注釈の『眼蔵』全五巻を、墨筆で書写しようと思い立って、やっと三巻まできた。なにしろ名だたる超難解物。立松和平『道元禅師』その他の助けを借 りて、なんとかかんとかやってきたが、難解にはかわりはない。ほんの折りに「なるほど」とうなずける章に出会う。「説心説性」の六章。「菩提心をおこし、 仏道修行におもむくのちよりは、難行をねんごろにおこなふといへども、百行に一当なし。」とはじまる。石井訳によれば、どのように修行しても百の矢を射て も一つも当たることのないのが普通だ、知識に学び、経巻に学ぶうちにようやく一当を得るのだ、「いま得た一当はむかし百の矢を射た努力の賜物である、当ら なかった百の矢に籠った努力が熟したのである。」「徒労のような努力によって道は自在に通ずる」なかなかいいことをいってくれる。いつも徒労ばかり重ねて いる自分など、勇気づけられます。
(8月29日)
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▲今回取り上げた本。『小中英之全歌集』『正法眼蔵』『セックスはなぜ楽しいか』『忘れずあらむ』『サリンジャーは死んでしまった』『窪田空穂全集』『老いの歌』

短歌の世界も、どんどん変化していく。「前衛短歌」ですら、過去の遺物なみに扱われだした。こういう時流のなかで、忘れてほしくないのに、忘れられていく 歌人もいる。小中英之もその一人。彼の作風は、最初から古風だった。しかし洗練された秀歌の数々。何とかして後世に残したいと思いつづけてきた。昨年の 春、砂子屋書房が全歌集を引き受けてくれることになった。編纂委員は藤原龍一郎・天草季紅各氏と自分。「解説」を担当することになり、震災で暖房も断たれ た日々、膨大なゲラを読み込み、想を練りつづけた。刊行は7月30日。どこに出しても恥ずかしくない、615頁の立派な本になった。最晩年に到っても、 「くちばしに鳥の無念の汚れゐて砂上に肺腑のごとき実こぼす」のような秀歌の数々。「歌人・小中英之」は、最期まで衰えていなかった。享年64歳。
(8月29日)
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▲勢いよく咲いたホウセンカ。
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▲急に元気に咲きだした朝顔。

夏、早暁4時。机に向かうまえに、ベランダに出て頭を冷やす。すると三方の森から、ヒグラシが湧きあがり、ホトトギス・ウグイスも合唱に加わる。一夜鳴き つづけたヨタカは、そろそろ眠りにつく。お盆が過ぎるころから、虫の音に主役はかわる。そして八月末、ススキが穂をのばし、空気にも秋の感触がする。この 時期になると、ひと夏のことが顧みられる。自然のめぐりは同じようでも、微妙に違う。去年、火を噴くように咲いたネムは、今年は勢いがない。長年、アゲハ の住処になっていたサンショウの木が、何の予告もなく枯れてしまった。反面、いつもはしょぼくれていたホウセンカが赤・臙脂・白とも全開だ。伸び具合がよ くなくて心配していたアサガオも、急に開きはじめた。人間同様、木にも花にもそれぞれの事情がある。さて、秋の感触がしてくると、この夏に読んだ本につい て語りたくなる。で、本の話を。
(8月29日)

「往還集121」の数字は何ぞやと、お思いの方もおられるのでは?これは個人編集誌「路上」の、号数です。次号は121号になります。それにブログの「往 還集」を、取捨しながら再録する予定なので、「往還集121」としているわけです。以後「122」「123」「124」......と更新していきますが、第Ⅰ期 を終了し、第II期に入ろうとする「路上」は、必ずしも定期刊とは限りません。これまでよりは、ページ数も刊行回数も自由に、呼吸も楽にやっていきます。 そして、こちらにボケが少しでも出たら、そこで中止します。問題は、ボケの兆候を自覚できるかどうかです。最近は「ぼけ」の語も差別語に入りつつあります が、わがことなのでお許しのほどを。もう危ないぞと気づいたときは、どうか遠慮なくお知らせください。
(8月28日)
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